国枝史郎「前記天満焼」(04) (ぜんきてんまやけ)

国枝史郎「前記天満焼」(04)



「そうか」と云ったが若侍は、今度は少し腹を立てた。
「では早速お訊き致す、何故拙者を襲われた?」
 まごまごした返事でもしようものなら、叩っ切ってやるぞと云うように、ヌッと一足進み出た。
 しかし、相手の黒鴨も、何かに自信があると見え、その横柄さを持ち続け、
「士官[#「士官」はママ]なさる気はござらぬかな?」
 こんなことを云い出した。
「え、士官? 貴殿にかな?」
 これには若侍は参ってしまった。
(どうもいけないや、俺より上手だ)
 そこで茫然《ぼんやり》して絶句した。
 すると、黒鴨の武士が云った。
「長くとは申さぬ、一カ月余」
 それからスルスルと進み寄ったが、囁くように云いつづけた。
「悪いことは申さぬ士官おしなされ。もっとも主取りの御身分なら、無理にもお進め出来ないが。いやいや先刻《さっき》からの御様子でみれば、かけかまい[#「かけかまい」に傍点]のない御身上らしい。それで敢てお進めいたす。士官おしなされ士官おしなされ。実は」と云うといよいよ益々、声を細めて囁くようにしたが、
「ここ数夜、この界隈で、拙者試していたのでござる。勝れた武辺者はあるまいかとな。今は天保、浮世は飢饉、そのためでもござろう、腕の出来るご仁に、不幸、一人もぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]ませんでしたよ。ところが今夜ゆくりなく、ぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]ましたなア御貴殿に。……そこで、すっかり喜んだという次第。そこで、士官をお薦めするという次第。……そうは云っても藪から棒に、無闇と士官をお薦めしても、貴殿にはおそらく烏乱に覚《おぼ》され、御承引を手控えなされようもしれぬ。これは御理《ごもっとも》、当然でもござる。それでまず何より拙者の身分を、お打ち明け致すのが順当でござるが、まあまあそれははぶく[#「はぶく」に傍点]として、ただし、姓名だけ申しましょうかな。鮫島大学《さめじまだいがく》と申します。それより何より禄の方をな、定めることに致しましょう。一日五両はどうでござる」
 ここまで云って来て黒鴨の武士は、ヒョイと二三歩下ったが、首を傾げると覗くようにした。
「ただし……」と云うと黒鴨の武士は、今度は二三歩前へ出た。
 と、例によって囁くような声で、
「ただし、仕事はちと[#「ちと」に傍点]困難、と云っても貴殿の腕前なら、勿論何でもなく仕遂げられますて。ところで仕事の性質は? と、貴殿には訊かれるかも知れない。さあこれとて考えようで。善悪両様に取られますなあ。そこで、こいつは預かるか、ないしは善事だと決めてしまうか、ホッ、ホッ、ホッ、どっちでもよろしい」
 三十七八の男の癖に、ホッ、ホッ、ホッと女のような、滑らかな厭らしい笑い方をしたが、
「さてここまで云って来れば、後は何も彼もスッパリと、ぶちまけた方がよろしいようで。そこでお打ち明け致しましょう」
 ところがそれ前に若侍は、蹴飛ばすような声で云った。
「解《わか》っておるよ!」とまずノッケだ。
「受負でござろう、殺人《ひとごろし》のな!」
「ほほう成程、そう解されたか」
「でなかったらぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]さ」
「成程な、なるほどな」
 黒鴨の武士は退いたが、
「ひょっとかすると、両方かも知れない」
「殺人の上にぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]か、アッハッハッ、それにしては」
 若侍は横を向いた。
「安すぎますて、五両の日当」
「割増ししましょう、七両ではいかが?」
「まだ安い。駄目だ駄目だ!」
「あッ、なるほど、では八両」
「刻むな刻むな」と若侍は、グット胸を反らせたが、
「厭だと云ったらどうなさる」
「さればさ」と云うと黒鴨の武士は、スラスラとスラスラ左手へ寄った。間《あわい》一間、そこで止まると、ピンと右手の肘を上げた。と自然に掌が、柄の頭へあてられた。薄っペラな態度や声にも似ず、腰が据わって足の踏まえ、ピッタリ定《き》まって立派な姿勢。上げた右肘で敵を圧し、全身を斜めに平めかせ、首を幾何《いくばく》か前方へ曲げ、額い越しに睨んで狙いすました。籠めた気合で抜き打ったら、厭でも太刀は若侍の、左胴へ入るに相違ない。根岸兎角《とかく》を流祖とした、微塵《みじん》流での真の位、即ち「捩螺《れいら》」の構えである。
「ううむこいつは素晴らしい」
 それと見て取った若侍は、こう思わず呟いたが、
「しかも不気味な腥《なまぐさ》い、殺気が鬱々と逼って来る。剣呑だな、油断は出来ない」
 しかしよくよく若侍には、腕に自信があると見え、刀の柄へ手もかけず、ブラッとしたままで立っていた。
 と、黒鴨の武士であるが、別に切り込んで行こうとはせず、あべこべ[#「あべこべ」に傍点]にヒョイと後退《あとじさ》ると、ダラリと両手を両脇へ下げ、それからまたも懐手をしたが、薄っペラの調子で喋舌《しゃべ》り出した。
「ざっとこんな[#「こんな」に傍点]恰好で。つまり貴殿不承知なら、秘密の小口を明かせた手前、生かしては置かぬ! 叩っ切る! と云うことになりますので。……と云うとおっかない[#「おっかない」に傍点]話になるが、何のこんなにも旨い話、貴殿諾かずにおられましょうか。承知と云われるは知れたことで。……だが日当不足となら、清水の舞台から飛んだつもりで、一日十両まで糶《せ》り上げましょう。これでは御不満ありますまいな。手を拍ちましょう、シャンシャンシャン! いかがなもので? シャンシャンシャン!」
 呑んでかかった態度である。




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