国枝史郎「前記天満焼」(27) (ぜんきてんまやけ)

国枝史郎「前記天満焼」(27)

27

 自分の家の金蔵の中に、どうして源右衛門と源三郎とが、血だらけになっていたのだろう? 鮫島大学の姦策からであった。一味の悪漢東三をして、加賀屋の蔵番に住み込ませたのは、かなり以前からのことであり、大金を盗ませようとしたのである。
 で昨夜手下の松本という男を、町役人に仕立て上げ源右衛門へこんなことを云わせたのである。
「源三郎殿には悪所通いをはじめ、おびただしいまでに金を使われる。恐らく御身代へも穴をあけたであろう。充分御注意なさるがよい」と。……
 そこで源右衛門が驚いて、金蔵へ行って調べたが、そこを背後《うしろ》から東三が斬り付け、負傷失心して倒れたところへ、大学方から送って来た、――金八という男が運んで来て、木戸をこじ[#「こじ」に傍点]開けて舁《かつ》ぎ入れた、これも失心した源三郎を押し込め、そうしてその手へ血刀を握らせ、それから大金を奪い取り、大学方へ渡したのである。
 源右衛門の行方が知れないと知ったら、加賀屋では官へ届けるであろう。すぐに役人がやって来て、金蔵なども調べるであろう。そこでそういう光景を見ると、官ではきっと思うであろう。――源三郎が金に詰まり、従来も金を盗んでいたが、この夜も金を盗もうとして、金蔵の中へ入り込んだところを、父の源右衛門に発見され、そこで兇行を演じたのであろうと。
 ………しかし加賀屋で大事を取り、官へ届けるのを控えている中に、松吉のために発見され、その企ては失敗に終った。
 そうして慧眼な松吉によって、かえって東三が疑われ、厳重に尋問された結果、一切のことが暴露された。
 幸い源右衛門の負傷は軽く、間もなく恢復したそうであり、平野屋から委託された貴重な品を宇津木矩之丞から受け取ることも出来た。
 貴重の品物とは何物だろう? 平野屋から加賀屋の手を通し、加賀宰相家へ売り込むべき品で、小さな物ではあったけれど、非常に値打ちのある物であり、金に換えたら萬金にもなろうか。
 そこで中斎が奪い取り、救民の資にあてようとしたのを、宇津木矩之丞が賊名を恐れ、変名をして浪人者となり、平野屋の寮の門前で、鮫島大学と斬り合って、その武勇を現わして、平野屋の老主人に認められ、その貴重品を托せられたのである。
 一方鮫島大学は、そういう悪党であったため、貴重品のことを耳にするや、奪い取ろうと大阪へ下り、平野屋の寮を窺っている中、宇津木矩之丞と出会ったまでである。
 大学は江戸へ帰ったが、矩之丞が大阪から上陸した晩に、手下の者へ云いふくめ、加賀屋からの迎えだと偽わって、旅籠屋の柏屋へ送り込み、手下の一人を同宿させて、機を見て貴重品を盗ませようとしたのを、矩之丞が早くも感付いて、あべこべに手下に当身をくれ、衣裳を奪って自分が着て、旅籠屋の柏屋を抜け出したのである。
 裸体《はだか》に剥いた大学の手下を、開けずの間の中へ放り込んだのには、次のような事情があったのである。
 何となく宇津木矩之丞には、開けずの間の建物が気になったので、そこで深夜に行ってみると、その後から例の大学の手下が、コッソリ尾行《つけ》て来たのである。
 そこで、気絶させて裸体に剥き、開けずの間の中へ抛り込んだまでで、その時開けずの間が邪宗の道場で、十字架、祭壇というような、いろいろの物のあるのを知り、一驚したということである。

 宇津木矩之丞のその後については、いろいろの説が行なわれている。
 大塩中斎《おおしおちゅうさい》に諌言をし、一揆(天満《てんま》から兵を挙げ、大阪の大半を焼き打ちにかけ、悪富豪や城代を征め、飢民を救済しようとしたので、世人、天満焼《てんまやけ》と称したが)――その一揆の勃発を、中止させようと努めたところ、中斎がそれを諾《き》かなかったので、矩之丞は断念し、大塩中斎の党から脱し、身を完《まっと》うしたとそういうのが、一番真相に近いらしい。
 乳母のお繁は悪人ではなかった。ただお久美の信者であって、時々品子の口を通し、源右衛門をして献金させようとしたが、源右衛門は承知をしなかったそうで、それを苦にした娘の品子が発作的に一時気を狂わせ、ああいうことを云ったまでで、そうして品子が父や兄について、近所にいると看破したのは、神経病者にありがちの、直感の結果だということである。





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