国枝史郎「前記天満焼」(20) (ぜんきてんまやけ)

国枝史郎「前記天満焼」(20)

20

「さあどこから手を出したものか、からきし[#「からきし」に傍点]俺には見当が付かない。一ツとひとつ珠を弾くか! 柏屋の奥庭の開けずの間さ! ……二ツともう一つ珠を上げるか。久しい前から眼を着けていた、鮫島大学の問題さ。こいつもうっちゃって[#「うっちゃって」に傍点]は置かれない。敵意を示して来たんだからなあ。……三ともう一つ珠を弾くか。加賀屋の主人の行方不明さ。そうして倅の行方不明さ……もう一つ珠を弾くとしよう。宇和島という武士も問題になる。――四ツ事件が紛糾《こんがらか》ったってものさ。……ええとところで四ツの中で、どれが一番重大だろうかなあ?」
 事件を寄せ集めて考え込んだ。
「四ツが四ツお互い同士、関係があるんじゃアないかしら?」
 そんなようにも思われた。
「とすると大変な事件だがなあ」
 関係がないようにも思われた。
「関係があろうがなかろうが、どっちみち皆大事件だ。わけても柏屋の開けずの間が、大変物と云わなければならない。人間五人や十人の、生死問題じゃアないんだからなア。……日本全体に関わることだ。……」
 藪で小鳥が啼いている。世間の飢饉に関係なく、ほがらかに啼いているのである。
 つく[#「つく」に傍点]ねんと坐っている松吉の、膝の直ぐ前に桃色をした昼顔の花が咲いている。
 と、蜂が飛んで来たが、花弁を分けてもぐり[#「もぐり」に傍点]込んだ。人の世と関係がなさそうである。
「と云ってもう一度柏屋へ行って、探りを入れようとは思わない。こっちの命があぶないからなあ。……鈴を振る音、祈祷の声、……その祈祷だったが大変物だった。……それからドンと首を落とした音! ……いや全く凄かったよ」
 思い出しても凄いというように、松吉は首を引っ込ませた。
「そいつ[#「そいつ」に傍点]の一味に追われたんだからなあ。逃げたところで恥にはなるまい」
 こう呟いたが苦笑をした。やっぱり恥しく思ったかららしい。
「いやいい所へ逃げ込んだものさ」
 女役者の扇女《せんじょ》の家へ、せっぱ詰まって転げ込み、扇女の侠気に縋りつき、扇女が門口に端座して、追手をあやなし[#「あやなし」に傍点]ている間に、二階の窓から屋根を伝い、裏町の露地へヒラリと下り、それからクルクル走り廻り、ここ迄辿り着いた一件を、心の中で思い出したのである。
「あれが普通のお神さんだったら、驚いて大きな声を上げ、俺を追手の連中へ、きっと突き出したに相違ない。世間に人気のある人間は、度胸も大きいというものさ。扇女ならこそ助けてくれたんだ。お礼をしなければならないなあ」
 するとその時藪の中で、物の蠢く気勢《けはい》がした。
「おや」と思って振り返って見たが、枝葉が繁っているために、隙かして見ることは出来なかった。
「さあこれからどうしたものだ?」
 丁寧松は考え出した。
「よし来た、今度は方針を変えて、鮫島大学の方を探って見よう。旅籠屋の柏屋とも近いからなあ。かたがた都合がいいかも知れない。……が。一人じゃア不安心だなあ。……そうしてどっちみち[#「どっちみち」に傍点]夜が来なけりゃア駄目だ」
 するとまたもや藪の中で、ゴソリと蠢く音がした。
「おかしいなあ」と振り向いた時、
「これは連雀町の親分で、変な所でお目にかかりますなあ」
 藪から這い出した男があった。
「どいつだ手前は?」
「へい私で」
「よ、今朝方のお菰さんか」
「お金にお飯《まんま》にお酒を戴き、今朝方は有難うございました」
 襤褸《ぼろ》を引っ張り杖を突っ張り、垢だらけの手足に髯ぼうぼうの顔、そういう乞食が現われた。




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