国枝史郎「沙漠の古都」(06) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(06)

    第二回 沙漠の古都


        六

[#天から4字下げ](以下は支那青年張教仁の備忘録の抜萃である)
 夕暮れは室へも襲って来た。卓上のクロッカスの鉢植えの花は、睡むそうに首を垂れ初《そ》めた。本棚の上に置かれてあるバスコダガマの青銅像《ブロンズ》の額の辺へも陰影がついた。隣室を劃《くぎ》った垂帳《たれまく》のふっくりとした襞の凹所《くぼみ》は紫水晶のそれのような微妙な色彩《いろあい》をつけ出した。
 壁にかけられた油絵のけばけばしい金縁の光輝《ひかり》さえ、黄昏《たそがれ》時の室の中の、鼠紫の空気の中では毒々しく光ることは出来ないらしい。あちこちに置かれた玻璃《はり》の道具、錫の食器、青磁の瓶――燈火《ともしび》の点《つ》かない一刻を仮睡《うたたね》の夢でも結んでいるように皆ひそやかに静まっている。
 月はもう空に懸かってはいるがしかし太陽は没していない。昼でもなければ夜でもない。夜と昼との溶け合った真に美しい一刻である。
 薄暮時《たそがれどき》のこの一刻を、私はしばらく味わおうとして食堂の椅子へ腰かけていた。
 耳を澄ませば窓の外の芭蕉や蘇鉄の茂みから孔雀の啼き声が聞こえて来る。名残の太陽を一杯に浴びてまだまだ戸外は明るいと見える。孔雀の啼き声と競うように高い鋭い金属性の鸚鵡《おうむ》の啼き声も聞こえて来る。窓外の壁板に纒っている冬薔薇の花が零《こぼ》すのであろう、嗅ぐ人の心を誘って遠い思い出へ運んで行くような甘い物憂いまた優しい花の香が開け放された窓を通して馨って来る。その花の香に誘われて私の心は卒然と三年前に振りすてた故国の我が家へ帰って行く。……
 夕の鐘が鳴り出した。回教寺院《モスク》で鳴らす祈祷の鐘だ。冬といってもこの西班牙《スペイン》のマドリッドの暖さはどうだろう! 秋の初めと変りがない。雪は愚か雨さえもこの一ヵ月降ろうともしない。乾き切った十二月の空を通して鳴り渡る回教寺院《モスク》の鐘の音の音色の高いのは当然だ。しかし神々しい鐘の音ももう明日からは聞かれまい。明日はこの国ともおさらばだ。東洋と西洋とを一つに蒐《あつ》めて亜弗利加《アフリカ》の風土を取り入れたような、異国情調のきわめて深い世にも懐しい西班牙《スペイン》を立って明日は沙漠へ向かわねばならぬ。支那の西域羅布《ロブ》の沙漠! そこへ私は出かけるのだ。沙漠は私を呼んでいる。その呼び声を聞く時は西班牙《スペイン》を懐かしむ心などは跡方もなく消えてしまう! 私は今日までまあどんなにその呼び声を待ちかねたろう……冬薔薇の匂いがまた匂う。三年前に立ち去った故国の我が家の面影がまたもわが眼に映って来る。私の思い出はその家へ今なつかしく帰って行く。

 支那広東裳花街。そこに私の家がある。家といっても父も母も遠い昔に死に絶えてたった一人の妹だけが老婆の召使いと二人きりで寂しく暮らしているばかりだ。父母は革命の犠牲となって袁世凱《えんせいがい》の軍に殺された。そして家財は没収され家の大半は焼き払らわれてしまった。その時私は十五歳であった。そうして妹は十一であった。忠義な召使い夫婦の者に私達兄妹は救われた。焼け残った家へ立ち帰って父母の屍《なきがら》を葬ってからの私達兄妹の生活は昔の栄華に引き代えて世にも貧しいものであった。南支那切っての貿易商、南支那切っての名門の家――その家の形見の私達兄妹は世間の人達からは嘲笑され生き残った召使い達には逃げられて、私達兄妹を助けてくれた老召使い夫婦の者だけにかしずかれてわずかに生きていた。そのうち召使いの老人は弾傷が原因《もと》でこの世を去り私達二人の孤児《みなしご》は良人を失った老婆一人を手頼《たよ》りにしなければならなかった。私は実際その時まではただ可哀そうな名門の児――意気地のない貴公子に過ぎなかったがこの時慨然と震い立った。私は剣をとったのだ。革命党に参じたのだ。孫逸仙の旗下に従《つ》いたのである。
「黄蓮!」と私はある日のこと――慨然と立ったその日のこと妹に決心を打ち明けた。「私を自由にさせておくれ。私を戦《いくさ》に行かせておくれ。父母の仇敵は袁世凱だ。あいつを生かしては置かれない。あいつは民国の仇なのだ! あいつをこのまま放抛《うっちゃ》って置いたらきっと皇帝になるだろう。あんな匹夫を皇帝に戴いて私達は生きていられるかい。あいつは匹夫で姦賊なのだ! 曹操のような人間だ。なんの曹操にも当たらない。あいつはむしろ王※[#「くさかんむり/奔」、34-12]《おうもう》なのだ! 王※[#「くさかんむり/奔」、34-12]を皇帝に戴いた時の漢の天下はどうだったろう? 酷《ひど》い塗炭の苦しみに人民はどんなにもがいたかしれなかった。王※[#「くさかんむり/奔」、34-14]よりももっと袁世凱は匹夫なのだ。その上父母の仇敵だ。私はあいつを討つために革命軍に投じようと思う。どうぞ私を行かせておくれ。私が行ってしまったらお前はきっと寂しいだろう。お前の寂しさを思いやると私の決心は弛むけれど、国の大事には代えられない。たとえ戦に出て行っても時々家へ帰って来よう。そうしてお前を慰めてあげよう。私は決心したのだよ。私を自由にさせておくれ」
 すると妹は微笑して――眼には涙を溜めてはいたが――私の言葉に頷いた。
「私に心配はいりません」妹は優しく云ったものである。「私は老婆《ばあや》とお留守をしていつまでもここにおりましょう。そして兄さんのご決心がとげられるように神様へお祈りをしておりましょう」
 優しい妹のこの言葉で決心は一層堅くなった。そこで充分妹のことを老婆に頼んだその後で私は家を出たのであった。孫文元帥の陣中では私は最初旗手であった。しかし間もなく自分から望んで軍事探偵の任務を帯び窃《ひそ》かに北京へ忍び込み讐敵の動静を窺った。袁総統の権勢は飛んでいる鳥を落とすほどで容易に接近出来なかった。それでも私は根気よく彼の身辺を窺《うかが》った。こうして星移り物変り幾星霜が飛び去って行った。果然王※[#「くさかんむり/奔」、35-7]《おうもう》は頭巾を脱いでその野望をあらわした。袁皇帝と称えようとした。釜で煮られる湯のように中国はにわかに騒ぎ立ち袁討伐の呪いの声が津々浦々にまで鳴り渡った。国民の輿望を一身に負って袁討伐の征皷を四百余の州に響かせたのは孫文先生その人で、漢の代の王※[#「くさかんむり/奔」、35-10]を滅ぼした劉秀がこの世へ現われたかのように、先生の態度は勇ましく先生の人望は目覚ましかった。
 その頃私は名を変じ身分を変え、軽奴となって袁総統宮殿の門衛の一人に住み込んでいた。そうして機会を窺って国と父母の仇を刺そうとした。

 ある夜深更のことであった。おりから春の朧月が苑内の樹立《こだち》や湖を照らし紗の薄衣《うすもの》でも纒ったように大体の景色を※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《ろう》たけて見せ、諸所に聳えている宮殿の窓から垂帳《たれまく》を通して零《こぼ》れる燈火《ひ》が花園の花木を朧ろに染め、苑内のありさまは文字通り全く幻しの園であった。私は詰め所からうかうか出て苑内深く逍遙《さまよ》って行った。あたりは森《しん》と静かである。誰も咎める者もない。
「寂々タル孤鶯ハ杏園ニ啼キ、寥々タル一犬ハ桃源ニ吠ユ――」
 自分はその時劉長卿の詩を何気なく中音に吟じながら奥へ奥へと歩いて行った。そういえばほんとに花園の中で鶯が寝とぼけて啼いている。犬も遠くの方で吠えている。
「顛狂スルノ柳絮ハ風ニ随ツテ舞ヒ、軽薄ノ桃花ハ水ヲ逐フテ流ル――」
 杜工部の詩を吟《うな》った時には湖水に掛けた浮き橋を島の方へいつか渡っていた。橋を渡って島へ上り花木の間に設けられてある亭《ちん》の方へ静かに歩いて行った。
 その時嗄がれた老人の声が亭《ちん》の中から聞こえて来た。
「そこへ来たのは何者じゃ? いや何者でも構わない。話し相手になってくれ――さあここへ来て腰をかけろ」
 私はちょっと驚いたが構わず中へはいって行った。でっぷり肥えた小作りの、粗末な衣裳を身に纒った老人が縁に腰かけている。大輪の木蘭の花の影が老人の顔の上に落ちているのでハッキリ輪廓は解らなかったが、老人はじっと眼を閉じて何か考えているらしく、身動き一つしなかった。私も縁へ腰かけた。こうして二人はしばらくの間ものも云わずに向かい合っていた。
 と、老人は眼を開き、その眼を私に注いだが、
「お前はこの景色をどう思うな? 林泉、宮殿、花園、孤島、春の月が朧ろに照らしている。横笛の音色が響いて来る……美しいとは思わぬかな? ――もっともお前は打ち見たところまだ大変若いようだ。自然の風景の美しさなどには無関心かも知れないが」
「美しい景色だと思います。雄大ではありませんが華麗です。自然というよりも人工的で技巧の極致を備えています」
「君はなかなか批評家だ。いかにも君の云う通り技巧に富んだ風景じゃ。君はこういう庭園を所有したいとは思わぬかな?」
「所有《も》ってみたいとも思いますし、所有《も》ってみたくないとも思います」
 私が云うと老人は嗄がれた声で笑ったが、
「君はなかなか皮肉屋だね。ところで君のその言葉の、意味の説明を聞きたいものじゃ」
「これという意味もありませんが、こういう庭園を持つ者は王侯以外にはございません。こういう庭園を持つという意味は王侯になることでございます。男子と生まれて王侯となるのは目覚ましいことでもございますし願わしい限りでもございますが、さて王侯になって見たら側目《わきめ》で見たほどには楽しくもなく嬉しくもないかも知れません。楽しくも嬉しくもないのならこんな庭園を所有するような王侯になっても仕方がない。こう思うからでございます」
 すると老人は忍び音に面白そうに笑ったが、
「君は老子の徒輩と見える、虚無恬淡《てんたん》の男と見える。二十《はたち》そこそこの若い身空でそう恬淡では困るじゃないか。どうやら君はここへ来る時詩を微吟していたらしいが、無慾の君のことだから、『贈[#レ]僧《そうにおくる》』という杜荀鶴の詩でも、暗誦していたんじゃあるまいかな?」
「いいえ」と私は笑いながら、「杜荀鶴のその詩は存じません。私の吟じたのは杜工部です」
「知らぬというのなら教えてやろう――私《わし》には思い出の詩じゃからの」
 老人の言葉には威厳がある。底知れないような深みもあり聴いている人を押しつけるような圧力さえも持っていた。私は次第にこの老人に敬服するようになって来た。そして私は疑った。
「この老人は何者だろう? 官人かそれとも府の役人か? ただ者のようには思われない」しかし老人の顔の上には依然として木蘭の花の影が黒々と落ちているために確かめることは出来なかった。
 その時老人は感慨をこめて杜荀鶴の詩を微吟した。
「利門名路両ナガラ何ゾ憑ラン、百歳ハ風前短焔ノ燈、只恐ラクハ僧ト為テ心了セザルコトヲ、僧ト為テ心了セバ総テ僧ニ輸セン――どうじゃな、これが杜荀鶴の詩じゃ。上手の作とは思わぬが私にとっては思い出の詩じゃ。只恐ラクハ僧ト為テ心了セザルコトヲ、私《わし》は若い時この詩を読んで一生の目的を定めたのじゃ。実はこの私《わし》も若い時にはちょうどお前と同じように名利の念に薄かった。布衣《ほい》であろうと王侯であろうと人間の一生は同じことじゃ。王侯などになったならかえって苦労が多かろう。布衣の方がなかなか気楽らしいなどと思っていたものじゃ。しかるにこの詩を見た時に私はほんとにこう思った。浮世を捨てて僧に成ってさえ決して心了せないものを布衣でいたなら尚のこと心は満足しないだろう。どのような位置にいたところで人の心は安まらない。同じく心が安まらないものなら、人と産まれた果報には、思い切ってこの身を働かせて大事業をするのも面白かろう。それが男子の本懐じゃ! つまりこのように思ったのじゃ。そこで私《わし》は考えた。富貴に向かおうか王侯に成ろうかとな、私《わし》は両方を征服しよう! 慾深くこのように考えた。それから私は努力《つと》めたものだ。二十年三十年四十年、馬車馬のように突き進んだ。そして美しかった青年の私《わし》が、いつの間にかこんな老人となり死病にさえもとりつかれて余命少くなってしまった。なるほど私《わし》は人間として得べきだけの福禄は得たけれど、得れば得るほど尚得たいという望蜀の念に攻められて安穏の日とては一日もない。そして私《わし》には敵がある。兇刃、鴆《ちん》毒、拳銃の類が四方八方から取り巻いている。そして私には死んだ人々の怨霊が日夜憑ついていて安らかな眠りを妨げる。私は金持ちだが金持ちだけにもっと大金が欲しいのじゃ。小さな野心は大野心を孕《はら》み大きな野心は最大の野心を産む。あらゆる人間は野心のために自分の身心を切りきざむ。私はその例のよい標本じゃ。そこで私はこう思った。杜荀鶴の詩《うた》を読んだ時に何故こんな決心をしたのだろう。こんな決心をする代りにいっそ出家をしていたら多少の安心は出来たろうと。今になっては返らぬ愚痴じゃ。もうどうしようにも仕方がない境遇が私を引っ張って行く。今さら出家はもう出来ぬ。私は境遇の傀儡《かいらい》となって盲目《めくら》滅法に進むまでじゃ。こういう憐れな境遇にいる私《わし》のせめてもの慰めといえば、夜な夜なこのように姿を変えてあらゆる人間から遠ざかり、一人自然の懐中《ふところ》へはいって悠々と逍遙することじゃ。しかし唯一のその楽しみも長く味わう事は出来ないだろう。私は死病に憑かれていてじきに死ななければならないからの」
 老人はしばらく考えたが重々しい調子で云いつづけた。
「明日にも私《わし》は死ぬかもしれぬ。こう云っているうちにも死ぬかもしれぬ。そこでお前に頼みがある。いいや頼みというよりもむしろお前に慫慂《すすめ》るのだ。そうだ慫慂るのだ」
 こう云って老人は懐中から小さな手箱を取り出したが、それを私の前へ置き、
「これをお前に進呈する。家へ帰って開くがいい。お前の今後の運命はこれによってきっと定まるだろう。もし手に余ると思ったら謹んで土に埋めるがいい。これは天から授かったものじゃ。最初は私に授かった。私は天からの授かりものを自分のものにしようとした。しかし今ではもう遅い。私の命数は定まっていて、どうすることも出来ないのじゃ。それで私への福運を改めて私からお前へ譲る。天から授かったと同じことじゃ。しかしどのような幸福でもそれを得ようと思うにはまず艱難を冒《おか》さねばならぬ。手箱の中にある幸福を完全に握ろうとするからにはやはり艱難を冒さねばならぬ。その艱難が恐かったらその幸福を捨てるがいい、手箱を土中へ埋めるがいい……しかしお前はこの私が初めて逢った他人のお前へこんな大切な幸福の箱を何故易々と渡すのかと不思議に思うかもしれないが、それは決して不思議ではない。正直のところこの私は手箱を譲ってやりたいような味方を一人も持っていない。私《わし》の周囲《まわり》にいる者は一人残らず皆敵じゃ。衣を纒った狼じゃ。で私は素晴らしい幸運を他人のお前へ渡すのじゃ」
 不思議な老人はこう云うと縁からスラリと立ち上がった。そして私へは構わずに亭《ちん》を離れて歩き出した。私はしばらく呆気《あっけ》にとられ老人の姿を見送っていたが気がついて背後《うしろ》から声をかけた。
「ご老人!」と私は忍び音で、「お名前をおきかせくださいまし、いったいどなたでございます?」
 すると老人は振り返ったが、
「この国で一番不幸な男! それがすなわちこの私《わし》じゃ」
「この国で一番不幸な男? それがご老人だとおっしゃいますか?」
「世間の人達は反対にこの国で一番幸福者《しあわせもの》がこの私《わし》じゃなどと云っている」
「どうも私にはわかりません……」私は老人を見守った。
「ここにある宮殿や庭園はみんなこの私《わし》の所有物《もちもの》じゃ……四百余州の天も地も今では私の自由になる。私はそういう人間じゃ」
 私は尚も老人をおりから雲を出た月に照らして、じっと仔細に見廻したが、吃驚《びっくり》して飛び上がった。
「あなたは! そうだ! わかりました!」
「わしは寂しい人間だよ! 一人の味方もない人間だよ」
 老人は低く呟いたがそのまま静かに歩き出した。そして浮き橋を渡って行った。私はその後を見送った。いつまでもいつまでも見送った。民国の仇の後ろ姿、父母の敵の後ろ姿。袁世凱の後ろ姿を手を拱《こまぬ》いて見送った。何故飛びかかって行かなかったのか? 手箱を貰った恩義のためか? いいや決してそうではない。総統の威厳に打たれたからか? 何んの何んのその反対だ! 私は全く袁世凱の寂しい姿に打たれたのであった。
 ……私は手箱を取り上げた。鉄で造られた粗末な手箱! 私は月光に照らして見た。何んの奇もなく変もないけれども、ほんとに奇もなく変もないこの貧弱の手箱から私の運命を左右するような世にも奇怪な羊皮紙が忽然として出て来ようとは……
 果然、その夜から間もないある日、袁世凱の突然の死が、世界中の新聞に発表されて世の中の人を駭《おどろ》かせた。あまり突然であったため、世人は死因に疑いを抱き暗殺ではなかろうかと噂した。暗殺か自殺か自然の死か私だけには解っていた。彼は寂しさに堪えられず寂しさに食われて死んだのだ。
 その後私はどうしたかというに、孫文先生の旗下を離れ一旦自家《いえ》へ立ち帰って妹や婆やと邂逅した。それから再び家を出て世界の旅へ上ったのである。旅へ出かけた目的は? 恐らく私が説明しても誰も信用しないだろう。余りに荒唐な話しだから。つまり私は手箱の中の羊皮紙に書いてある文字を手頼《たよ》りに雌雄二つの水晶の球を探し当てようそのために世界の旅へ上ったのである。こうしてその球を見つけた時こそ私の運の開ける時で、実に私は一朝にして巨億の財産家になれる筈であった。
 ほんとに私は三年の間世界の国々を経巡《へめぐ》った。金がなくなれば労働をし、金が出来ると先へ進み、亜細亜《アジア》と亜米利加《アメリカ》と欧羅巴《ヨーロッパ》とをほとんど皆尋ね廻り三月前から西班牙《スペイン》のこのマドリッドへ来たのであった。多くの支那人がそうであるように料理にかけてはこの私もかなり自信を持っていた。いよいよ金がなくなって労働をしなければならない時には私はいつも料理人《コック》になった。おんなじでん[#「でん」に傍点]でマドリッドへ来るや伝《つて》を求めてこの旅館の料理人《コック》に私はなったのである。そして機会を待ったのである。阿弗利加《アフリカ》へ渡るその機会を……がしかし今では阿弗利加などは全く眼中になくなってしまった。球は手近で発見された。そして私はその球を追って西域の沙漠へ向かうのだ。彼らと一緒に向かうのだ。彼ら探険隊の一行と――
 私は喜びと不安とのためにドキドキ心臓が動悸をうつ。しかし勇気が衰えない。何んの勇気が衰えるものか。何がいったい不安なのか? 彼ら探険隊の一行の中の頭領とも云うべきラシイヌ探偵、副頭領とも云うべきレザール探偵、二人を恐れるそのためにか? ほんとに二人は抜け目のない鋭い人間には相違ないがしかし私は恐れない。何んの私が恐れるものか、先方でこっちを恐れるがいい。
 卿ら、探険隊の諸君達! 卿らの守っている運命の球を出来るだけ大切にするがいい。隙を見てその球を奪おうとする支那の青年がいるのだから。料理人《コック》として卿らが雇い入れた張という支那の青年に眼を離さない方がよいだろうと敢て僕は諸君に警告する……
 ――孔雀の啼き声が聞こえて来る。鸚鵡の啼き声が聞こえて来る。冬薔薇の匂いが匂って来る。陽の落ちた後の夕空を夕映えが赤く染めている。明日は恐らく天気だろう。この食堂ともおさらばだ。そろそろ料理人《コック》部屋へ帰って行って荷造りの真似でもやることにしよう。
 明日は沙漠へ向かうのだ。沙漠が私を呼んでいる……(備忘録下略)



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