国枝史郎「沙漠の古都」(44) (さばくのこと)

国枝史郎「沙漠の古都」(44)

        四十四

 老人は静かに云いつづけた。
「凄まじいほどの巨財なのじゃ。ところで今日の世界と云えば物質一方の世界ではないか。そういう世界へこれだけの巨財を仮りに提供したとなったら、その財宝の所有争いで国々で戦争さえするであろう。それを私は恐れるのじゃ」
 老人はこう云って沈黙した。私には老人のその言葉がいかにも真理に聞こえたのでそれからは何んにも云わなかった。
 老人は自分で蝋燭を取って私の前を歩きながら、地下に造られた四十の部屋をいちいち私に見物させた。
 お伽《とぎ》の世界にでもあるような幽幻神秘の宝物庫が、私の眼前に展開されて、見て行く私の眼を奪い計り知られぬその価値に私は思わず溜息をした。
 私は発見したのである! 探し廻っていたその宝庫を! 数千年前支那の西域羅布《ロブ》の沙漠に国を建てた回鶻《ウイグル》人の一大国家が、基督《キリスト》教徒に征《せ》められて国家の滅びるその際に南方椰子樹の島に隠した計量を絶した巨億の財を私は今こそ発見《みつ》けたのだ!
 老人と一緒に船に乗って私は森林へ帰って来た。そして人猿に守られて老人の岩窟へはいったのである。
 こうして再び老人と一緒に岩窟《いわや》で生活するようになった。
 老人が彼らに命じたのでもあろう、それ以来私は人猿達に監視されることがなくなった。私は文字通り森林の中を自由自在に歩くことが出来て、老人をこの国の国王とすれば私は副王の位置にあった。
 私の生活は安全であり前途は希望《のぞみ》に充ちていた。と云うのは老人が口癖のようにこのように私に語るからであった。
「わしは大変年老いている。わしは間もなく死ぬだろう。そうしたら君こそここの王じゃ。ここの国王に成ったからには、あの水底の地下室の一切の財宝の所有者じゃ! 君の随意にすることが出来る」
 しかし老人は容易のことではこの世を去りそうにも見えなかった。钁鑠《かくしゃく》として壮者を凌《しの》ぎ森林などを駈け歩いても人猿などより敏捷であった。私も老人の真似をしてよく森林を駈け歩き彼らに負けまいと努力した。
 こうして半年が経過した。そして一年が過ぎ去った。
 ある日老人が私を呼んで、種々の鍵を手渡してくれた。そしてどうして一日のうちに大水を自由に動かし得るかそういうことまで話してくれた。それは老人の科学思想がいかに発達しているかを証明するに足るところの霊妙を極わめた装置であって、それを私が知った時にはこの老人を敬う念が以前《まえ》よりは一層加わっていた。
 老人は私の手を握った。
「君は明日からここの王じゃ。彼らを愛してやりたまえ。私は少しく休息しよう」
 こう云って優しく目を閉じた。その日が暮れて夜となり月が天上に輝いている時老人は安らかに死んで行った。
 翌日私達は老人のために新らしい柩《ひつぎ》を拵えた。夜になるのを待ち構えて小丘の上へ葬った。いつも賑やかな人猿達も今宵に限って静粛であった。空には月が照っている。森林では夜鳥が鳴いている。人猿どもは墓標を囲んで夜が更けるまで蠢《うごめ》いている。
 墓場の前で人猿達に、私はこのように宣言した。
「老人に代わって張教仁がこの森林の王となる! それはお前達の誰よりも私が一番利口だからだ!」
 人猿どもは首を垂れて私の言葉を傾聴した。私はそこで丘を下りた。人猿達は私を守って虔《つつま》しやかに歩いて行く。
 こうして私はこの日を初めに完全にこの国の王となった。人猿どもはこれまで通りに森林の中で楽しげに暮らして老人のことは忘れたらしい。私の言葉の命ずるままに彼らは怡々《いい》として従った。
 私は新らしく授けられた自分の力を試みようと、老人の教えに従って一つの鍵を使用した。するとその時まで乾いていた湖水の跡の大磐石が音もなく静かに刎ね上がり、その後へ出来た大穴から沸々と水が盛り上がった。見る見るうちに漲り渡り再び洋々たる湖水《みずうみ》の態《さま》が私達の眼前に拡がっていた。
 人猿たちはそれを見ると森林の中から走り出て、湖岸に立って奇怪至極の彼らのダンスをやり出した。
 ここに再び人猿国には昔ながらの平和が帰り、巨財を貯えた四十の地下室は沙漠の砂丘を頭に戴き肩のほとりに秘密の入り口――すなわち狛犬《こまいぬ》に守られたところの不思議な社《やしろ》を保ったまま落ちる夕陽、昇る朝陽に燦《まばゆ》くキラキラと輝きながら永遠の神秘を約束して私の支配下に眠っている。



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