国枝史郎「染吉の朱盆」(05) (そめきちのしゅぼん)

国枝史郎「染吉の朱盆」(05)

     五

 古物商の主人と女客との会話は、ざっと次ぎのように運んで行った。
「ああ染吉でございますか、へい、ないこともございませんが」
「只今お店にございましょうか?」
「いえ店にはございませんが……心あたりにはございます。……もし何んなら取り寄せて」
「ぜひお願いいたします。幾枚ぐらい手に入りましょう?」
「さようでございますな、三枚ぐらいでしたら……」
「費用はいくらでも構いません、沢山ほしいのでございますよ」
「へい、しかし、三枚以上は……」
「では三枚お願いしましょう。……で、値段は? 一枚の?」
「二十五金ほどでございましょうか」
「では手附を、半分だけ」
「四十金? で……。これはどうも……へい、へい確にお預かりしました。……ええと所で、お住居は?」
「私、いただきに参ります」
「はい、左様で……。これは受取」
「いつ頃参ったら、ようございましょう?」
「さようでございますな……二三日ご猶予……」
「それではよろしく」
「かしこまりました」
 で、女は店を出た。
 怒ってしまったのは岡八である。
「馬鹿にしゃァがる! 一体何んだ!」心で毒吐いたものである。「みなり[#「みなり」に傍点]が悪いとこんな目に会う。百五十両だと吹っかけて置いて、二十五両だっていやあがる。ないといいながら三枚がところ、心あたりがあるというちきしょう[#「ちきしょう」に傍点」本当に張り倒してやるかな。……そうはいっても俺の手には、二十五両でも這入り[#「這入り」は底本では「遍入り」]そうもないなあ。……それにしても一体あの女、何んで染吉の朱盆ばかり、そんなにも沢山ほしがるんだろう?」
 フラリと岡八往来へ出た。すぐ眼の前を女が行く。尾行るという気もなかったが、矢っ張り後をつけて行った。出たところが神保町、店附の立派な古物商があった。
 女が這入って行くではないか。
「おや」と思いながら岡引の岡八、つづいて店へ這入って行った。
 主人と女客との応待は、全く以前と同じであった。
「染吉の朱盆、ございましょうか」
 今はないが取り寄せようという。
 そこで女が手附を払い、受取をとって立ち去ったのである。
「これはおかしい」と岡引の岡八、本式に女をつける気になった。「まるでこのおれの邪魔をしているようだ。先へ廻って染吉の朱盆を、かっ浚《さら》おうとでもしているようだ。曰くがなければならないぞ」
 神保町から一つ橋、神田橋から鎌倉河岸、それから斜《なな》めに本石町へ出、日本橋通を銀座の方へ、女はズンズン歩いて行く。だから、もちろん、岡八も歩いて行かなければならなかった。
 無暗と女は歩くのではなかった。目星しい古物商があると、軒別に這入って訊くのであった。
「染吉の朱盆、ありましょうか?」
 あるといえば手金を打ち、買取る約束をするのであった。
 実際のところ染吉の朱盆は、極めて数が少ないと見え、昼からかけて夕方までに、そうやって女が約束した数は近々五枚に過ぎなかった。尾張町まで来た時である、ふと女は足を止めた。
「またあったかな、古道具屋が?」
 岡八、見廻したが古道具屋はない、江戸で名高い錦絵の問屋、植甚というのがあるばかりであった。
 店先に錦絵が並べてある。沢山の武者絵や風景画や、役者の似顔絵や、美人画など……それを女は見ているのであった。
「朱盆が錦絵に変ったかな?」
 変に思った岡引の岡八、成るだけ女に気取られないように、自分も店先を覗いてみた。
 素晴らしい一枚の死絵がある。
 どうしたものか、それを見ると「うむ!」と岡八唸るようにいった。で女の横顔を見た。何んて微妙な微笑なんだろう? 皮肉で残忍で嘲笑的で、そうして、しかも満足したような、そういったような薄笑いが、女の顔にあるではないか? 眼は死絵を見詰ている。
「やっと前途が明るくなった。俺の見込みは狂わなかった」
 岡八呟いたものである。「よし、こうなりゃァこの女の住居。どんなことをしても突き止めなけりゃァならねえ」
 その時女が歩き出した。
 足早に歩いて行くところを見ると、いよいよ家へ帰るらしい。
 上野山下まで来た時には、すでに宵を過ごしていた。足に自信があると見え、女は駕籠へ乗ろうとさえしない。




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