国枝史郎「神秘昆虫館」(28) (しんぴこんちゅうかん)

国枝史郎「神秘昆虫館」(28)

  28

 だがそれにしても桔梗様は、誰に誘拐《かどわか》されたのだろう? どこへ運ばれて行ったのだろう? 隅田のご前というような、あんな立派な人物によって、城廓めいた宏大な屋敷に、秘蔵されていた桔梗様だのに、どんな手段で誘拐されたのだろう?
 そうして一式小一郎は、はたして駕籠へ追い付いて、取り返すことが出来るだろうか?
 今、月夜の東海道は、人通りがなくて静かである。
 と、その時江戸の方から、一つの掛け声が聞こえてきた。「エッサ、エッサ、エッサ、エッサ!」――だんだんそれが近づいて来る。と、間もなく月光に浮かび、畸型な群像が現われた。屈竟な六人の若者が、体をピッタリくっつけ[#「くっつけ」に傍点]合わせ、六本の腕を組み合わせ、巧みに作った「手組輿《てくみこし》」――その上へ一人の女を乗せ、空いている片手で調子を取り、舞うように走って来るのであった。七福神と称されて当時の旗本や大名などに、非常に恐れられた怪盗である。彼らの掛けるエッサの声が、水上であれ陸上であれ、一旦掠めて通った後には、犠牲者が出来たという事である。だが決して細民や、女子供など襲ったことはなく、衣裳だの宝物だの器具調度だの、そんな物を盗んだこともなく、黄金か武器か弾薬かを、唯一に盗んだということである。町方でも苦心して捕えようとしたが、捕えることが出来なかったそうだ。「ある素晴らしく高貴な方が、陰ながら保護をしているからだ――」ある方面での噂であった。町方で探ったところによると、蛭子《えびす》三郎次、布袋《ほてい》の市若、福禄の六兵衛、毘沙門の紋太、寿老人の星右衛門、大黒の次郎、弁天の松代、これらが彼らの名であって、弁天の松代が一党の頭《かしら》で、そうして松代は美しい、若い女だということであった。彼らが水上を駛《はし》る時は、宝船に則った軽舟を用い、また陸上を走る時は、彼ら独特の「手組輿」――そういうもので走ったそうである。
 その怪盗の七福神組が、今や走って来たのであった。
 手組輿とは変なものではあるが、要するに七人が七人ながら、心と体を一つに食っ付け、一緒の行動を取ろうがために、彼らの案じた人間輿で、意味深いものでもなさそうである。しかし七人が心身を一にし、一致の行動をとるのであるから、自由の活動、敏速の歩行、これは出来るに相違ない。
 何と云う速さだ! 走って来る!
 と、突然女の声がした。「おっと待ったり、お止めお止め!」「合点」と一団止まってしまった。同時にバラバラと手組興が崩れ、ヒラリと飛び下りたは一人の女で、髪は結綿、鬼鹿子、黄八丈の振り袖を纏っている。頭の弁天松代である。手を延ばすと地面から、何かをヒョイと取り上げたが、月に翳《かざ》すと、「やっばりそうだ!」
「え?」と六人が同音に声を掛けたが首を延ばした。手甲脚半腹掛け姿、軽快至極の扮装《みなり》である。一同お揃いの姿である。
「桔梗様の持物の銀替が落ちていたのさ、これここにね。月が当たってピカピカと光っていたから目付かったのさ」
「それじゃア姐《あね》ごの思惑通り、こっちへ攫われて来たんだな」腕に蛭子《えびす》の刺青のある小頭の蛭子三郎次である。
「それじゃアどこかに血で書いた、小菊の紙が落ちていなけりゃアならねえ」こう云ったのは十七八の前髪のある男である。すなわち布袋の市若である。
「ところがどこにもねえようだぜ」四方《あたり》をキョロキョロ見廻したのは、三十を一つ二つ越したらしい、萌の細長い男であったが、これ福禄の六兵衛であった。
「なにさなにさ風だって吹く、どこかへ飛ばされて行ったんだろう」こう云ったのは爺むさい小男、他ならぬ寿老人の星右衛門。
「さっき浅草で拾ったのは、これも桔梗様の持物? #[「王」へん+「毒」]瑁《たいまい》の櫛へ巻き付けた血書! そうしてここには銀簪! とするとこれからも要所々々へ、何か品物を落とすものと見える」こう思料深く云ったのは、四十がらみの大男、すなわち大黒の次郎である。
「何はともあれ走ろうぜ」こう云ったのは年面の男、「突っ立っていたって仕方がねえ」こいつは毘沙門の紋太である。
「そうともそうともさあ行こう」弁天の松代は意気込んだ。「思案している時じゃアない。桔梗様には処女《おぼこむすめ》だ。一刻半時の手違いで、取り返しの付かない身ともなる。それこそ泣いても泣かれない。それにしてもさ、一体全体、どいつがこんなことをしたんだろう。七福神組を出し抜いて、途方もない真似をしやアがる。と、云って怒ったってはじまらない。見付け出すより仕方がない! ……さあさあお組みよ、手組輿を!」








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