国枝史郎「染吉の朱盆」(09) (そめきちのしゅぼん)

国枝史郎「染吉の朱盆」(09)

     九

 命を助けられた岡引の岡八、家へ帰って正気づくと、
「もう一度あそこへ行って見てえものだ」
 真ッ先にこういったものである。
 それから又もトロトロと眠った。
 すっかり元気が恢復すると、またノッケにいったものである。
「支那の古事にあるっていうが、ありゃァ日本の纐纈《こうきつ》城だなあ」
 で、それから話し出した。
「半九、お前にゃァ何んといっていいか、半分はお礼、半分は怨みだ。……俺等お前の話を聞くと、ピシッと心に響いたことがあった。染吉の朱盆の真紅の色と、染吉の衰死という奴さ! ……こいつァ紅毛人の話だが、或る画家がいい色を出すため、自分の体から血を取って、絵具がわりに使ったというが、ははあそれでは染吉という男も、朱盆にそいつを使ったかもしれねえ。朱盆がマア、それはそれとして、俺の手掛ている難事件、いい若い者が姿をかくし、帰って来ると衰死してしまう、こいつに宛てはめたらどうだろうとな? どこかに悪い奴が屯していて、人間の生血を、絞るんじゃァないかな? ……で俺は出かけたってものさ。染吉の朱盆を手に入れてみよう、そうしてそいつを蘭医にでも頼んで、血が雑っているか雑っていないか、真ッ先に調べて貰うことにしよう。朱盆さて古道具屋へ行ってみたが、思うように手に入らねえ。数が少なくて高いんだ。ところがどうだろう凄いような美人が、俺等の邪魔でもするように、先廻りをして買い占めるじゃァねえかそうだよ染吉の朱盆をな、こいつ怪しいと思ったので俺等ドンドン後をつけてみた。すると今度はその女が植甚の店先へ立つじゃァねえか! 知っているだろうが卸問屋だ。うん有名な錦絵のな。ところが一枚死絵があった。それが[#「あった。それが」は底本では「あったそれが」]素晴らしい出来栄なのだ。わけても[#「出来栄なのだ。わけても」は底本では「出来栄なのだわけても」]紫色が素晴らしかった。解った[#「素晴らしかった。解った」は底本では「素晴らしかった解った」]と俺は手を拍とうとしたよ! あの紫色は血で描いたものだ! 血という奴ァはじめは赤い。それから[#「赤い。それから」は底本では「赤いそれから」]褐色《かばいろ》になり緑色になる。そうして終に紫色になる。そいつも並の紫じゃァねえ。何んともいえねえ紫だ! ところで死絵は紅毛人どもが今大変な高い金でドンドンドンドン買い入れている。ははあさてはいよいよ以て、悪い奴等がどこかにいて、人間の生血を絞っては、それで死絵をこしらえているな! そうして、恐らくこの女はそいつらの仲間の一人だな? こいつァどうにも逃されねえわい。で、どこまでもつけたってものさ。鶯谷で襲われっちゃった! うん、五、六人の野郎にな! 岡八だと名乗ると逃げてしまったが、根岸の方へ行ったらしい。で、不意に思ったものさ、ははあ、さてはお縫様屋敷に、悪い奴等はいるのだなと! そうして俺は思ったものだ、あの女はおとり[#「おとり」に傍点]だなと! 凄い程奇麗なあの顔で、若い男をそそのかしたら、どんな野郎だってついて行く、鶯谷でとっ捕まえてしまう! それから屋敷へ連て行くのさ、彼奴等の巣窟のお縫様屋敷へな。……で俺等行ってみた。森閑として人気がないとはいえ俺等考えたものさ。たしかに二十人はいるだろうとな! というのはほかでもねえ、さっき現れた人数を、大体のところ六人と見つもり、おっ[#「おっ」に傍点]振って出て来る筈はねえ、半数出て来たと仮に見ると、〆て十二人はいるだろう。そうして現在行方の知れねえ、若い男が八人ある。合わせて二十人になるじゃァねえか。が、それにしても人気がねえ。ナーニこれだって解釈はつく、それ地下部屋という、ありきたりのものを、勘定の中へ入れればな。……思案した揚句忍び込んだが、こいつは一生の失敗だったよ。岡八だと鶯谷で名乗ったんだから、彼奴等だって用心をしていた筈だ。一も二もなくとっ捕まってしまった。……とっ捕まって見て俺等の探索、みんな中たったのを確めたよ! 地下の工場、二十人の人数、錦絵の製造、その上にだ、肥え太っている幾人かの別嬪、ひどく油っこい旨い食物、そうしてギヤマンの無数の吸珠! ……だが本当にいい気持だった。血がドンドン吸い取られる。素っ裸の女が踊りを踊る! 自然自然に眠くなる! ……一人が二十回もやられるんだとよ! 俺等二度目をやられかけた時、半九、お前達が来たってものさ! 馬鹿な野郎だ、なぜ来たんだい! 地獄じゃァねえ極楽だったのに! ……だが随分お前達、彼奴等を相手に戦ったなあ。その揚句地下道から逃げられやがった! え、大将を捕まえたと? ムダなことをしたものさ! ……俺等もう一度あそこへ[#「あそこへ」は底本では「あそこ褄」]行きてえ」
 だが半九郎笑止《しょうし》らしくいった。
「だがね、兄貴、俺等の話した、あのお縫様屋敷の因果物語りはね……」
「作り話だというのだろう」
「へえ、そいつを知っていたのかえ?」
「あんまり辻褄があっているからさ」




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