国枝史郎「沙漠の古都」(21) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(21)

        二十一

 一切を見届けたラシイヌは、すぐにそこから引き返して、格闘の場所へ帰って来た。すると依然としてダンチョンだけは、気絶したまま倒れていたが、張教仁の姿は見えなかった。
「それでは彼奴だけ甦えって、どこかへ姿を隠したと見える」
 ラシイヌは心でこう思って飽気《あっけ》ないような表情をしたが、ダンチョンを抛擲《うっちゃ》っても置けないので、彼を旅宿《やど》まで運ぶための自動車を探しに街の方へ、大速力で走って行った。

 ボルネオ航路の英国汽船の一等船室の寝台には、体中を繃帯で包まれた「描かざる画家」ダンチョンが情けなさそうな顔をして、彼の正面に腰かけながら愉快そうに喋舌《しゃべ》っているラシイヌの口もとばかりを見詰めていた。
 ラシイヌは説明を続けて行く。
「……何ね、僕は、それ前から――描かざる画家のダンチョン君を、誘惑している貴婦人《レディ》があると君から明かされないそれ前から、君のみならず僕ら皆んなが、袁更生の一団から狙いをつけられているという事を、ちゃあんと知っていたのだよ。どうして僕が知ったかと云うに、教えてくれた人があったからさ。誰かというに他でもない北京《ペキン》警務庁の連中さ。つまり彼らは僕のために暗号電報を打ってよこして、北京《ペキン》警務庁の依頼によって、袁更生の阿片窟を僕が暴露《あば》いたのを怨みに思って僕に怨みを晴らすため袁更生の一味徒党が僕の行先に着きまとい上海に渡ったということを知らしてくれたというものさ。その電報を見た時に僕は直覚的にこう思ったね。いやいや彼らが僕らを追って事実上海《シャンハイ》へ来ているなら、その目的は僕なんかに危害を加えようというのではなくて、僕らが抱いているある目的――云うまでもなく南洋へ行って埋もれている宝を探そうという、その目的を僕らの手から奪い取ろうということがすなわち彼らの目的であって、僕に向かっての復讐などは眼中にあるまいとこう思ったのさ。何故そう思ったかというにだね、南洋に埋もれている宝について、彼らは僕らとおんなじくらいの知識の所有者だということを、僕が発見したからさ。どこで発見したかというに他ならぬ彼らの阿片窟《アヘンくつ》さ。どうして阿片窟で知ったかというに意外にも阿片窟の女部屋で、沙漠の娘と自称している紅玉《エルビー》という美しい土耳古《トルコ》娘を発見したからに他ならない。どうして紅玉《エルビー》がそんな所に捕虜になっていたかというに袁更生の魔術によって引き寄せられたものと思われるね。一旦魔術にかかったからは、紅玉《エルビー》といえども袁更生の意志のまにまに動かなければならん。で僕は紅玉《エルビー》は問われるままに例の埋もれた宝の所在を袁更生に話したと思う。さてそれが事実だとすればだね、爾余のことは自《おのず》と解釈出来る。真っ先に彼らは僕らの中の誰かをうまく捕虜にして、宝物の所在をもっと詳しく聴き取りたいとこう思って、君に白羽を立てたのさ。君が、モデルにしようとした面紗《ヴェール》の女は囮《おとり》なのさ」
「それにしても面紗のあの女が紅玉《エルビー》であろうとは思いませんでした」
「僕だって最初《はじめ》は知らなかった……本来なれば紅玉《エルビー》は、阿片窟征伐のあの晩に張教仁に助けられて安全の所にいる筈だが、その後袁更生の魔術の手にまた奪い返されたものと思われるね」
「紅玉《エルビー》ばかりか張教仁まで飛び出して来ようとは思いませんでした」
 ダンチョンは今でも痛そうに頭の辺を抱えながら呻くような声で云うのであった。
「ほんとにあの男も可哀そうだ。しかし憎めない人間だよ。支那人に似合わない勇気もあって、なかなか面白いところがある」ラシイヌは微笑を含みながら、「いずれあそこへ飛び出したのは紅玉《エルビー》を奪い返すためだったろう。どうやら張と紅玉《エルビー》とは恋人同志のように思われるじゃないか。しかしそんな事はどうでもいい、とにかくこのまま張教仁だって黙って引っ込んではいないだろう。いずれ南洋へ押し渡って僕らと競争するだろう。張の競争は恐ろしくはないが、ちょっと手強いのは袁更生だ。暗夜とは云っても黄浦河の上で堂々と汽船を奪った手並みは敵ながら天晴《あっぱれ》のものだったよ。しかも手段が支那式で滑稽味を帯びていて面白かった」
「どんな手段を使いました?」
「二隻の支那船《サンパン》を綱で繋いで、その綱を水中に張り渡したまま獲物の掛かるのを待つという、これが彼らの手段だったのさ。はたして汽船が引っかかったね。汽船は綱を引っかけたままずんずん先へ進んで行く。汽船が進むに従って二隻の支那船は近寄って来る。とうとう汽船の横腹へ二隻の支那船がピッタリと左右から寄って来てくっついたものさ。一旦くっついた支那船は綱に引かれて容易のことでは汽船の腹から離れようとしない。そこで縄梯子を引っかける。それを伝たわって甲板《かんぱん》の上へ螽斯《ばった》のように躍り込む。拳銃を五、六発ぶっ[#「ぶっ」に傍点]放す。これで仕事は終えたのさ。どうやら僕の見たところでは、敵の大将袁更生殿は、僕の立っていた反対の側の支那船の中にいたらしかった」
「それにしても猩々《しょうじょう》は何んのために箱の中になんかいたんでしょう!」ダンチョンはにわかに眼を丸くして恐ろしそうに叫んだものだ。
「あれか」とラシイヌは頷いて、「あれには僕も驚いた。しかし後になって気が付いたが、魔法化された猩々なのさ。そして袁更生の身代りなのさ。つまり紅玉《エルビー》の監視者なのさ」
「どうも私には解りません」
「どうやら僕の袁更生観は最初とは多少変ったらしい。最初は僕はあの男を催眠術師と思っていた。しかしそいつは違っていた。彼は道教の方士らしい。方士は自分の身代りに悪獣を使うということだ。その悪獣に法術を加えて獣の本性を失わせ、反対に自分の意志を注いで自己化した獣にするということだ。そうして自己化したその獣を※[#「馬/中」、第4水準2-92-79]※[#「くさかんむり/(歹+昜)」、105-2]《ちゅうちょう》と名付けるとかいうことを本国の図書館で見たことがある。あの猩々は※[#「馬/中」、第4水準2-92-79]※[#「くさかんむり/(歹+昜)」、105-3]《ちゅうちょう》なのさ。だから猩々は袁更生に代わって袁更生の役目を務めたのさ。紅玉《エルビー》を操《あや》つっていたのさ」



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