国枝史郎「生死卍巴」(27) (せいしまんじどもえ)

国枝史郎「生死卍巴」(27)

新しき登場者

 さてこういう出来事が、白河戸郷や丹生川平の、二つの別天地に起こっている時、この別天地をつないでいる、花の曠野へ四挺の山駕籠が、浮かぶがように現われて来た。
 何者達が乗っているのであろう?
 勘右衛門とお菊と弁太と杉次郎とが、駕籠には乗っているのであった。
 愛と憎とのもつれ合っている、この四人の男女のものが、どうしてこのように一緒になって、このような所へ来たのであろう?
 勘右衛門がお菊を訊問することによって、お菊が勘右衛門の大切にしていた、例の品物を京助の手により、古物商の刑部老人の元へやったということを知ることが出来た。そこで勘右衛門は刑部の家を訪ねた。旅へ向かって立ったという。
 そこで勘右衛門は手を尽くして、刑部の旅先を突き止めようとした。
 勘右衛門は抜け荷買いをしたほどの男で、異国の事情に通じていたし、長崎の事情にも通じてい、刑部という老人が、長崎辺りの蘭人達と、取り引きをしているということなども、ずっと以前から知っていた。
 つまり勘右衛門は刑部老人の、素性《ひととなり》と行動とを知っていたのであった。
 したがって刑部老人が、あの大切な品物を持って、どの方へ旅立って行ったかについても、大体見当をつけることが出来た。
(長崎へ行ったに相違ない)
 しかしだんだん探って見たところ、飛騨の方へ行ったということであった。
(これは一体どうしたことだ?)
 勘右衛門には意外であった。
 しかし、それから筋を手繰《たぐ》って、一層くわしく探ったところ、巫女《みこ》の千賀子も刑部老人と一緒に、飛騨の方へ行ったということであった。
 そこで勘右衛門は決心をして、飛騨の方へ追って行くことにした。
 その時勘右衛門は女房のお菊や、杉次郎や弁太を自分の前へ呼んで、こういう意味のことを話して聞かせた。
「お菊、お前は何にも知らないで、京助の手からあの大切な品を、刑部老人の元へやって、わずかばかりの金に換えようとしたし、杉次郎殿や弁太さんなどは、京助からあの品を取り戻そうとした私を、あんな塩梅《あんばい》に邪魔をしたが、それはいずれもあの品物の、素晴らしい価値を知らなかったからだ。私はお前さん達に正直に云うが、あの品物は今の私の家の、全財産よりも価値のあるものだ。それをお前達はよってたかって[#「よってたかって」に傍点]、私の手元からなくなしてしまった。……今になってはそれも仕方がない。で私はあれを取り返しに、飛騨の方へ旅をすることにした。お前さん達も一緒に行ってはどうか」
 こう云われてお菊や杉次郎達は、今さら自分達のやったことを、後悔せざるを得なかった。
 そうして彼らは勘右衛門と一緒に、その品物を取り返す旅に、出て行くことに決心した。
 とは云うもののお菊などは、飛騨というような山国などへは、こんな機会がなかろうものなら、生涯行っては見られないだろう。よい機会だから行ってみようという、そういう心理に動かされてはいた。
 また杉次郎は情婦のお菊が、旅に出かけて行くというので、別れるのが厭だという心持から、一緒に行く気になったのであり、弁太は弁太で行を共にしたら、うまい儲け口があるかもしれない。――そう思って行くことにしたのであった。
 勘右衛門にしてからが考えがあった。
(杉次郎や弁太はお菊をとり巻いて、よくないことをやっている。こいつらを江戸へ残して置いては、どんなことをやり出すか分らない。旅へ一緒に連れて出たところで、手助けにも何にもなりはしないが、江戸へ残して置くよりはいい)
 で、四人は旅へ出て、辿り辿ってこの曠野へまで、今や姿を現わしたのであった。
(本来あの品は二つある品だ。二つあると飛び離れた価値になる。刑部老人はその素性から、また商売の関係から、あの品物の二つあることを、心得ているに相違ない。その刑部老人が、飛騨の国へ来たのである。ではあるいは飛騨の国に、もう一つの品があるのかも知れない。それを得ようとして来たのかもしれない)
(そればかりか千賀子までも一緒に来たそうだ。千賀子に至ってはあの品物の、どういう品物であることか、どれだけの価値のあるものかを、自分の物のように知っているはずだ。その千賀子が刑部老人と一緒に、この飛騨の国へ来たのである。では、いよいよもう一つの品が、この国にあるものと見てよかろう)
 道々勘右衛門はこう思って、好奇心と興味と慾望とを起こし、自分こそ失った例の品と、そのもう一つの品物とを、手に入れようと希望したりした。
 こうして今や曠野まで来た。
 と、一方から大勢の者が、この四人の駕籠の方へ、群て歩いて来るのが見られた。
 白河戸郷の方角から、その大勢の者は来るのであった。

 洞窟の奥の神殿の前に佇んでいる男女があった。宮川茅野雄と浪江とであった。
 神殿の扉がひらかれていて――開いたのは茅野雄その人なのであったが――内陣のご神体が見えていた。
 六尺ぐらいの異国神の像で、左の一眼が鯖《さば》色の光を、燈明の火に反射させていた。
 それだのにどうだろう、右の一眼は、盲《めし》いたままになっているではないか。眼窩《がんか》は洞然《ほこらぜん》と開いているが、眼球が失われているのである。
 アラ神であるということは、多少とも回教を知っている人には、看取されたに相違《ちがい》ない。
 そのアラ神を囲んでいる厨子《ずし》が、宝石や貴金属や彫刻によって――アラビア風の彫刻によって――精巧に作られちりばめられてあり、厨子の前方燈明の燈《ひ》に――その燈明の皿も脚も、黄金で作られているのであったが――照らされているありさまは、神々《こうごう》しいものの限りであった。
 神殿は石段の上にあり、その石段もこの時代にあっては珍らしい大理石で作られていた。
 しかし建物は神殿ばかりではなく、神殿から云えば東北の辺りに、二棟の建物が建ててあった。いずれも導師が祈祷をしたり、読経を行なう所らしい。
 その中の一棟の建物の床から、泉が湧き出して流れてい、その流れの岸の辺りに、黒い色の石が据えてあった。
 が、もう一棟の建物の横には、三基の墳塋《はか》が立てられてあり、その前にも燈明が点《とも》されていた。
 茅野雄には解っていなかったが、それらの建物や墳塋や泉や、黒石などは回教の本山、亜剌比亜《アラビア》のメッカに建てられている、礼拝堂《ハラグ》に則《のっと》って作られたものであった。
 すなわち泉はザムであり、また黒石はアラオであり、墳塋は教主のマホメットと、その子と、弘教者《ぐきょうしゃ》のオメルとの墳塋で、回教の三尊の墳塋なのであった。
 そういう建物や墳塋を蔽うて、洞窟の壁と天井とがあったが、壁の面《おもて》にも天井にも、さまざまの彫刻が施こしてあり、いろいろの装飾が施こしてあった。
 そういう洞窟の一所に立って、茅野雄と浪江とは神像を眺め、言葉もなく黙っているのであった。
 幾人かの人間を切ったことなど、茅野雄の考えの中にはなかった。今にも覚明を初めとして、丹生川平の郷民達が、洞窟の扉を破壊して、ここへ無二無三に殺到して来て、自分達を討って取るだろうという、そういう不安さえ心になかった。
 奇怪と荘厳とを一緒にしたような、妙な気持に圧迫されて、押し黙っているばかりであった。
 と、浪江の囁く声がした。
「ご神体は贋物なのでございます。ご覧の通り一方の眼だけが、見ひらかれて鋭く輝いております。でももう一方の眼は潰れております。……父上は開いている一方の眼だけを、手に入れたばかりでございました。その一つの眼を基にして、あのご神体を作ったのでした」
「…………」
 茅野雄は返辞をしようともせず、その輝いている一眼へ、恍惚とした眼を注いでいた。
 茅野雄は自分の心持が、抑えても抑えても抑え切れないほどに、その一眼を手に入れたいという、慾望に誘惑されるのを感じた。
(あの眼の光に比べては、名誉も身分も財産も、生命までも劣って見える)
 茅野雄は深い溜息をしたが、誰かが背後から押したかのように、思わず前へ突き進んだ。
 いつか茅野雄は石段を上り、神殿の前に立っていた。
 と、茅野雄は腕を延ばしたが、グルグルと神像の首を捲いて、右手で刀の小柄《こづか》を抜くと、神像の眼をえぐりにかかった。
「あ、茅野雄様!」と恐怖に怯《おび》えた、浪江の声が聞こえて来た。しかし夢中の茅野雄の耳には、聞こえようとはしなかった。
 浪江はそういう茅野雄を見ながら、体をこわばらして佇んでいたが、うっちゃっては置けないと思ったからであろう、石段を茅野雄の方へ走り上った。
「あまりに勿体のうございます!」
 浪江は茅野雄の右の腕に縋《すが》った。
 が、すぐに振りほどかれた。しかし浪江は一所懸命に、再度茅野雄の腕に縋った。が、またも振りほどかれた。





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