国枝史郎「神秘昆虫館」(23) (しんぴこんちゅうかん)

国枝史郎「神秘昆虫館」(23)

  23

 黒装束で身を固めた、見覚えのある武士が一人、家の陰から現われて、行手を遮ったからである。
「一式氏」とその武士が云った。すなわち南部集五郎であった。
「また逢いましたな、これで三度目」
「南部氏か」と小一郎は、素早く四辺《あたり》を見廻したが、「貴殿一人ではあるまいな」
「さようさ」と云ったが集五郎は、とぼけ[#「とぼけ」に傍点]たような調子となった。
「今のところは拙者一人で」
「三度逢ったと云われたが、拙者を襲ったのは五度目でござろう」
「どう致しまして、三度目で」
「先夜お茶の水の往来で、拙者を襲ったのも貴殿のはずだ」
「ははあ感付きめされたかな。……ひどくあの時は一式氏、いつもに似気無くお弱うござんしたな」
「留守中の拙宅を襲ったのも、貴殿一味でござろうがな」
「敏感々々、その通りで」
「だからよ五度日だ、今夜を入れて」
「御意!」と集五郎は揶揄的に笑った。「下世話に三度目が定《じょう》の目というが、そいつが延びて五度目の定の目、今夜こそ遁さぬ、一式氏、充分観念なさるがよろしい」
「さようよなア」と小一郎は、伝法な口調に砕けたが、眼では四方をジロジロ見廻し、ちょっとの油断もしなかった。そうして心で考えた。「間を持たせて様子を見てやろう」そこで悠々と云い出した。「それはそれとして南部氏、よく水難から遁れましたな」
「あああれ[#「あれ」に傍点]か」と集五郎は、鼻白んだ声音を作ったが、「いや全く三浦半島、木精《こだま》の森の大水には、さすがの拙者も参ってござるよ。一同谷間へ流されましてな、アブアブ水を飲みましたっけ。が、それそこは天祐というやつ、二三人怪我はしましたが、命に別条はげえせん[#「げえせん」に傍点]でした」頼むところがあると見え、南部集五郎いつもに似気無く、寛々《ゆるゆる》としておちついている。「貴殿こそあの際どうなされた?」
「さればやっぱり天祐というやつ、水にも溺れずにピンシャンと、ご覧の通り壮健で」
「めでたい」と集五郎はいよいよ揶揄的に、「その上貴殿におかれては、昆虫館へ参られたようで」
 これにはちょっと小一郎は驚かざるを得なかった。「よくご存知だの、どうして知られた」
「永生の蝶を持っているからよ」
「よくご存知だの、どうして知られた?」
「女方術師、蝦蟇《がま》夫人、その本名は冷泉華子《れいぜいはなこ》、そのお方の透視《みとおし》で知れた」ここでウンと威張ったが、「その華子様仰せらく『江戸を中心に五十里の地点、そこに住んでいた永生の蝶、その一匹が江戸へ入った』――そこで探しにかかったところ、目付かりましたよ、貴殿の道場が。鐘巻流剣道指南、一式小一郎とありましたからな。ははあとすぐに感付いて、それからそれと探りを入れると、知れましたなあ、永生の蝶をたしかにお持ちということがな」
「そこでその蝶を奪おうと、再々拙者を襲われたのだな」
「御意」と集五郎はまた揶揄的に、「どうだな、柔順《すなお》に渡されては」
「さればさ」と云ったが小一郎は、わざとらしく首を引っ傾げた。
「余人へならば渡してもよい。が、貴殿へは渡されぬよ」
「ウフッ、なるほど、恋敵だからで」
「その恋敵で思い出した。これ南部氏、集五郎氏、小梅田圃で耳にした、例の美しい声の主に、拙者面会致してな、恋の告白をしたところ、早速承知というところで、お手を下されたというものだ。うらやましかろうがな、いかがのもので」――こん畜生め! というような調子、そいつで小一郎はまくし立てた。
 こいつを聞くと集五郎は「ううむ」と唸ったがその唸り、さすがに気色が悪そうであった。「そうさどっちみち昆虫館へ入り込み、永生の蝶を盗み出した貴殿だ、乙女の恋も盗んだでござろう」
「無礼な!」と小一郎は一喝した。「盗みはせぬよ、永生の蝶を、手に入れたのだ、偶然にな!」
「さようか」と集五郎は毒々しい。「まあまあそいつはどうでもよい。そうともそいつはどうでもよい。とまれ貴殿永生の蝶を、持っているのは事実だからの。でこっちへふんだくる[#「ふんだくる」に傍点]、それだけで当方用はない。そこでちょっくら[#「ちょっくら」に傍点]訊きたいは、たった今貴殿ご自慢の、美しいお声の主との恋、首尾よく成就しましたかな? 云い換えるとご婚礼しましたかな?」
「ナニ婚礼!」と小一郎、これにはギョッとしてつまずいたが、「うむ、婚礼か、いや未だ」
「それではいつ頃?」
「いずれその中……」
「気の毒だなあ」
「何が何だと!」
「プッ」と集五郎はどうしたものか、にわかに吹き出したものである。
「昆虫館主のご令嬢、美しい声の桔梗様が、山を下ってついこの頃、江戸へ入ったを知らないと見える」
「えッ」と仰天した小一郎は、「それは本当か!」ヌッと出た。
「迂闊な武士め!」
「何を! ……嘘だ!」
「よかろう」と集五郎はへラヘラ笑い、「嘘だ嘘だと思うがいい。その中我らひっ[#「ひっ」に傍点]攫う」
「云え!」と小一郎の凄じい声! 「云え云え云え、どこにいる!」
「ある所によ、かくまわれ[#「かくまわれ」に傍点]てな」
「どうして知った?」
「透視だあ――」
「参るゾーッ」
 と小一郎は、例の大音に怒りを加え、吠えるがように響かせたが、腰を捻ると抜き打ちだ。鞘走らせたは一竿子忠綱、月光を突ん裂き横一揮、南部集五郎の左胴、腰の支《つが》えをダーッと切った。
 だが抜き合わせた集五郎、チャリーンと鍔元で払ったが、ジタジタと退《ひ》くと、脅えた声で「方々出合え、方々出合え!」
 声に応じて家陰から、ムラムラと現われたは二十人ほどの武士。






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