国枝史郎「沙漠の古都」(42) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(42)

        四十二

 森林には大勢の人猿どもが彼らの生活を営んでいたが、私を見ると警戒するように互いに何か叫び合った。私は老人に教わった人猿どもの言葉のうち、簡単な単語だけを知っていたので、最初に行き逢った人猿に向かって、
「焼き肉。食え!」
 と彼らの言葉でまず元気よく云って置いて持って来た燻肉を投げてやった。その人猿は最初のうちは地に落ちている肉の片を審《いぶか》しそうに見ていたが、とうとう片手で取り上げて口へ持って行って噛み付いたが、生肉の味とは似ても似つかぬ微妙な味に驚いたか、その肉片を握ったまま彼の仲間へ飛んで行き、忙がしく何か喋舌り出した。と一斉に人猿どもは私の方へ眼を向けたが爛々と光るその眼に打たれて私は思わず戦慄した。
 次の瞬間には私の周囲《まわり》を幾百という人猿どもが三重にも四重にも取り巻いて、両手を私へ突き出してじっと私を見守っていた。手に持っただけの肉片を彼らの群の中へ投げ込んで置いて、私は恐怖に襲われながら木の上の小屋へ逃げ込んだ。
 私の計画は成功してその時以来人猿どもは私の姿を見掛けさえすれば、両手を前へ突き出して燻肉を請求するのであった。
 ある時私は蔓《つる》で編んだ大きな籠を拵えたがその中へ燻肉を一杯に充たして最初の旅行を企てた。しかし十町と行かないうちに籠の中の肉は悉《ことごと》く尽き、肉が尽きると人猿どもは歯をむき[#「むき」に傍点]出して威嚇した。そして私を小屋の方へ遠慮会釈なく追い立てた。それで私はまた空しく小屋へ帰らなければならなかった。
 こうして幾日か日が経った。
 湖水は依然として空である。水溜りの水も悉く干《ひ》て水草などは大概枯れた。
 無尽蔵にいる兎や狐を狩り取ることもいと容易《や》すければ、その肉を燻《あ》ぶることも焼くことも大して手間は取らなかったが、私の目指す森林の奥まで持ち運ぶ方法に苦しんだ。途中で餌物がなくなろうものなら、あの兇暴な人猿どもはまたもや遠慮会釈なく小屋へ追い返すに違いない。これが自分には苦痛であった。
 しかし窮すれば通ずという古い諺にもある通り、間もなく私はその困難に打ち勝つ方法を発見した。
 荷車を製造《つく》るということである。
 なんという容易なことだろう! しかしこうやって思い付いて見ればきわめて容易のことではあるが、思い付くまでの苦心と云ったらまたひと通りのものではない。私はこの事を思い付くや否や嬉しさのあまり雀躍した。
 私は焼き肉を褒美にして人猿どもを使用した。彼らは私の命令通りどんなことでもするのであった。彼らの爪は鋸《のこぎり》であり彼らの犬歯《きば》は斧であった。そして素晴らしいその腕力はモーターとでも云うべきであろう。やはり半日とはかからないうちに立派な一個の荷車が出来た。思う仔細があったので、その他に私は一人乗りの筏《いかだ》を一隻製造《つく》らせた。二本の櫂《かい》も……
 それは天気のよい朝であったが、焼き肉を荷車にウンと積み込み筏をその上に引き冠ぶせ、筏の上へは私が乗って、一匹の人猿に車を押させて二度目の旅へ出発した。

 人猿は四方から集まって来てひしひしと荷車を取り囲み胡散臭《うさんくさ》い眼付きで私を見た。その時私は一掴みの焼き肉を後方目掛けて投げつけた。これと同時に人猿の群から鋭い叫び声が湧き起こり、続いて格闘が始まった。落ちて来た焼き肉を拾おうとして互いに争っているのである。元来彼らは食物については仲間同志争った例がない。それは彼らの世界とも云うべきこの広大なる原始林の中に無尽蔵に食物があるからであって、彼らは自分の要求に応じて何んでも自由に得ることが出来た。自然競争の必要もなく格闘することもなかったのである。それだのに一度私が現われこれまで一度も味わったことのない、不思議な食物――焼き肉が、私の手によって投げられた。しかもその肉はきわめて美味でその上制限されていて無尽蔵に食うことは出来ないのである。だからどうしても必然的に食物競争が行われる。そこが私の付け目であって、彼らが競争しているうちに荷車を前方へ進めるのであった。
 焼き肉――競争――格闘――前進!
 日光も透さぬ大森林を荷車はグングン進んで行った。そして朝が昼となりやがて夕暮れが近付く頃、大森林の涯《はて》まで来た。
 この森林の果てへ来るのが私の唯一の目的であった。そして森林のこの果てはかつて前方《まえかた》ダンチョンと一緒に道に迷って来た事があった。そしてその時私は見た!
 代赭《たいしゃ》色をした平原を! その代赭色の沙漠の中に一筋堤防のあったことを! そして堤防のその上に二頭の狛犬に守られて神の社があったのを!



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