国枝史郎「生死卍巴」(18) (せいしまんじどもえ)

国枝史郎「生死卍巴」(18)

姦策

 白河戸郷の若者達が、四人来てくれたということは、侍女達にとっては救いであった。
 しどろもどろに侍女達は云った。
「誘拐《かどわか》されましてござります」
「お嬢様も! 朋輩《ほうばい》も! 向こうの方で!」
「丹生川平の人達に!」
 もうこれだけで充分であった。
 侍女達の言葉を耳に入れるや、白河戸郷の若者達は、血相を変えて躍り上った。
 そうして口々に叫び合ったが、すぐに手筈が行なわれた。
 まず一人の若者であったが、白河戸郷の方へまっしぐらに走った。危急を白河戸郷へ報告して、加勢を求めるためであろう。
 二人の若者は腰刀を抜くや、小枝が誘拐しに遭ったという、その方角へ疾風のように走った。
 残った一人の若者は、侍女達の介抱にとりかかった。

 が、一方、宮川茅野雄と、醍醐弦四郎とはどうしたか?
 茅野雄は上段に弦四郎は正眼に、構えをつけたままで睨み合っていた。
 その横では気絶をしているらしい、小枝を侍女達が介抱しているし、幾人かの侍女達は気絶をしてもいた。
 構えをつけながらも弦四郎は、恐怖を感ぜざるを得なかった。
(思ったよりも素晴らしい剣技だ。尋常に闘ったら俺の方が負ける)
 茅野雄の剣技の勝れているのに、弦四郎は恐怖を感じたのであった。
(どうしたらよかろう? どうしたらよかろう?)
 ――と、すぐに一つの考えが浮かんだ。
(丹生川平の奴原が、俺を見捨て走り去った。が、精悍の彼らである。よもや逃げて行ってしまったのではあるまい。丹生川平へ事件を知らせて、加勢を呼びに行ったのであろう。……おッ、そう云えば音が聞こえる。危急を伝える合図の音が! 拍子を取った木叩きの音が!)
 弦四郎は丹生川平に住んで、十日の日数を経《けみ》していた。で、そういう合図の方法の、あるということも知っていたし、そういう方法で合図されるや、丹生川平の郷民たちが、得物を持って馬に乗って、一瞬の間に加勢をするべく、押し出して来るということをも、郷民達に聞いて知っていた。
(一時間《はんとき》あまり待ってやろう。加勢の勢の来るのを待って、茅野雄を処分してやろう)
 ――で、弦四郎は刀を引くやスッと背後《うしろ》へ身を退け、刀を鞘へ納めてしまった。
「さて、宮川氏、ごらんの通りでござる。拙者、刀を納めてござる。貴殿にも刀をお納めなさるがよろしい」
 こう云うと弦四郎はトホンとしたような、不得要領の笑い方をしたが、
「まずご免、あやまります。少しく悪ふざけが過ぎましたようで。が、拙者は道化者なので、こういうことも大好きでござる。と云うこういう[#「こういう」に傍点]事というのは、突然に深夜の江戸の町で、貴殿に切ってかかったり、飛騨の山中の峠道で、妙な矢文を貴殿へ送ったり、また今日のようなこんな恰好で、貴殿と太刀打ちを致したりする。こういうことを云っているのでござる。……アッハッハッ、変わった性質でな。……とは云えもはや飽き飽きしました。かような悪ふざけには飽き飽きしました。で、中止といたします。貴殿にもご中止なさるがよろしい」
 訳の解らないことを云い出した。
 これにはさすがの宮川茅野雄も、度胆を抜かれざるを得なかった。
(何という事だ! 何という武士だ!)
 ――で、茅野雄も後へ引いた。
 とは云え茅野雄には弦四郎の態度や、云った言葉に合点の行かない、曖昧のところのあるのを感じて、油断をしようとはしなかった。
 しかし弦四郎は暢気《のんき》そうに、刀を鞘へ納めてしまうと、両手を胸へ組んでしまって、ブラリブラリと歩き出した。
 で、茅野雄も不審ながら、自分ばかりが物々しく、抜いた刀を持っていることが、不恰好のように思われて来た。
 で、刀を鞘に納めた。
 と、見て取った弦四郎は、一つニタリと含み笑いをしたが、
「高原の景色は美しゅうござるな」
 こう云って四辺《あたり》を見るようにした。
「……」――しかし茅野雄は黙っていた。
「綺麗な草の花を茵《しとね》として、美しい婦人方が仆れております」
「さよう!」と、茅野雄ははじめて云った。
「貴殿や貴殿の輩下の者が、誘拐し参った女達でござる」
「いかにも」と、今度は弦四郎が云った。
「誘拐して参った女達でござる」
「何故そのようなよくないことをなされる?」
 茅野雄は怒りを加えたらしい。病気上りの、痩せて蒼い頬の辺りへ紅潮を注《さ》させ、少し窪んだ鋭い眼に――いつもは学究らしい穏かさと、叡知とを湛えているのであったが――憎悪の光を漲らせて、弦四郎の眼を追いながら睨んだ。
 そう茅野雄にたしなめ[#「たしなめ」に傍点]られて、かつは鋭く睨められたが、根が浮世を目八分に見ている、身分不詳の弦四郎には、堪《こた》えるところが少なかったらしい。
 例によってトホンとした不得要領の、一種の笑いを笑ったが、
「そう宮川氏云われるものではござらぬ。な、只今も拙者は申した。ちとどうも悪ふざけが過ぎましたようで。女子誘拐しの一件も、その悪ふざけの一つでござる」
 しかしこのように云って来て、急に弦四郎は咎めるように云った。
「たしか貴殿におかれては、丹生川平という別天地へ、おいでなされるはずでありましたな」
(おや)とそれを聞くと茅野雄は思った。
(どうしてそんなことを知っているのであろう?)
「さよう」としかし茅野雄は云った。
「拙者、丹生川平へ参る。が、どうしてご存知かな?」
 それには返事はしなかったが、弦四郎は次のように云って笑った。
「丹生川平の郷民達は、貴殿を歓迎なさるまいよ」
「何故な?」と、茅野雄はけげん[#「けげん」に傍点]そうに云った。
「必ずや歓迎をいたしましょう」
「駄目々々」といよいよ嘲笑ったが、曠野の上に仆れている、丹生川平の郷民達の、死骸を弦四郎は指差した。
「貴殿、この者達を殺したではないか」
「悪漢ゆえに殺してござる」
「貴殿はここにいる令嬢姿の乙女を、遮二無二助けようとなされたではないか」
「不幸の誘拐されの乙女だからよ」
「何にもご存知ないからじゃよ」
 ここで弦四郎は皮肉に笑った。
「で拙者、お知らせいたそう。……貴殿が討って取られたところの、仆れている五人の若者達こそ、丹生川平の郷民達なのでござるよ!」
「何を馬鹿な! そのようなことが!」
「貴殿が助けようとなされた乙女は、丹生川平の郷民達にとっては、讐敵にあたる白河戸郷の、郷の長の娘の小枝《さえだ》という乙女で」
「…………」
「そこでもう一言云うことがござる。聞いたら胸が潰れるでござろう。――拙者は目下丹生川平におります。とこう云うのがその一つでござる! 丹生川平の郷の長の、宮川覚明殿に依頼されて小枝を奪いに来たものでござる。とこう云うのがその二つでござる。……しかるに貴殿におかれては、丹生川平の郷民達を、このように討ってお取りになり、小枝を奪おうとした上、拙者の仕事の邪魔をなされた。……何の貴殿が丹生川平へ、これからおいでになろうとも、丹生川平の郷民達が、歓迎などをいたしましょうぞ。その証拠は……」と云いながら、弦四郎は頭を背後《うしろ》へ巡らすと、背後に連らなり聳えている、大森林を眺めやった。と、ドッと云う大勢の鬨の声が、その大森林の中から起こって、ムラムラと騎馬の一団が、大森林の中から現われて来た。
「その証拠こそあれ[#「あれ」に傍点]でござる!」
 こう云うや弦四郎は身を翻《ひるが》えして、騎馬の一団の走って来る方へ、脱兎のようにひた[#「ひた」に傍点]走ったが、走りながらも茅野雄へ云った。
「貴殿を討って取ろうとして、丹生川平の郷民達が、押し出して来たのでござりますぞ!」
 それから刀をひっこ[#「ひっこ」に傍点]抜くと、騎馬の一団の走る方へ、高々と上げて差し招いた。
「方々ようこそ参られた! ご助勢くだされ! ご助勢くだされ! あそこに立っている侍こそは、怨敵白河戸郷に味方をする、某《なにがし》という痴漢《しれもの》でござる! 拙者が小枝を奪おうとしたのを、邪魔をいたしたそのあげく[#「あげく」に傍点]に、丹生川平のあたら若者を、五人がところ討ち取ってござる! 早々討ってお取りくだされ!」
 こう叫ぶと弦四郎は二度も三度も、けしかける[#「けしかける」に傍点]ように刀を揮った。





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