国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(07) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(07)



 と云うのは突然人形が、鋭い高い金属性の声で、次のようにハッキリ叫んだのである。
「南蛮寺の謎は胎内の……」
 それだけであった! たった一声!
 よし一声であろうとも、確かに人形は叫んだのである。しかも驚くべき大きな声で。
 風船売の少年が、どんなに吃驚仰天したか、想像に余ると云ってよい。自分が泥棒だということも、忍び込んだ身だということも、何も彼も忘れて声を上げた。
「ワーッ、いけねえ、化物だあ!」
 この結果は悪かった。隣部屋に寝ていた娘の民弥《たみや》が、声に驚いて眼覚めたのである。
「どうなされましたお父様」
 まずこう呼ぶ声が聞こえてきた。つづいて起き上る気勢《けはい》がした。こっちの部屋へ来るらしい。
「いよいよいけねえ、逃げろ逃げろ!」
 人形を卓の上へ抛り出すと、窓へ飛びついた風船売の少年、ヒラリと外へ飛び出した。
 と、それと引違いに、部屋へ現われたのは娘の民弥で、開けてある窓へ眼をつけたが、「まあお父様の不用心なことは。窓をあけたままで寝ておいでなさる。その上寝言など仰有《おっしゃ》って」娘らしく明るく笑ったが、例の道化た調子となった。
「弁才坊さん弁才坊さん、民弥さんを嚇してはいけません。『ワーッ、いけねえ、化物だあ……』などと仰有ってはいけません。さあさあお眼覚めなさりませ。さあさあお話し致しましょう」佇んだまま見下ろしたが、窓から射し込む月光に照らされ、寝ている父の寝姿が、何となく異様に見えたらしい。「おや」と云うと跪坐《ひざまず》いた。
「お父様!」と声をかけ、額へ指をふれて見た。「あっ!」と叫びを上げたのは、父の額が水のように、冷々《ひやひや》と冷《ひ》えていたからである。
「お父様!」と物狂わしく、もう一度叫ぶと両手を延ばし、父の体を抱き上げた。脈もなければ温気もない、全身すでに硬直している。父はこの世の人ではなかった。父は死んでいるのであった。
 これが気弱の娘なら、取り乱したに相違ない。泣き喚いたに相違ない。気絶ぐらいはしただろう。しかし民弥は強かった。眼から涙を流しながらも、しっかり奥歯を噛みしめていた。ブルブル全身を顫わせながらも、気の遠くなるのを我慢した。
 しばらく心をしずめたのである。
「誰が、どうして、何の為に、お父様のお命を絶ったのだろう?」
 ズーッと部屋の中を見廻してみた。
「窓が一杯に開いている。用心深いお父様、開けたままお寝になるはずはない。誰かが開けたに相違ない。その誰かが下手人なのだ。……部屋の中が乱暴に取り散らしてある。どうやら何かを探したらしい。とするとあれ[#「あれ」に傍点]だ! 唐寺の謎!」
 父の殺された原因は、これでどうやら解ってきた。
「お父様が苦心して研究された、唐寺の謎の材料を、盗み取ろうとしたものが、お父様のお命を絶ったのだ」
 そこで死骸を調べ出した。切り傷もなければ突き傷もない。絞め殺された跟跡《あと》もない。
「ああ妾には解《わか》らない」
 ハッキリ解っていることは、可愛がってくれたお父様が、死んでしまったということであった。一人の父! 一人の娘! 母もなければ兄弟もない。親戚《みより》もなければ知己《しりびと》もない。で、お父様の死んだ今は、民弥は文字通り一人ぼっち[#「ぼっち」に傍点]であった。その上生活《くらし》は貧しかった。明日の食物さえないのである。
 どうするだろう? 可哀そうな民弥?
「お父様!」と叫ぶと新しく涙、澪すと同時に泣き倒れた。
 どんなに民弥が気丈でも、その程度には限りがある。泣き倒れたのは当然と云えよう。父の冷たい額の上へ、熱で燃えるような額を宛て、民弥はいつ迄もいつ迄も泣く。
 どんどん春の夜は更けていく。咽び泣く民弥の声ばかりが、その春の夜へ糸を引く。泣き死んでしまうのではないだろうか? いつ迄もいつ迄もいつ迄も泣く。
 だがこのとき、庭の方から、厳かに呼びかける声がして、それが悲しめる民弥の心を、一瞬の間に慰めた。
「悲しめる者よ、救われなければならない。……民弥よ民弥よ嘆くには及ばぬ。……父の死骸は南蛮寺へ葬れ!」
 それはこういう声であった。
 窓の向こうに人影がある。月光の中に立っている。輪廓だけが朦朧と見える。痩せてはいるが身長《たけ》高く、黒の法衣を纏っている。日本の僧侶の法衣ではない。吉利支丹《きりしたん》僧侶の法衣である。胸に何物か輝いている。銀の十字架が月光を吸い、キラキラ輝いているらしい。非常な老人と思われる。肩に白髪が渦巻いている。胸に白髯《はくぜん》が戦《そよ》いでいる。
「ああ貴郎《あなた》様はオルガンチノ僧正!」
 その神々しさに打たれたのだろう、民弥は思わず合掌したが、ちょうどこの頃京は八条四ツ塚の辺りの一軒の家で、風変わりの二人の男女によって、こんな会話が交わされていた。





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