国枝史郎「生死卍巴」(26) (せいしまんじどもえ)

国枝史郎「生死卍巴」(26)

恐ろしき予感

 そこで浪江は先へ立って進んだ。
 はたして関門が行く手にあった。
「ね、妾だよ。門をおあけ」
 浪江は何気なさそうに声をかけた。
 と、内側から男の声がした。
「ああお嬢様でございますか。……が、今頃何のご用で?」
「妾はおあけと云っているのだよ。……何の用であろうとなかろうと、お前には関係のないことだよ。……門をおあけ! ね、おあけ」
 内側では考えているようであったが、やがて閂を外すらしい、軋《きし》り音《ね》が鈍く聞こえてきて、やがて関門の扉があいた。
 内側に燈火《ともしび》があったと見えて、開けられた扉の隙間から、ボッと光が射して来た。
 が、すぐ隙間から顔が覗いた。
「お嬢様、……背後《うしろ》におられるお方は?」
 覗いたのは番人の顔であって、浪江の背後に佇んでいる、茅野雄に疑問をかけたのであった。
 しかしその次の瞬間には、簡単な格闘が演ぜられていた。扉を押しひらいて内へ入った茅野雄が、組みついて来た番人の急所へ、あて身をくれて気絶をさせ、猿轡《さるぐつわ》をかませ手足を縛り、地上へころがしてしまったのである。
 茅野雄と浪江とは先へ進んだ。燈火《ともしび》が仄《ほの》かに点《とも》っていて、歩いて行く二人の影法師を、しばらくの間行く手の地面へ、ぼんやりと黒く落としてい、左右の岩壁に刻られてある、奇怪な亜剌比亜《アラビア》の鳥類の模様を、これもぼんやりと照らしていた。
 やがて二人の姿は消えた。
 道が左の方へ曲がったからである。
 が、間もなく二人の姿は、第二の関門の前に来ていた。
「ね、妾だよ、門をおあけ」
「ああお嬢様でございますか! ……が今頃何のご用で?」
「妾はおあけと云っているのだよ。……何の用であろうとなかろうと、お前には関係のないことだよ。……門をおあけ! ね、おあけ!」
 以前《まえ》と同じような問答の後に、関門の扉が同じように開けられ、そうして同じような格闘が、以前のように行なわれたあげく、番人が地上へころがされ、茅野雄と浪江とが先へ進んだ。
 こうしてまたも関門へ出、同じような状態で関門を破り、先へ進んで行った時、茅野雄と浪江とは前の方に、一つの怪異な光景を見た。

「これは大急ぎで行かなければいけない」
 大森林の中を白河戸郷をさして、歩いていた一ツ橋慶正卿は、にわかにこう云って碩寿翁達を見た。
「それはまた何ゆえでございますかな?」
 こう碩寿翁は意外そうに訊いた。
「お前達みんなが取り合おうとしている、その[#「その」に傍点]物が人の手に渡ろうとしている」
「いやそれは大変なことで! ……しかしどうしてそのようなことが?」
「わし[#「わし」に傍点]だけには解る理由があるのだ」
「ではこうしてはおられませんな」
「それに二人の立派な男女が、虐殺の憂目に逢おうとしている」
「丹生川平《にゅうがわだいら》ででございますかな?」
「そうだ、丹生川平でだ」
「急いで行こうにも道程《みちのり》はあり、ことには歩きにくい森林ではあり……」
「そうだ、どうも、それが困る」
 慶正卿はこう云ったが、四辺《あたり》に放牧されている、野馬の群へ眼をつけると、
「うん、ちょうど野馬がいる。これへ乗って駈け付けることにしよう」
「よい思い付きにございます。では私もお供しましょう」
「刑部《おさかべ》老人と千賀子殿とは、まさか野馬には乗れまいな。またお前達二人などは、急いで駈けつける必要はない。後からゆっくり来られるがよい」
 こう云った時には慶正卿は、既に一匹の野馬の背へ、翻然として飛び乗っていた。
 そうして飛び乗った、次の瞬間には、大森林を縫って走らせていた。
 その後からこれも野馬に乗った碩寿翁が走らせていた。

 はたしてこの頃丹生川平では、恐ろしい事件が起こっていた。
「さあ火をかけろ!」
「火で焼き切れ!」
「どうでも扉はひらかなければいけない」
 洞窟の入り口に屯《たむろ》している、丹生川平の郷民達は、こう口々に喚きながら、枯れ木や枯れ草をうず[#「うず」に傍点]高いまでに、洞窟の扉の前に積んだ。
 茅野雄と浪江が郷民を切って、洞窟の内へ入り込んで、内から扉をとじてしまった。呼んでも呼んでも返辞をしない。扉をあけろと命じても、番人は返辞《いらえ》さえしようとしない。
 で、郷民達はこう思った。
(茅野雄が番人を切り殺し、内側から閂をかって[#「かって」に傍点]置いて内陣の方へ行ったのであろう)と。
 内から閂をかった[#「かった」に傍点]が最後、外からは開かない扉であった。火をかけて焼いて焼き切るより、開く手段はない扉であった。
 しかし郷民達は躊躇した。
(浪江殿は教主覚明殿の、一人娘ごであられるし、茅野雄殿は教主覚明殿の、一人の甥ごであられるのだから、扉を焼き切って洞窟内へ乱入してお二人を討ち取ることは、覚明殿に対してどうだろう?)
 で、郷民達は躊躇した。
 しかしその時郷民達に雑って、歯を食いしばり地団駄を踏み、洞窟の扉を睨みつけていた宮川覚明が、長髪を揺すり、狂信者にありがちの兇暴性を現わし、こう吼えるように怒号した。
「かまわないから火をかけろ! 扉を焼き切って乱入しろ! 茅野雄と浪江とが奥の院の、内陣にまで行きつかないうちに、追い付いて討って取るがよい! 洞窟内には関門がある! いくつとなく関門がある。厳重に番人が守ってもいる! 容易に破って行くことは出来ない。そこが我々の付け目とも云える! 二人を内陣へ行かせてはいけない! どうしても途中で討って取らなければいけない! ……娘でもない甥でもない! 我々に取っては教法の敵だ! 教法の敵の運命は、自ら一つに定《き》まっている! 刃《やいば》を頭上に受けることだ! ……さあやっつけろ! 火をかけろ!」
 これでやるべきことが定まった。
 間もなく煙りが渦巻き上り、火焔が扉へ吹きかかった。

 一方醍醐弦四郎は、曠野をズンズンと潜行して、間もなく白河戸郷を巡っている、丘の一つの頂きへ着いた。
 灌木の陰へ身を隠しながら、白河戸郷を見下ろした。
「これは一体どうしたんだ!」
 何を弦四郎は見たのであろう? いかにも驚きに打たれたように、こう頓狂な声を上げた。
 眼の下に見える白河戸郷に、一大事が起こっていたからであった。
 すなわち人家や牧場や、花園や売店や居酒屋などから、老若男女子供までが、得物々々をひっさげて、盆地の中央に聳えている、真鍮の天蓋型の屋根を持った、回教寺院《モスク》型の伽藍の方向へ向かって、波の蜒《うね》るように押し出して行き、その回教寺院を破壊するべく、得物々々を揮っているのであった。
 で、そこから聞こえてくるものは、人の喚き声と物の破壊《こわ》れる音とで、そうしてそこから見えて来るものは、砂塵と日に光る斧や槌や、鉄の棒や、鉞《まさかり》や刃物なのであった。
 内乱が起こったと見るべきであろう。
 この勢いで、時が経ったなら、白河戸郷という神域別天地は、間もなく滅亡してしまうであろう。
(これは内乱に相違ない! が、どうして内乱なんかが?)
 丘の頂きに立ちながら、そういう光景を眼の中へ入れた、醍醐弦四郎はそう思ったが、しかし、弦四郎の身にとって見れば、白河戸郷に内乱のあるのは、まさにもっけ[#「もっけ」に傍点]の幸いであって、内乱の事情などどうであろうと、かかわるところではないのであった。
 そこで弦四郎は部下を連れて、盆地を下へ走り下った。
(どさくさまぎれに小枝《さえだ》を攫《さら》おう)
 こう思ったからであった。





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