国枝史郎「血ぬられた懐刀」(02) (ちぬられたかいとう)

国枝史郎「血ぬられた懐刀」(02)

助けた女は?

 それと見てとって秋安が、勃然と怒りを発したのは、まさに当然ということが出来よう。
「方々!」と声をかけながら、武士の間へ割って行ったが、
「お見受けすればいずれも武士、しかも立派なご身分らしい。しかるに何ぞや若い娘を捉えて、乱暴狼藉をなされるとは! 体面にお恥じなさるがよろしい!」
 叱咤の声をひびかせた。
 凜々しい態度と鋭い声に、気を呑まれたらしい五人の武士は、捉えていた娘を手放すと、一斉に背後《うしろ》へ飛び退いたが、見れば相手は一人であった。それに年なども若いらしい。で、顔を見合わせたが、中の一人が進み出た。
「これ貴様は何者か! 我々の姿が眼に付かぬか! 銀の元結、金繍の羽織、聚楽風《じゅらくふう》だぞ、聚楽風だぞ!」
 云われて秋安は眼を止めて見た。
 いかにもそれは聚楽風であった。
 すなわち関白秀次《ひでつぐ》に仕える、聚楽第の若い武士の、一風変わった派手やかな、豪奢を極めた風俗であった。
 そうしてその事が秋安の心を、一層の憤りに導いた。
「ははあ左様か、ご貴殿方は、関白殿下にお仕えする、聚楽第のお歴々でござるか。ではなおさらのことでござる。乱暴狼藉はおやめなされ! それ関白と申す者は、百官を總《す》べ、万機を行ない、天下を関《はか》り白《もう》する者、太政大臣《だじょうだいじん》の上に坐し、一ノ上とも、一ノ人とも、一ノ所とも申し上ぐる御身分、百姓《せい》の模範たるべきお方であるはずだ。従ってそれにお仕えする、諸家臣方におかれても、等しく他人《ひと》の模範として、事を振舞いなさるが当然。しかるに何ぞや娘を捉え、淫がましい所業《しわざ》をなさる! いよいよお恥じなさるがよい」
 ウンとばかりに遣り込めた。
 こう云われたら[#「云われたら」は底本では「云はれたら」]一言もなく、引き下るかと思ったところ、事は案外に反対となった。五人刀を抜きつらね、秋安へ切ってかかったのである。
「関白の説明汝に聞こうか! 地下侍《じげざむらい》の分際で、痴《おこ》がましいことは云わぬがよい。ここに居られるのは殿下の寵臣[#「寵臣」は底本では「籠臣」]、不破小四郎行春様だ。廻国風のその娘に、用あればこそ手をかけたのだ! じゃま立てするからにはようしゃはしない、汝《おのれ》犬のように殺してくれよう!」
 一人が飜然と飛び込んで来た。
 身をひるがえした秋安は、太刀を抜いたが横ッ払った。殺しては後が面倒だ、そう思ったがためであろう、腰の支《つがい》を平打ちに一刀!
「ウ――ム」と呻いてぶっ仆れる。
 と、懲りずまにもう一人が、刎ねるがように切り込んで来た。
 すかさず突き出した秋安の太刀に、ガラガラガラと太刀を搦らまれ、ギョッとして引こうとしたところを、秋安太刀をグッとセメ[#「セメ」に傍点]た。ガラガラと地上で音のしたのは、敵が獲物を落としたからである。
「これ!」と叫ぶと秋安は、五人をツラツラと見渡したが、
「不破小四郎と申したな! 誰だ、どいつだ、進み出ろ! この秋安一見したい! 少しく拙者には怨みがある」
 ここで一人へ眼をつけたが、
「ははあ貴殿か! 貴殿でござろう!」
 そっちへツカツカと歩み寄る。
 歩み寄られた若侍は、いかさま不破小四郎でもあろう、一際目立つきらびやか[#「きらびやか」に傍点]の風で、そうして凄いような美男であった。
 が、案外な卑怯者らしい。太刀こそ抜いて構えてはいるが、ヂタ、ヂタ、ヂタと後へ引く。
 秋安にとっては怨敵である。萩野を奪われた怨みがある。
「こいつばかりは叩っ切ってやろう!」
 で、ツツ――ッと寄り添った。
 主人あやうしと見て取ったものか、二人の武士が左右から、挿むようにして切り込んで来た。
 と、鏘然たる太刀の音!
 つづいて森の木洩陽を縫って、宙に閃めくものがあった。払い上げられた太刀である。
 すなわちは北畠秋安が、一人の武士の太刀を払い、そうして直ぐにもう一人の太刀を、宙へ刎ね上げてしまったのである。
 と、逃げ出す足音がした。
 主人の小四郎を丸く包み、五人の武士が太刀を拾わず、森から外へ逃げ出したのである。
「待て!」と秋安は声をかけたが、苦笑いをすると突立った。
「追い詰めて殺すにも及ぶまい。祟りのほどがうるさいからなあ」
 で、抜いた太刀を鞘へ納め、パチンと鍔音を小高く立てたが、改めて娘の様子を見た。
 木洩陽を浴びて坐っている、廻国風の娘の顔の、何と美しく気高いことよ!
 そうしてこれほどの闘いにも、大して恐れはしなかったと見えて、別に体を顫わせてもいない。
 とは云え勿論顔の色は、蒼味を加えてはいるのである。
「ほう」
 秋安が声を上げたのは、その美しさと気高さとに、心を驚かせたからである。
 恋を失った秋安は、どうやら意外の出来事から、新しい恋を得るようである。

 が、それはそれとして、この日が暮れて夜になった時、花園の森の一所へ、一人の女が現われた。




[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送