国枝史郎「柳営秘録かつえ蔵」(03) (りゅうえいひろくかつえぐら)

国枝史郎「柳営秘録かつえ蔵」(03)



「解った! 箆棒! 何のことだ!」
 こう叫んだ鬼小僧は、尻をからげて走り出した。
 浅草から品川まで、彼は一息に走って行った。浜御殿を筆頭に、大名屋敷下屋敷、ベッタリその辺りに並んでいた。尾張《おわり》殿、肥後《ひご》殿、仙台殿、一ッ橋殿、脇坂殿、大頭《おおあたま》ばかりが並んでいた。その裏門が海に向いた、わけても宏壮な一宇の屋敷の外廻りの土塀まで来た時であった。その土塀へ手を掛けると、鬼小僧はヒラリと飛び上った。土塀の頂上《てっぺん》で腹這いになり、家内《やうち》の様子を窺ったが、樹木森々たる奥庭には、燈籠の燈《ひ》がともっているばかり、人の居るらしい気勢《けはい》もなかった。
「よし」と云うと飛び下りた。そこで地面へ這い這いになり、改めて奥庭を窺った。ある所は深山の姿、又ある所は深林の態《さま》、そうかと思うと谷川が流れ、向うに石橋こちらに丸木橋、更にある所には亭《ちん》があり、寂と豪華、自然と人工、それの極致を尽くした所の庭園は眼前に展開されていたが、これぞと狙いを付けて来た、目的の物はみえなかった。
「おかしいなあ?」と呟《つぶや》いたが、鬼小僧は失望しなかった。そろそろと爪先で歩き出した。と一棟の茶室《みずや》があった。その前を通って先へと進んだ。
「これ小僧」と呼ぶ声がした。
「感心々々よく参った。ここだここだ、こっちへ来い」
 茶室の中から聞こえてきた。
 鬼小僧は度胆を抜かれたが、それでも周章《あわて》はしなかった。足を払うと縁へ上った。と、雨戸が内から開いた。そこで鬼小僧は身を細め、障子をあけて中へ入った。しかし老人は居なかった。
「はてな?」と小首を傾げた時、正面の壁が左右へあいた。
「ここだここだ」と云う声がした。
「これじゃアまるで化物屋敷だ」
 またも度胆を抜かれたが、そこは大胆の鬼小僧、かまわず中に入って行った。地下へ下りる階段があった。それを下へ下りた。畳数にして五十畳、広い部屋が作られてあった。しかも日本流の部屋ではない。阿蘭陀《オランダ》風の洋室であった。書棚に積まれた万巻の書、巨大な卓《テーブル》のその上には、精巧な地球儀が置いてあった。椅子の一つに腰かけているのが、例の鶴髪の老人であった。
 ここに至って鬼小僧は、完全に度胆を抜かれてしまった。で、ベタベタと床の上に坐った。その床には青と黄との、浮模様絨氈《じゅうたん》が敷き詰められてあった。昼のように煌々と明るいのは、ギヤマン細工の花ランプが、天井から下っているからであった。
「雲州の庭、よく解《わか》ったな」
 老人はこう云うと微笑した。手には洋書を持っていた。
「へえ、随分考えました。……雲州様なら松江侯、すなわち松平出雲守《いずものかみ》様、出雲守様ときたひには、不昧《ふまい》様以来の風流のお家、その奥庭の結構は名高いものでございます。……雲州の庭というからには、そのお庭に相違ないと、こう目星を付けましたので」
 鬼小僧は正直にこう云った。
「ところで俺を何者と思う?」
「さあそいつだ、見当が付かねえ」
「あれを見ろ」と云いながら老人は壁へ指を指した。洋風の壁へかかっているのは、純日本風の扁額《へんがく》であった。墨痕淋漓匂うばかりに「紙鳶堂《しえんどう》」と三字書かれてあった。
「形学《けいがく》を学んだお前のことだ、紙鳶堂の号ぐらい知っているだろう」
「知っている段じゃアございません。だが紙鳶堂先生なら、安永八年五十七歳で、牢死されたはずでございますが?」
「うん、表て向きはそうなっている。が、俺は生きている。雲州公に隠まわれてな。つまり俺の『形学』を、大変惜しんで下されたのだ。俺は本年百十歳だ」
「それじゃア本当にご老人には、平賀先生でございますか?」
「紙鳶堂平賀源内だ」
「へえ」とばかりに鬼小僧は床へ額をすり[#「すり」に傍点]付けてしまった。





[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送