国枝史郎「前記天満焼」(03) (ぜんきてんまやけ)

国枝史郎「前記天満焼」(03)



 さてその日から幾日か経った。
 その時天王寺の勝山通りで、又物騒なことが行なわれた。
 まずこのような段取りであった……
 一人の若い侍へ、覆面武士達が斬りかかったのを、若い侍が無雑作に、力を抜いて叩き倒し、最後に一人をたたき倒した時、懐紙で刀身をぬぐったのである。
 それから懐紙をサラリと捨て、刀をかざすとスーッと見た。
「切ったんじゃアない、峰打ちだ。刃こぼれがあってたまるものか」
 そこで、ソロリと鞘へ納めた。すると鍔鳴りの音がして、つづいて幽かではあったけれど、リ――ンと美しい余韻がした。
 鍔のどこかに高価の金具が、象眼されていたのだろう。
 それへ徹《こた》えてリ――ンと余韻が幽かながらもしたのだろう。
 宏大な屋敷が立っていて、厳重に土塀で鎧われていて、塀越しに新樹の葉が見える。
 空気に藤の花の匂いがあるのは、邸内に藤棚があるのだろう。屋敷は大阪の富豪として名高い平野屋の寮の一つであった。
 土塀に添い、十六夜月に照らされ、若い侍は立っている。
 身長は高いが痩せぎすであり、着流し姿がよく似合う。瀟洒として粋であり、どうやら容貌《きりょう》も美しいらしい。月を仰いだ顔の色が、白く蒼味を帯びていて、鼻が形よく高いのだろう、その陰影がキッパリとしている。
「平野屋の寮から例の物を持って、誰か江戸へ発足《た》ちはしまいかと、その警戒にやってきたのだが、変な侍三人に、闇討ちされようとは思わなかったよ。どうも今夜は気に入らない晩だ。……だがそれにしても不思議だなあ。素性も明かさず理由も云わず、フラフラッと切ってかかったんだからなあ。……女で怨みを買ったことも、金で怨みを受けたことも、これ迄の俺にはなかったはずだ。……覆面姿から推察《おしはか》ると、こいつら辻切りの悪侍《わる》共かな? しかしそれにしては弱いわる[#「わる」に傍点]だ。……引っこ抜いてポーンと肩を撲ると、一人がゴロッと転がってしまい、もう一度ポーンと頭を撲るともう一人がゴロッと転がってしまい、もう一度ビーンと横面を張ると、三人目のお客さんがひっくり返ってしまった。……ああも弱いと安心だが、また何だか気の毒にもなる。それにさ、第一道化て見える」
 ちょっと俯向き、何にもなかったというように、土に雪駄《せった》を吸い付かせ、若侍は歩き出した。
 取り入れるのを忘れたのであろう、かなり間遠ではあるけれど、五月幟《さつきのぼり》がハタハタと、風に靡く音がした。
 深夜だけにかえって物寂しい。
「そうだ今夜は宵節句だった」
 これは声に出して云ったのである。
 六七間も歩いたかしら、
「率爾ながら……」と呼ぶ声がした。
「しばらくお待ち下さるまいか」
 四辺《あたり》を憚った恥《しの》び音だ。
 グルッと振り返った若侍は、
「拙者のことで?」と隙かして見た。
 黒頭巾で顔を包んでい、黒の衣装を纏っている。いわゆる黒鴨出立《いでた》ちであった。体のこなし[#「こなし」に傍点]、声の調子、どうでも年は三十七八、そういう武士が立っていた。
 大小をピンと胸高に差し、率爾ながらと呼びかけた癖に、何と無礼! 懐手《ふところで》をしている。ひどく横柄なところがあり、見下だしたような所がある。
 胸を悪くした若侍は、
「今夜はよくよく変な晩だ、いろいろの芸人が登場するよ」
 こう思ったのでぶっきら[#「ぶっきら」に傍点]棒に、
「御用かの! この拙者に?」
 すると向こうの武士が云った。
「感嘆してござるよ、立派な腕前」
「大変な黒鴨が出やアがった。俺を褒めるとは度胸がいいや。褒めるからには褒めっ放しでもあるまい。いずれ可《い》い物でもくれるのだろう」
 可笑《おか》しくなったので若侍は、
「お弱《よお》うござんしたからな、先方が」
「なかなかもって」と黒鴨の武士は、
「彼等も相当の手利きでござる」
「ははあ」と云ったが感付いた。
「さては貴殿のお仲間だの」
「さよう」とわるく[#「わるく」に傍点]おちついている。





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