国枝史郎「三甚内」(06) (さんじんない)

国枝史郎「三甚内」(06)

        六

 今は火急の場合である。甚内は本意ではなかったが、投げ合掌と捨て念仏、お米の死骸へ義理を済ますと、すぐ甚右衛門の後へ従《つ》いて幾個《いくつ》かの梯子段を下りて行った。
 裏の木戸口には人影もない。
「さあこの隙に。……ちっとも早く……」
 そっと甚右衛門は囁いた。
「兄貴、お礼の言葉もねえ」
「なんの昔は同じ身の上、足は洗っても義理は捨てねえ」
「それじゃ兄貴」
「たっしゃで行きねえよ」
 勾坂甚内は身を飜えすと、小暗い家蔭へ消えてしまった。

 寂然《しん》と更けた富沢町。人っ子一人通ろうともしない。
 サ、サ、サ、サ、サッと、爪先で歩く、忍び足の音が聞こえて来たが、一軒の家の戸蔭からつと[#「つと」に傍点]浮かび出た一人の武士。辷るように走って来る。と、その行く手の往来へむらむら[#「むらむら」に傍点]と現われた一群の捕り手。
「御用!」と十手を宙に振った。「遁がれぬところだ勾坂甚内、神妙にお縄を頂戴しろ!」
「…………」甚内はそれには答えずに、かえってそっちへ駈け寄せて行く、その勢いに驚いたものか、捕り手はパッと左右へ開いた。その真ん中を馳せ抜けようとする。ピュ――ッと響き渡る呼子の笛。これが何かの合図と見えて、甚内を目掛けて数十本の十手が雨霰と降って来た。これには甚内も驚いたが、そこは武蔵直伝の早業、十手の雨を突っ切った。大小の鍔際《つばぎわ》引っ抱え十間余りも走り抜ける。この時またも呼子の音《ね》が背後《うしろ》に当たって鳴り渡ったが、とたんに両側の人家《いえ》の屋根から大小の梯子幾十となく、甚内目掛けて落ちかかって来た。
「これまで見慣れぬ不思議な捕縛法《とりかた》。これはめった[#「めった」に傍点]に油断はならぬ」
 肩をしたたか[#「したたか」に傍点]梯子で打たれ、甚内は内心胆を冷したが、また少からず感心もした。
 彼は街の四辻へ出た。
「あっ」――と思わず仰天し、甚内は棒のように突っ立ったのである。
 どっちを見ても無数の捕り手がぎっしり[#「ぎっしり」に傍点]詰まっているではないか。
「もういけねえ」と呟きながらもどこかに活路はあるまいかと素早く四方を見廻した。と、正面に立っている古着屋らしい一軒の家の、裏戸が幽かに開けられたが、その際間から手が現われ甚内を二、三度手招いた。
 これぞ天の助くるところと、甚内は突嗟《とっさ》に思案を決めると、パッと雨戸へ飛びかかり、引きあける間ももどかしく家内《なか》へはいって戸を立てた。
 はいった所が土間である。土間の向こうが店らしい。店の奥に座敷があってそこに行燈が点っている。そうして四辺《あたり》には人影もない。
 甚内はちょっと躊躇《ためら》ったが、場合が場合なので案内も乞わず燈火《ひ》のある座敷へつかつか[#「つかつか」に傍点]と行った。
 座敷の真ん中に文台がある。文台の上には甚内にとって見覚えのある印籠がある。そしてその側には添え状がある。
「進上申す印籠の事。
  旧姓、飛沢。今は、今日の捕手頭《とりかたがしら》[#地から2字上げ]富沢甚内より

  勾坂甚内殿へ」
「あっ」思わず声を上げた時。
「御用!」と鋭い掛け声がしたと同時にどこからともなく投げられた縄。甚内はキリキリと縛り上げられた。
「ワッハッハッハッ」
 と、哄笑する声が続いて耳もとで起こったが、それと一緒に天井の梁《はり》からドンと飛び下りたものがある。
 細い縞の袷を着、紺の帯を腰で結び、股引きを穿いた足袋跣足《たびはだし》、小造りの体に鋭敏の顔付き。――商人《あきんど》にやつした目明しという仁態。それがカラカラと笑っている。
 それは紛れもない五年以前に川口町の天水桶の蔭から、ヌッと姿を現わして勾坂甚内を呼び止めたあげく、その甚内に切り立てられ危く命を取られようとした匕口《あいくち》を持った若者であった。
 そうと知った甚内は心中覚悟の臍《ほぞ》を決めた。
「いよいよいけねえ」と思ったのである。
「瞞《だま》して捕えるとは卑怯な奴、何故宣《なの》って掛かって来ねえ」
 甚内は口惜しそうに詈った。
「瞞そうとまた騙《たばか》ろうと目差す悪人を縛《しょぴ》きさえすればそれで横目の役目は済む。卑怯呼ばわりは場違いだ!」男は寛々と云い放したが、そこで少しく居住居を直し、「おい甚内、それはそうと、あの時は酷《ひど》い目に合わせやがったな」
「それじゃやっぱりあの時の……」
「ふてえ[#「ふてえ」に傍点]分けをせびった野郎よ」
「それが今ではお上の目明し?」
「それも改心したからさ。……駿河台の大久保様、彦左衛門のご前に縋り、罪障悉《ことごと》く許されたところから、表向きは古着商売《あきない》、誠は横目ご用聞き、姓も飛沢を富沢と変え、昔は自分が縛られる身、今は他人を縛るが役目、富沢流取り縄の開祖、富沢甚内とは俺がこと、何んと胆が潰れたか!」
「ふふんそうか、いや面白え。……昔は同じ夜働き、三甚内と謳われた我ら、今は散々《ちりぢり》バラバラの、目明しもあれは女郎屋もある。これが浮世か誰白浪の俺一人が元のままの泥棒様とは心細いが、それもこうして縛られたからには二度と日の目は見られめえ。すなわち往生観念仏、三甚内はこの世からつまり消えたも同じ事、江戸は今からご安泰だ。アッハッハッハッ」と揺すり上げて勾坂甚内は笑ったが、それは悲壮な笑いであった。
 戸外《そと》では雪が降り出した。遅い今年の初雪で、一旦さっき止んだのがまたしめやかに降り出したのである。
 間もなく浅草鳥越において勾坂甚内は磔刑《はりつけ》に処せられ無残の最後をとげたそうであるが、庄司、富沢の二甚内はめでたく天寿を全うし畳の上で往生をとげ、一は吉原の起源を造り一は今日の富沢町の濫觴《らんしょう》を作《な》したということである。





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