国枝史郎「沙漠の古都」(05) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(05)

        五

 その翌日のことである、ラシイヌとレザールと美術家とが、レザールの室で落ち合った。やっぱり麗《うらら》かな春の陽が、南欧桜の香と一緒に室の中へいっぱいに射していた。
「……夫人の話を聞いているうちに、動物園長のエチガライが、疑わしいと思いましたので……」
 レザールはいくらか恥ずかしそうな、思い違いを恥じるような、感激の伴なわないぼやけた声で、自分の解釈を一通り、ラシイヌに説明するのであった。
「さぐって見ようと思いましたけれど、ラシイヌさんのことですから、私より先に動物園へ行っていらっしゃるに違いないとこの友人のダンチョン君とも噂していたのでございます。するとはたしてあなたから電話がかかったというものです――しかし私はエチガライが、自分で犬の皮を着てマドリッド市中を駆け廻って市長の窓まで行ったとは夢にも想像しませんでした。私はこのように思いましたので――市長もエチガライも探検家だ。ところが市長は財産家で選ばれて市長の職にもついた。そこへエチガライが訪ねて来ると市長は熱心に周旋して園長の職につけてやった。時々金銭の援助もする。普通の友人の情誼《じょうぎ》としては少しく親切に過ぎるようだ。あるいは二人の間には他人に云われない利害関係が……つまり市長が探検先で不正財宝の発掘でもしてそれで財産家になったのを、あのエチガライが知っていて、世間へ発表しない代りに動物園の園長という立派な位置を得たのではないか? こう思っているとまた夫人が、市長の書斎の紙屑を、エチガライの世話した新米の女中が、掃き出してしまったと云ったのですから、ハハアそれではその紙屑は、不正財宝と関係のある、地図か証書かに相違ない。それを女中に盗ませたのはそれを種にしてきっと市長を脅迫して金でも取ろうとしたのだろう――そうして例の怪獣は、動物園の犬か狼へ人工で燐光を纒わせたもので、それを市長の眼前へ出して、驚かせたというのも、やっぱり脅迫の意味からで、すなわち燐光の怪獣と、不正財宝の間には何らかの脈絡があるのだろう。それを市長が見た以上厭でも応でも脅迫者の自由にならなければならないという、奇怪な弱点であるのかも知れない。そして市長が怪獣を見るや、ROV《ロブ》、湖、埋もれた都会と絶叫したということだから、不正財宝を発掘したのは、支那新疆の羅布《ロブ》の沙漠の、羅布湖のほとりに相違ない。そして市長は尚叫んで、恐ろしい狛犬といったというから、燐光を纒った怪獣はあるいは羅布湖の岸の辺に住民の尊敬する神殿でもあって、そこの社頭の狛犬と深い関係でもあるのかも知れない。とにかく事件の張本は園長エチガライに相違ないとこう睨んだのでございますが、しかしまさか園長自身が怪獣であるとは思いませんでした」
「夫人の話を聞いただけでそこまで看破したところに君の天才が窺われるね」
 ラシイヌは愉快そうに頷いたが、
「実はね、僕も、正直のところ、動物園で調べるまでは、やっぱり君と同じようにエチガライを疑っていたものさ。あいつが犯人に違いないとね。ところで僕は君の考えより、一つだけ余分に考えたってものさ。それは燐光の怪獣だが、これには必ず何らかの迷信がからまっているだろうと――そこで図書館へ飛んで行って、回鶻《ウイグル》辺に拡がっている土人の迷信を調べて見ると、あったあった大ありだ。あの辺にわずかに残っている、回鶻人の後裔達は――土耳古《トルコ》人との混血児《あいのこ》だが――燐光を纒った狛犬を彼らの神の本尊とし、狛犬を祭った神殿に対し、もしも無礼を加えたものは恐ろしい神罰を蒙《こう》むるだろうと、こう書いてあるその後へ、神罰の例が二つ三つ記してあったというものさ。神社の財宝を盗める者――狛犬の吠え声を耳に聞き、悪性の熱病にかかるべし。神殿の経文を盗めるもの――狛犬の姿を三度認め、三度目に命を失うべし云々……。
『それでは園長のエチガライは回鶻《ウイグル》人の後裔かな?』僕はその時疑ったものだ。とにかく僕は大急ぎで、動物園へ行ったものだ。真っ先に園長に逢って見ると、どうして立派な西班牙人だ。そして可哀そうに大病だ。しかも病気は神経病だ。脅迫観念に捉らわれている。それから女中に逢って見ると、一見土耳古《トルコ》の女だけれど支那人のようなところもある。しかしどのみち混血児《あいのこ》だ。僕は何気なく遠くから金貨を一つ投げてやった。すると女中は両足を開けて、腰を曲げながら受け取った。で男だとわかったのさ。投げられた物を受ける時女なら両足を閉じるからね。それから後は君が昨夜、親しく見た通りというものだ。回鶻《ウイグル》人という奴は――彼らだけではないけれど、一体に無智の人間ほど不思議な力を持っているもので、彼奴らはつまり妖術者なのだ。催眠術かも知れないが、とにかく一種の法力で、人間の心や体付きまで獣類に一変させるのだよ。……見込まれたのが園長だ。園長は決して悪人ではない。一個の学究に過ぎないのさ。学者という者は馬鹿のようなものだ。融通が利かないで正直だ。そこへ彼奴らはつけ込んだのさ。その上園長は市長の友で市長の家の案内を知り抜いているから好都合だった訳さ。そこで彼奴らは法術で――いわば一種の呪縛《じゅばく》だね。園長の意志を縛ってしまって、彼奴らの意志を代わりに注ぎ込み、かねて用意をして置いた細工を凝らした獣の皮をスッポリ園長へ着せてしまって、そこでおっ[#「おっ」に傍点]放したというものだ。こうして市長を脅かしたのさ。経文を盗んだくらいだから、もちろん市長はその狛犬の迷信も知っていたに違いない。燐光を放す狛犬を見てハッと思ったのは当然さ。それに市長は心臓病だ。一度ならず二度三度、そんな狛犬を見たとすると、心臓麻痺を起こすかも知れない。そうしてほんとに死んだかも知れない……ほんとにあぶないところだったよ。それで彼奴らは昨夜を最後に、引き上げようとしていたものさ。行きがけの駄賃に猛獣を放し、憎いマドリッドの市民達を――つまり彼らは東洋人で、あらゆる欧羅巴《ヨーロッパ》の人間を人種的に憎んでいるのだからね――食い殺させようと計ったものさ。幸い僕が気がついてすぐ警視庁へ電話をかけ、警官をひそかに呼び寄せておいて、園丁達に云いふくめ、あらかじめ猛獣を檻の中から出しておいたからよかったものの、そうでなかったら市民達の円《まど》かな眠りは醒まされたろう」
「しかしどういう方便で回鶻《ウイグル》人のあの男が園長と知るようになったのでしょう?」
「そんなことどうだっていいじゃないか。そこが学究の馬鹿な点さ。実はね、ここへ来る前に病院へちょっと寄ったものさ。エチガライ氏にいき逢ってその点について訊いて見ると、その説明が面白い――それはある時エチガライ氏が町を散歩していると、若い女の乞食《こじき》が来て手の中を乞うたというものだ。と見ると女の容貌が微妙な雑種を呈していて氏の好奇心をそそったので、そのまま家へ連れて来て女中に使っているうちに、友人の市長に懇望され譲ってやったということだった」
「聞いてみれば何んでもありませんなあ」
 レザールは思わず呟いた。
「どうです」とラシイヌは画家を見て、「あなたがもしも小説家ならよい小説が出来ますな」
「神秘でそして幽幻で大変面白い材料です。空想画として面白い。燐光を放って走って行く、獣のような人間を、一つ油《オイル》絵で描きましょうかな」
「獣人というような題にしてね」
 ラシイヌは笑って云ったものである。
 麗《うらら》かな春の午後である。



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