国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(09) (なんばんひわもりうこんまる)

国枝史郎「南蛮秘話森右近丸」(09)



「あああいつ[#「あいつ」に傍点]か」とニヤニヤ笑い、猪右衛門は得意らしく話し出した。「南蛮寺すなわち唐寺だが、そこから俺ら盗み出したのさ」
「へえ、なるほど、唐寺からね」
「十日ばかり前のことだったよ。俺ら信者に化け込んで、南蛮寺へ入り込んだというものさ。礼拝なんかには用はない、そこで寺内のご見物だ、ズンズン奥の方へ入って行くと、一つへんてこの部屋があった。いろいろの機械が置いてある、二人の坊主が話している。鼠のような獣がいる。と、どうだろう坊主の一人が、罐の中から粉薬を出して、鼠のような獣へ、ちょいとそいつを嗅がしたじゃアないか。するとコロリと斃《くたば》ったってものさ、鼠のような獣がな。恐ろしい恐ろしい恐ろしい魔法! 吉利支丹《きりしたん》の魔法に相違ない! こう最初には思ったが、直ぐその後で感付いたものさ、ナーニあいつ[#「あいつ」に傍点]は毒薬だとな。そこで盗もうと決めっちゃった[#「決めっちゃった」はママ]のさ。そうして隙をうかがって、うまうま盗んだというものさ」
「大成功、褒めてあげるよ」玄女は図々しく笑ったが、「でもそいつを風船へ仕込み、弁才坊殺しを巧んだのは、この妾だからね、威張ってもよかろう」
「いいともいいとも、威張るがいいや。だが成功不成功は、猿若が帰って見なけりゃアね」
「ナーニきっと成功だよ」
「うまく秘密を盗んだかしら?」
「あいつのことだよ、やりそこないはないさ」
 恐ろしい話を平然と、二人の男女は話している。
 と、猪右衛門はニヤニヤした。
「うまくいったら大金持になれる」
 すると玄女もニコツイたが、
「そうなった日には妾なんか、こんな商売はしていないよ」
「俺だってそうさ、香具師《やし》なんかしない。大きな御殿を押し建ててやるさ」
「つまらないことを云ってるよ」
「アッハハ、つまらないかな」
 苦く笑ったが猪右衛門はにわかに聞耳を引き立てた。
「どうやら帰って来たらしい」
 なるほどその時門《かど》の戸が、ギーッと開くような音がした。
「おや本当だね、帰ったようだよ」
 二人同時に起き上った時、部屋へ駈け込んで来た少年がある。例の風船売の少年である。
「おお猿若か、どうだった?」先ず訊《たず》ねたのは猪右衛門。
「どうだもこうだもありゃッしないよ、うまくいったに相違ないさ」引き取ったのは玄女である。
「そうだろうね、え、猿若?」
「待ったり」と云うと猿若少年、走って来たための息切れだろう、苦しそうに二つ三つ大息を吐き、胸を叩いたがベッタリと坐った。それから喋舌《しゃべ》り出したものである。
「まずこうだ、聞きな聞きな、『秘密の鍵は第三の壁』『この人形を大事にしろ』弁才坊めが云っていたってものさ。ああそうだよ民弥にね。綺麗な綺麗な娘によ。全くあいつア別嬪だなあ。姐ごなんかよりゃアずっと[#「ずっと」に傍点]いいや。……ええとそれから風船だ、飛ばして置いて引いたってものさ、云う迄もないや、糸をだよ。するとパッチリ二つに割れ、パラパラこぼれたのは毒薬だ。と、ムーッと弁才坊……」
「そうかそうか、斃《くたば》ったのか?」こう訊いたのは猪右衛門。
「云うにゃ及ぶだ」と早熟《ませ》た口調、猿若はズンズン云い続ける。「で、窓から忍び込み……」
「偉い偉い、探したんだね」今度は玄女が褒めそやす。
「そうともそうとも探したのさ。目に付いたは人形だ」
「人形なんかどうでもいい、手に入れたかな、唐寺の謎?」
 猪右衛門短気に声をかける。
「急くな急くな」と猿若少年、例によって早熟た大人の口調、そいつで構わず云い続けた。
「驚いちゃアいけねえ、喋舌ったのさ。うんにゃうんにゃ呶鳴《どな》ったのさ。喚《わめ》いたと云った方が中《あた》っている。『唐寺の謎は胎内の……』――人間じゃアねえ人形だ! 人形がそう云って喚いたのさ。すると隣室《となり》から民弥さんの声だ。『どうなさいました、お父様』――つまりなんだな、目を覚ましたのさ。『ワーッ、いけねえ、化物だあ!』『いよいよいけねえ、逃げろ逃げろ!』――スタコラ逃げて来たってものさ。ああ驚いた、腹も空いた、一杯おくれよ、ねえご飯を」
「ご飯は上げるが唐寺の謎は?」訳がわからないと云うように、訊き返したのは玄女である。
「唐寺の謎? 俺ら知らねえ」
「馬鹿め!」と立ち上る猪右衛門。
 そいつを止めたのは玄女であった。
「まあまあお待ちよ、怒りなさんな。それだけ働きゃアいいじゃアないか。それにさ随分いろいろの為になる言葉を聞いて来たじゃアないか。『秘密の鍵は第三の壁』『この人形を大事にしろ』『唐寺の謎は胎内の……』――ね、どうだい面白いじゃアないか。ひとつ二人で考えてみよう。三つの言葉をくっ付けたら、唐寺の謎だって解けるかも知れない」
 玄女は考えに分け入ったが、その間も春の夜が更け、次第に暁《あけ》に近付いた。
 そうして全然《すっかり》夜が明けた時、一人の立派な若武士が、弁才坊の家を訪れた。他ならぬ森右近丸であった。






[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送