国枝史郎「天主閣の音」(22) (てんしゅかくのおと)

国枝史郎「天主閣の音」(22)

     二二

 さて其夜のことである。
 若松屋へ城中から使者が行った。
 江戸の町奉行大岡忠相に、宗春話し度いことがある。夜分ではあるが登城するよう。――これが使者の口上であった。
「かしこまりましてございます」
 白を切った所で仕方が無い。大岡越前守はお受けをした。
 白石治右衛門、吉田三五郎、二人の家来に駕籠側を守らせ、越前守が登城したのは、それから間も無くのことであった。幅下門から榎多御門、番所を通ると中庭で、北へ行けば西之丸、東へ行けば西柏木門、そこから本丸へ行くことが出来た。どうしたものか本丸へは行かず、御蔵門から西之丸の方へ、越前守だけを案内した。
 これには深い意味があった。と云うのは西之丸に、六棟の土蔵が立っているからで、それを見せようとしたのであった。
 案内役は勘定奉行、北村彦右衛門と云って五十歳、思慮に富んだ武士であった。
 こうして一之蔵へ差しかかったが、見れば扉が開いている。
 如何にも越前守は驚いたように、蔵の前で俄に足を止めた。
「これは近来不用心、土蔵の扉が開いて居ります」
「お目に止まって恐縮千万」こうは云ったものの北村彦右衛門、内心では「締めた」と呟いた。「番士の者共の不注意でござる。併し内味が空っぽでは、つい警護も疎かになります」
「左様なこともございますまい。大納言様はご活達、随分派手なお生活を、致されるとは承わっては居るが、敬公様以来貯えられた黄金、莫大なものでございましょう」
「いやいや夫れもご先代迄で、当代になりましてからは不如意つづき、困ったものでございます」
 二之御蔵、三之御蔵四、五、六の御蔵を過ぎたが、何の御蔵も用心手薄く、扉が半開きになっていたり番士が眠っていたりした。
 透《すき》御門から御深井丸へ出、御旅蔵の東を抜け、不明門から本丸へ這入った。矢来門から玄関へかかり、中玄関から長廊下、行詰まった所が御殿である。
「暫くお控え[#「お控え」は底本では「お控へ」と誤記]下さいますよう」
 山村彦右衛門は引っ込んだ。
 一室に坐った大岡越前守、何やら思案に耽り乍ら、ジロジロ部屋の中を見廻わした。
 御殿の中が騒がしい。歩き廻わる足音がする。何んとなく取り込んでいるらしい。
「大分狼狽しているようだ」ニンヤリ笑ったものである。「御殿の扉を開けて見せたり、番士を故意と、眠らせて見せたり、手数のかかった小刀細工、それで俺の眼を眩まそう[#底本では「呟まそう」]とは、些少《ちと》どうも児戯に過ぎる……いずれ御蔵内の黄金なども、何処かへ移したことだろうがさて何処へ移したかな? これは是非とも調べなければならない」
 その時正面の襖が開いた。だが、一杯に開いたのではない、ほんの細目に開いたのであった。誰か隙見をしているらしい。
「無礼な奴だ」と思い[#「思い」は底本では「思ひ」と誤記]乍ら、越前守は睨み付けた。
 と、ピッタリと襖が閉じ、引っ返して行く足音がした。
「妙な奴が覗いたものだ」越前守は苦笑した。
「頭巾を冠り袖無を着、伊賀袴を穿いた香具師風、城内の武士とは思われない。……ははあ、大奥のお伽衆だな」
 その時スッスッと足音がして、軈て襖が静かに開いた。
「お待たせ致しました、いざ此方へ」それは北村彦右衛門であった。
 幾間か部屋を打ち通り、通された所が大広間、しかし誰もいなかった。
「しばらくお待ちを」と云いすてて、また彦右衛門は立去った。
 しばらく待ったが誰も来ない。
「これは可笑しい」と越前守は、多少不安を覚えて来た。
 と、正面の襖が開き先刻隙見をした香具師が、チョロリと部屋の中へ這入って来た。
「これはこれは大岡様、ようこそおいで下さいました。何は無くとも、先ず一献、斯う云う所だが然うは云わねえ。ヤイ畜生飛んでもねえ奴だ! 人もあろうに大岡様に化け、所もあろうに名古屋城内へご金蔵破りに来やがったな! 余人は旨々誑《たば》かれても、この俺だけは誑かれねえ」
 膝も突かず立ったまま、香具師は憎さげに罵った。
「これよっく[#「よっく」に傍点]聞け大岡様は、成程貴様とそっくり[#「そっくり」に傍点]だが、只一点違う所は、左の眉尻に墨子《ほくろ》がある。どうだどうだ一言もあるめえ!」





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