国枝史郎「沙漠の古都」(33) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(33)

        三十三

 恐怖に充ちた人間の叫びが背後《うしろ》の方から聞こえて来た。振り返る間もなく、私達の横を飛鳥のように駈け抜けて行くのはダイヤル部落の土人達で武器さえ手には持っていない。もちろん私達を認めても襲って来ようともしなかった。火足から遁がれよう遁がれようとそればかり焦せっているようだ。
 火足は間近に迫って来た。ちょうど紅でも流したように深林の中は真紅である。熱に蒸されて私の背中は滝のように汗が流れている。この大危険の最中にも私はこんなことを考えた。
「土人と一緒に逃げてはならん。土人の行く方へ行ってはならん。彼ら蛮人の常としていつ心が変るかもしれん。幸いに深林を出外れてたとえ草原へ出たところで、そこで土人に襲われたらやっぱり命を失ってしまう。土人の逃げて行く反対の方へどうしても俺達は逃げなけりゃならん」
 私はダンチョンへ呼びかけた。
「西南の方へ! 西南の方へ!」
 するとダンチョンが叫び返した。
「そっちへはもう火が廻っている!」
「黙って従いて来い! 黙って従いて来い!」
 そう云って西南へ方向《むき》を変えて狂人のように走り出した。ダンチョンも後からついて来る。
 見渡せばなるほど西南一帯一面に焔の海である。しかし焔の海の中にあたかも一筋の水脈《みお》のように暗黒の筋が引かれてある。どうやら一筋の谿らしい。そこまで行くには私達は大迂廻をしなければならなかった。大迂廻をするもよいけれど、向こうの谿まで行きつかない前に火事に追いつかれはしないだろうか?
 と云って、他には方法がない。
 運に任かせて私達はその大迂廻をやり出した。天の佑けとでも云うのだろう、私達が谿まで行きついた時火事もやっぱり行きついた。
 谿には河が流れていた。何より先に私達は河へ体を浸したのであった。
 こうして岸に沿いながら静かに下流へ泳いで行ったが、行手は昼のように明るくてお互いの顔の睫毛《まつげ》まで見えた。幾時間私達は流れ泳いだろう。かなり急流の河の水が全く水勢をなくなした時私達は河から這い上がって四辺を急いで見廻した。火事の光は射してはいるが、火事場からは既に遠退いている。薔薇色の火光に暈《おぼめ》かされて人間界《このよ》ならぬ神秘幽幻の気が八方岩石に囲繞された湖の面に漂っているようだ。目前に鏡のように湖が拡がっているではないか!
「湖!」
 と私は呟いた。その声は恐ろしく顫えていた。
 するとダンチョンも云うのであった。
「湖! 違いない、あの湖だろう!」
 到頭私達は来たのであった。宝庫を秘している湖へ!



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