国枝史郎「染吉の朱盆」(03) (そめきちのしゅぼん)

国枝史郎「染吉の朱盆」(03)

     三

 岡八というのは綽名《あだな》である。
「一つの事件をあばこうとしたら、渦中へ飛び込んじゃいけないよ。いつも傍から見るんだなあ。渦の中へ一緒に巻き込まれようなものなら、渦を見ることが出来ないからなあ。ほんとに岡目八目さ」
 これがこの男の口癖である。その本名は綱吉といい、非常に腕っこきの岡引であった。
 一つ二つ例を挙げてみよう。
 一人の女が訴え出た。
「夫が家出をして帰りません」と。
 数日たって女の隣人が、井戸に死人があると訴え出た。
 その女も走って行った。井戸を覗くと叫んだものである。「私の夫でございます」
 そこで岡八が一喝した。
「人殺しは手前だ! ――ふん[#「ふん」に傍点]縛れ!」
 果してその婦《おんな》と情夫とが、共謀して良人を殺したのであった。
「岡目で見りゃァ直《すぐ》判《わか》りまさあ、古井戸の中は暗くてね、死人の形がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と、やっと見えるくらいのものだったんで、一目覗いて亭主だなんて、どうして判りっこがあるものですかい。殺して置いてぶち込んだんで」
 或家でかんざし[#「かんざし」に傍点]を盗まれた。戸外から入り込んだ形跡はない。二人の下女が疑わしかった。そこで岡八、青麦を二本、二人の下女へやったものである。
「正直者の麦はそのままだが、不正直者の麦は長くなる。明日の朝までに一寸が所な」
 翌日調べると一本の麦は自若、一人の下女の持っていた麦が、一寸がところ摘切られてあった。
「そいつが詰り盗人だったんで、下女なんてものは無知なもので、そんな甘手にさえひっかかりますよ。ほんとに延びると考えて、一寸がところ摘んだんでさあ」
 さてその岡八だが、最近に至って、一つの難事件にぶつかってしまった。
 いい若者が無暗とさらわれ、十数日たつと送り返されて来る。その時はすっかり衰弱している。どうしたと尋ねても真相をいわない。そうして、おまけに、いうのである。
「ああもう一度あそこ[#「あそこ」に傍点]へ行きたい」
 そうして間もなく死んでしまうのである。
 時世は慶応元年で、尊王攘夷《じょうい》、佐幕開港、日本の国家は動乱の極、江戸市中などは物情騒然、辻切、押借[#「辻切、押借」は底本では「辻切押借」]、放火、強盗、等、々、々といったような、あらゆる罪悪は行われていたが、岡八のぶつかった難事件のようなそんな事件は珍しかった。
「さらわれた先をいわないというのが、何より変梃《へんてこ》[#「変梃」は底本では「変挺」]で見当がつかない」
 全く見当がつかなかった。
 で、この日頃ムシャクシャしていた。
 そんな気も知らずに半九郎奴、十年前の古事件、お縫様屋敷の物語りを、面白くもなく、しゃべり立て謎を解いて見ろというのである。
「で、何かい」と岡八はいった。「その古々しい因果物語りが、はやり出したというのかい?」
「ああそうだよ」と半九郎。「銭湯へ行っても髪結床へ行っても、専《もっぱ》らそいつが評判なのさ」
「で、何かい」と、また岡八「四人までも切った侍が、其まま解らずに消えたのが、面妖だっていうのかい?」
「それからどうして染吉が、燈心の火が消えるように、衰死したかが不思議だというのさ」
「恋病《こいわずらい》だあね、それで死んだのさ」
「そうチョロッかに片付るなら、辻切の方だって片がつく、切りっぱなしで消えたんだとね。……だがそれだけでは済むまいぜ、俺等の商売からいく時はね」
「十年前の出来事じゃァねえか」
「ところがお前そうじゃァないんだ、俺等の仲間で競争的に、その謎解きにかかっているのさ」
「へえ、そいつァ物好きだなあ」岡八一寸眼を見張った。「初耳だよ、そんな話は」
「お前は一人で高くとまり、俺等とあんまりつきあわないからさ」
「それにしても暇の連中だなあ、この小忙しい浮世によ」
「そこで連中はいっているのさ。岡八兄貴なら解けるだろう。もし又こいつ[#「こいつ」に傍点]が解けねえようなら、岡八なんかとはいわせねえとね」
「えらく[#「えらく」に傍点]皆に憎まれたものだな」岡八ニヤリと笑ったが、どうしたものか膝を打った。それからヒョイと※[#「丿+臣+頁」、第4水準2-92-28]《おとがい》をしゃくった。「よし来た、それじゃァ解いてみせよう!」
「え、本当か! そいつァ豪勢だ!」
「しかも、きっと今日明日の中にな」




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