国枝史郎「沙漠の古都」(41) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(41)

        四十一

 ……今、水牛が穴の中へもんどり[#「もんどり」に傍点]打って投げ込まれた。水勢は忽ちそれを捉らえて穴の内面を漏斗形にグルグルグルグルとぶん[#「ぶん」に傍点]廻した。もがく事さえ出来ないと見えて四足を高く持ち上げたまま余りに水勢が劇しいため水中に深く沈むことも出来ず全身を水面へ露出したまま虹の花輪のその真下で死の輪舞を続けていたがやがて次第に水勢に巻かれて下の方へ下の方へと落ちて行き忽ち姿は見えなくなった。次から次と様々の獣が今の水牛と同じように渦巻に散々揉まれたあげく例外なしに水穴へ落ちると、同じように漏斗形に廻り廻ってやがて地底へ引き込まれて行く……そして水穴の縁の辺には水蒸気の雲が立ち迷い虹がキラキラと輝いている。……見る見るうちに水は減り周囲の岸が高く峙立《そばだ》ち、湖底が徐々に露出《あらわ》れて来た。
 ――私の書き記す備忘録には少しの偽りも記してない。偽りを書かない備忘録へ私はこの後の光景を実に次のように書いたのである。……

 やがて湖水は全く涸れて、いつか渦巻も消えてしまった。そしてその後へ残ったものは欝々《うつうつ》たる原始林に取り囲まれた火山岩で造られた大穴である。所々の水溜には小魚がピチピチ刎ねているし水草が岩石にからまっている。底には砂礫が溜まってはいるが泥はほとんど見あたらない。砂礫に埋もれて恐龍の死骸が幾個もあちらこちらに転がっている。
 私達始め土人達は湖水の跡へ下りて行って各※[#二の字点、1-2-22]勝手の探検をした。
 私達は渦巻の起こったほとりの湖水の底とも覚しい辺へ急いで足を向けて行ったがそこには直径一町もあるような大磐石があるばかりで穴らしいものの影もない。ダイナマイトを取り寄せて念のため大石を砕いて見たが岩の破片が飛ぶばかりで大磐石は動こうともしない。
 それからいったい湖水の水はどこへ流れて行ったのであろう? そして巨大な獣はどこへ行衛を眩ましたのであろう?
 空は蒼々と照り渡り森林は粛然と立っているが、私達の疑問は解けようともしない。誰も彼も黙然と押し黙って四辺を見廻すばかりである。
 マハラヤナ博士は印度人らしい迷信深い眼付きをして、天地を交替交替《かわるがわる》見廻していたが、卒然としてこう云った。
「神の怒りじゃ! 神の奇蹟じゃ! 霊地を我々が穢したため天帝が恐ろしい奇蹟を現わし我々に怒りを示されたのじゃ!」
 するとラシイヌは科学的の冷やかな声でこう答えた。
「神の怒りではありますまい。恐らく奇蹟でもありますまい。彼らが――すなわち、人猿どもが、悪戯《いたずら》をしたのだと思われます。奇蹟ではなくトリックです」
「いやいや決してそんな筈はない」博士は躍起となりながら、「奇蹟でなくて何んだろう? あの大水が見ているうちに行衛知れずになったのは正しく神の奇蹟なのじゃ! 人猿どもに、あんな動物に、これだけの奇蹟が何んでやれよう、――それとも君は水の行衛を説明することが出来るかな?」
「岩です、岩です、この大磐石です! この中へ水は落ち込みました」
「それでは君は岩を砕いて水の在所《ありか》を示すがよい」
「ご覧の通りダイナマイトを掛けても大磐石は砕けようともしない。この大岩さえ砕けましたら水の在所はすぐに知れます」
「いやいや、岩の砕けないのがすなわち神の御心《みこころ》なのじゃ!」
 二人の議論は土人達の間に電光のように拡がった。迷信深い土人達は迷信深い博士の説に一も二もなく同意した。
 そして土人のこの行動が結局大勢を左右してラシイヌ探偵も一行と一緒にこの土地を去らなければならなくなった。そして最初の計画通り濠州を指して第三番目の探検旅行を試みようとサンダカンに向かって引き返した。

 私は蕃地へとどまったが、私の蕃地の生活はかなり不自由で寂しかった。
 私は終日小屋に籠もって計画について考えた。計画というのは他でもない。ラシイヌ探偵の意見と同じく水の行衛《ゆくえ》を探すことであった。
 私は次のように考えた――
 湖水の水が涸れたのは涸らすだけの仕掛けがあったからで決して神秘でも奇蹟でもない。それならいったい何んの理由で湖水の水を干したのか? それは思うに、羅布《ロブ》人の巨財が湖水に隠されてはいないということを、探検隊の人達に証明するためのトリックである。
 それではいったい湖水の水はどこに湛えられてあるのであろう? それこそ私がどんなことをしても探し出そうと決心している大事な計画の一つであって水の行衛が知れると一緒にあるいは羅布《ロブ》人の巨財の在所《ありか》も自ずと知れるようにも思われる。
 私はとにかく何より先に有尾人達の住んでいる森林の中へ分け入って私の疑問を試みようとした。しかし不思議にも人猿どもは、私を絶えず監視して森の奥を訪《おとの》うのを拒絶した。そしてもちろん岩窟《いわや》の老人も私が森林へ分け入ることを非常に嫌っているらしかった。
 そこで私はこう思った――
「何より先に人猿どもを自分の味方に慣《なつ》けなければならない」
 とは云えどうしてなつけ[#「なつけ」に傍点]たものか最初は考えにも及ばなかったがその内一策を考え出した。私は美味《うま》い食物によって彼らを釣ろうとしたのであった。彼らは半分《なかば》人間ではあったが煮焚《にた》きの術を知らなかった。それを私は利用したのである。
 ある日私はいつものように自分の小屋の石のストーブで兎の肉を燻《い》ぶしていた。それがすっかり出来上がった時果実《このみ》の絞り汁に充分浸して小屋から外へ出て行った。



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