国枝史郎「生死卍巴」(23) (せいしまんじどもえ)

国枝史郎「生死卍巴」(23)

白皓々

 切って来た鋭い敵の刀を、抜き合わせて茅野雄が払ったのであった。
 茅野雄は巡《まわ》った! 木立を巡った。もう一本の木立へ来た。
 刀光! 意外! 敵がいた! 閃めかして茅野雄へ切ってかかった。
 また太刀音! が、しかしだ! 既に茅野雄はこの時には、身を翻えして遁れていた。
 この間も茅野雄は考えた。
(信者なら声をかけるはずだ! 「神殿を荒らす背教者でござるぞ! 出合え! 方々!」――と、こんなように! ……ところがこいつは黙っている。……何者だろう? 何者だろう? うむ、五人だな! おッ、来おる!)
 闇を一層に闇にして、五人の人影が塊《かた》まって、迫って来るのが幽かに見えた。
 と、その次に起こったことは、数合の太刀音のしたことと、一人の人影が地上へ仆れ、仆れながら何かを投げたことと、その人影が起き上った時、一人の男が唸《うな》り声をあげて、ドッと地上へ仆れたことと、仆れた人間を切り刻もうとして、五人の人影が飛びかかったことと、洞窟の入り口へ光が射して、すぐに一点龕燈《がんどう》の光が、闇へ花のように浮かび出たことと、全裸体《まるはだか》の乙女がその龕燈を捧げて、悩ましそうな眼付きをして、投げられた丸太に足を打たれ、地上へ仆れている茅野雄の姿と、茅野雄を切って刻もうとして、醍醐《だいご》弦四郎と彼の部下の、半田伊十郎と他五人とが、茅野雄の周囲に集まっているのを、順々に見廻したこととであった。
「浪江殿ではござらぬか※[#感嘆符疑問符、1-8-78]」
「……その姿は? ……白皓々《はくこうこう》!」
 茅野雄と弦四郎とは同時に云った。

 それから数日後のことであった。三挺の駕籠が前後して、花の曠野へ現われた。
 曠野へ駕籠が三挺出て、すこしばかり先へ進み出した時、もう一挺の駕籠が出て、三挺の駕籠へ追いついた。
 数日前に萩村の駅《うまやじ》の、柏屋という旅籠《はたご》屋から、乗り出した駕籠に相違ない。
 では真っ先の駕籠にいるのは、いわれぬ威厳を持ったところの、高貴な身分の若武士《わかざむらい》であろうし、その次の駕籠にいる者は、松平碩寿翁その人であろうし、その次の二挺の駕籠にいるのは、身分に見当の付かないような、小気味の悪い老人と、若い美しい娘とであろう。
 さてこうして四挺の駕籠が、丹生川平と白河戸郷とを、連絡している花の曠野へ、同時に姿を現わした。どっちかの郷へ行かなければなるまい。
 と、はたして四挺の駕籠は、白河戸郷の方角へ向かって、ゆるゆると歩みを進ませて行った。
 と云うよりも真っ先の駕籠が、白河戸郷の方角を目ざして、ゆるゆるとして進んで行くので、碩寿翁の乗っているもう一挺の駕籠が、その駕籠についてその方へ進み、碩寿翁の乗っているその駕籠が、その方へ進んで行くところから、それをつけて[#「つけて」に傍点]その次の二挺の駕籠が、その方へ進んで行くのだと、こう云った方がよさそうであった。
 進み進んで四挺の駕籠が、曠野から姿を消した時、白河戸郷の盆地の上の、丘の一所へ現われた。
 そこから姿の消えた時には、盆地の坂を下っていた。
 が、そうして四挺の駕籠が、白河戸郷へ到着するや、幾つかの事件が行なわれた。
 衆を集める鐘の音が、回教寺院めいた建物から響くと、耕地からも往来《みち》からも家々からも、居酒屋からも、花園からも、大人や子供や男や女が、一度に鬨《とき》を上げて集まって来て、四挺の駕籠を取り巻いてしまった。
「誰だ誰だ! 何者だ!」
「神域へ無断で入って来た! 追い払ってしまえ! 虐殺してしまえ!」
「とにかく将監《しょうげん》様へお知らせしろ!」
「どんな奴が駕籠に乗っているのだ! 駕籠の戸をあけて引きずり出せ!」
 郷民達が声々に喚いた。
 と、その時一人の老人が、幾人かの郷民に囲繞されて、四挺の駕籠の方へ近寄って来たが、
「拙者は白河戸将監でござる。白河戸郷の長でござる。何用あって参られたか?」
 こう四挺の駕籠に向かって云った。
 と、その声に応じて一挺の駕籠から、一ツ橋慶正《よしまさ》卿が悠々と現われ、もう一挺の駕籠から碩寿翁が現われ、もう二挺の駕籠から老人と美女――他ならぬ刑部《おさかべ》老人と、巫女《みこ》の千賀子とが現われた。
 そうして一ツ橋慶正卿が、何やら将監へ囁いた。
 と、形勢が一変した。
 郷民達が慇懃《いんぎん》になり、一度に揃って慶正卿へ、ひざまずいて頭を下げたりした。将監においても丁寧になり、恭しく慶正卿に一礼し、それから自身が先頭に立って、回教寺院めいた建物の側の、一宇の屋敷へ案内した。それは将監の屋敷らしかった。
 ところで碩寿翁と刑部老人と、巫女の千賀子とはどうしたかというに、これも将監に案内されて、慶正卿につづいて将監の屋敷へ、同じく招待されたのであった。
 で、その後は白河戸郷は、以前《まえ》ながらの平和に帰ったが、その平和には活気があって、明るさを加えたようであった。

 これに反して丹生川平の方は、陰鬱の度を加えて来た。
 わけても陰鬱になったのは、宮川茅野雄その人であって、ある日人目を避けながら、森林の中を浪江と一諸に、話をしながら歩いていた。
「あれは何事でございますか! 若い乙女の身をもって、一糸もまとわぬ全裸体《まるはだか》で、あのような所におられましたのは?」
「止むを得なかったからでございます。……それにあの時ばかりでなく、従来《これまで》もああだったのでございます」
「尚よくないではございませんか。何のためにあんなことをなされるので?」
「お父上がせよと仰言《おっしゃ》いますので」
「私には伯父上の、覚明殿が?」
「そうして丹生川平から申せば、祭司であり長である怖い方から」





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