国枝史郎「沙漠の古都」(39) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(39)

        三十九

 探検隊の一行は私を蕃地へ残したまま元来た方へ引き返した。探検隊の人達は――わけてもラシイヌ探偵は自分達と一緒に来るようにと熱心に私に勧めたけれど私は同意しなかった。どうして同意しなかったかというに、それには私だけの理由があった。
 一行がいよいよ湖畔を去って深い原始林へはいって行くや、今まで姿を見せなかった有尾人どもは木や草の中から醜悪の顔を覗かせて賑やかにお喋舌《しゃべり》をやり出した。そして人猿とほとんど一緒にどこかへ姿を隠してしまった動物学者の老人もいつの間にか岩窟に帰っていた。私は今まではダンチョンと一緒に蕃地に停まっていたのであったが、そのダンチョンも一行と一緒に原始林の中へ消えて行って私は文字通り一人ぼっちになった。だから私の友達と云えば予言者のような老人と尾を持っている原始人と湖底の怪物トラコドンなどで、友達と云えば友達ではあるが、いずれも縁遠い者どもであった。
 私はやはり以前《もと》の通りに老人と一緒に老人の岩窟で朝夕日を送っているのであったが、今度の事件が起こってからは、その老人も以前《まえ》のようには私に好意を示さなくなった。それで私は自分の住家を岩窟の外へ求めようとした。老人は長い間考えてからようやく私の希望を容れて小屋を造ることを許してくれた。老人の命令に従って有尾人達は私の小屋を湖水の見える林の中の高い木の上へ造ってくれた。人猿達は腕力に任かせて巨大の生木をピシピシ折ったり鉄より強い藤の蔓を糸でも切るように引き千切ったりして、ものの半日と経たないうちに私の小屋は出来上がった。何より私の喜んだことは老人にも人猿にも妨げられずにたった一人で小屋の中で熟考することが出来ることで、私は終日そこに坐って是非ともこれから行なって見ようと思う計画について考えた。この計画があったればこそ、ラシイヌ探偵の勧めにも応ぜず一人蕃地へ残ったのである。
 しかし私の計画についてこの備忘録へ記すより先に、何故探検隊の一行がこの土地を見捨てて立ち去ったかを書き記す方が順序らしい。

 探検隊の一行が私達の面前へ現われた日のその翌日のことであったが、ラシイヌ探偵の指揮の下に革船を一隻湖水に浮かべて湖底の様子を探ろうとした。折り畳み式の革船で八人乗りの大きさであった。湖水に浮かべる船としてはこれ以上勝れた船はない。軽く漂々と水に浮かんで燕のように軽快である。
 ラシイヌ探偵とレザール氏とマハラヤナ博士と医学士とダンチョン画家と二名の土人、そして私とが船に乗った。湖底の雷龍が首でも上げて船を覆さないものでもないとラシイヌ探偵は心配して、岸に集まっている土人軍に命じて時々大砲を撃たせることにした。もちろんそれは空砲で、ただ臆病の雷龍をその音響で威嚇していつまでも湖底に止どまらせるのがラシイヌ探偵の望みであった。
 殷々と鳴り渡る大砲の音に私達の船は送られて湖水に向かって漕ぎ出した。行く行く私達は水眼鏡で湖水の中を覗いたが、珍奇な水草と畸形の魚とで水中はあたかも人の世における五月の花盛りそっくりである。
 原始林が風を遮《さえぎ》るので湖水の面は漣《さざなみ》も立たずちょうど胆礬《たんばん》でも溶かしたように蒼くどろり[#「どろり」に傍点]と透き通っている。岸に近い水面は木立を映して嵐に騒ぐ梢の様子がさながらに水に映って見えている。船の進むに従って水尾《みお》が一筋水面に走りそこだけキラキラと日光に輝き銀色をなして光っている。無数の水禽《みずとり》が湖心の辺《ほとり》に一面に浮かんで泳いでいたが、船が近付くのも知らないようにその場所から他へ移ろうともしない。
 私達は湖水の中心へ来た。そこでしばらく船を留めて湖底の様子を窺った。しかし到底水眼鏡などでは幾丈と深い水の底を突き止めることなどは出来なかった。靡《なび》く水草、泳ぐ魚、わずかにそれらが見えるばかりだ。
 そこで今度は岸に添うて湖水の周囲を調べようと土人軍達が屯《たむ》ろしているその岸を指して船を漕いだ。土人達はほとんど間断なく空砲を空に向けて撃っている。その陰森たる大砲の音は人跡未踏の神秘境のあらゆる物に反響して木精《こだま》となって返って来る。
 こうして私達の革船が岸から十間ほどに近付いた時、にわかに船が動かなくなった。そしてその次の瞬間には、反対《あべこべ》に船は速く走って後方《あと》へ後方へと戻るのであった。
 思いがけないこの出来事はどんなに私達を驚かせたろう! 半分飽気にとられながらそれでも腕力を櫂にこめて岸へ近付こうと漕ぎつづけた。すると今度は後方《あと》へも戻らず勝《ま》して前方《まえ》へは進もうともせず岸から十間の距離をへだててただ岸姿《きしなり》に横へ横へとあたかも湖水を巡るかのように急速に革船は廻り出した。
 その時ラシイヌの鋭い声が私達の耳を貫いた。
「水を見ろ! 水を見ろ! 水を見ろ!」と。
 私達は一斉に湖上を見た。湖水は湧き立っているのではないか!



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