国枝史郎「血ぬられた懐刀」(01) (ちぬられたかいとう)

国枝史郎「血ぬられた懐刀」(01)

別るる恋

「相手の権勢に酔わされたか! ないしは美貌に魅せられたか! よくも某《それがし》を欺むかれたな!」
 こう罵ったのは若い武士で、その名を北畠秋安《きたばたけあきやす》と云って、年は二十三であった。
 罵られているのは若い娘で、名は萩野《はぎの》、十九歳であった。
 罵られても萩野は黙っている。口を固く結んでいる。そうして足許を見詰めている。その態度には憎々しいほどの、決心の相が見えている。
「さようか、さようか、物を言わぬ気か、それ程までに某を、もう嫌って居られるのか。薄情もそこまで行き詰めれば、また潔いものがある。で、某も潔くやろう。二人の仲は今日限りに、あか[#「あか」に傍点]の他人の昔に帰ろう。が、一言云って置く、不破小四郎《ふわこしろう》は伴作《ばんさく》殿の従兄《いとこ》で、関白殿下のご愛臣で美貌と権勢と財宝とを、三つながら遺憾なく備えて居られる。で、幸福のお身の上よ。が、そういうお身の上の方は、何事につけても執着がなくて、女子などにも薄情なものだ。で、其方《そなた》に予言して置く、間もなく小四郎に捨られるであろうぞ」
 捨石から腰を上げた秋安は、萩野を尻眼に睨んだが、そのままスタスタと歩き出した。一切未練は俺にはない――と云ったような歩き方である。とは云え灌木の陰へかくれて、萩野の姿の見えなくなると一緒に、その歩き方は力なげになった。
 絶望が心に涌いたからである。
 ここは京都の郊外の、上嵯峨《かみさが》へ通う野路である。御室《おむろ》の仁和寺《にんなじ》は北に見え、妙心寺《みょうしんじ》は東に見えている。野路を西へ辿ったならば、太秦《うずまさ》の村へ行けるであろう。
 その野路をあてもなく、秋安は西の方へ彷徨《さまよ》って行く。
 季節は酣《たけなわ》の春であった。四條の西壬生《にしみぶ》の壬生寺では、壬生狂言があるというので、洛内では噂とりどりであった。そうして嵯峨の嵯峨念仏は、数日前に終わっていた。
 そういう酣の春であった。
 この野路の美しさよ。
 木瓜《ぼけ》の花が咲いている。※[#「木+(虍/且)」、第4水準2-15-45]《しどみ》の花が咲いている。※[#「米+屑」、484-下-13]花《こごめ》の花が咲いている。そうして畑には麦が延びて、巣ごもりをしている鶉《うずら》達が、いうところのヒヒ鳴きを立てている。
 農家がパラパラと蒔かれていたが、多くは花に包まれていた。白いのは木蓮か梨の花であろう。赤紫に見えるのは、蘇枋《すおう》の花に相違ない。
 と、灌木の裾を巡って、孕鹿《はらみじか》が現われた。どこから紛れ込んだ鹿なのであろう? 優しい眼をして秋安を見たが、臆病らしく走り去った。
 白味を含んだ蒼い空から、銀笛の音色を思わせるような、雲雀《ひばり》の声が降って来る。そうしてヒラヒラと野路からは、絹糸のような陽炎《かげろう》が立つ。
 万事四辺《あたり》は明るくて、陽気で美しくて楽しそうであった。
 が、暗いものが一つあった。他ならぬ秋安の心であった。
「萩野と馴染んで一年になる。その交情は厚かったはずだ。あの女を苦しめた覚えはない。愛して愛して愛し抜いたはずだ。裏切られるような薄情なことを、俺は一度もしたことがない。にもかかわらず裏切られた。女の心というものは、ああも手の平を飜《か》えすように、ひっくりかえるものだろうか?」
 考えながら歩いて行く。
「あの花園の森の中で、去年松の花の咲く頃に、はじめて恋を語り合ったが、同じ松の花の咲く季節の、今年の春には同じ森で、気不味《きまず》い別離を告げようとは……何だか俺には夢のようだ。化かされているような気持もする」
 考えながら彷徨って行く。
 と、にわかに笑い出した。
「ハッハッハッ、何と云うことだ! 未練もいい加減にするがいい。向こうから俺を捨たのだ。何をクヨクヨ思っているのだ」
 しかしやっぱり寂しかった。
 で、あて[#「あて」に傍点]なしに歩いて行く。
 しかしそういう寂しい心を、厭でも捨なければならないような、一つの事件が勃発した。
 行く手の森陰からけたたましい、若い女の悲鳴が聞こえて、つづいて四五人の男の声が、これもけたたましく聞こえたからである。
 で、秋安は走って行った。
 廻国風の美しい娘を、五人の若い侍が、今や手籠めにしようとしている。




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