国枝史郎「銅銭会事変」(06) (どうせんかいじへん)

国枝史郎「銅銭会事変」(06)

    銅銭会縁起録

「さよう」といったが曖昧《あいまい》であった。
「まず知っているとして置こう。あの老人は人物だ。徳川家の忠臣だ。しかし一面囚人《めしゅうど》なのだ。同時に徳川家の客分でもある。捨扶持《すてぶち》五千石をくれているはずだ。まずこのくらいにして置こう。書面が出来た。すぐ行ってくれ」
「はい、よろしゅうございます」
 書面の面には京師殿と、ただ三文字書かれてあった。
 書面を持って飛び出した。ポンと備え付けの駕籠に乗った。
「急いでやれ! 行く先は谷中!」
 深夜ゆえに掛け声はない。駕籠は一散に宙を飛んだ。やがて大岡家の表門へ着いた。
 トントントンと門を叩いた。「ご門番衆、ご門番衆」四方《あたり》を憚《はばか》って小声で呼んだ。
「かかる深夜に何用でござる」門の内から声がした。
「曲淵甲斐守《まがりぶちかいのかみ》の使者でござる。ただし、私用、潜戸《くぐり》を開けられい」
 で、潜戸がギーと開いた。それを潜って玄関へかかった。
「頼む。頼む」と二声呼んだ。
 と、小間使いが現われた。
「これを」と書面を差し出した。
 一旦小間使いは引っ込んだが、再び現われると慇懃《いんぎん》にいった。「さ、お通り遊ばしませ」
 十畳の部屋へ通された。間もなく現われたのは老人であった。
「白旗氏《しらはたうじ》のご子息だそうで。弓之助殿と仰せられるかな。……書面の趣き承知致した。しかし談話《はなし》では意を尽くさぬ。書物があるによってお持ちなされ」
 懐中から写本を取り出した。
「愚老、研究、書き止め置いたもの、甲斐守殿へお見せくだされ。……さて次に弓之助殿、昨日は一葉茶屋で会いましたな」
「ご老人、それではご存知で?」
「さて、あの時の茶椀陣、この意味だけは本にはない。よって貴殿にお話し致す。――貴人横奪、槐門《かいもん》周章。丙《ひのえ》より壬《みずのえ》、一所集合、牙城を屠《ほふ》る。急々如律令《きゅうきゅうにょりつれい》。――つまりこういう意味でござった。甲斐守殿へお伝えくだされ」
「して、茶椀陣とおっしゃるは?」
「うむ、茶椀陣か、それはこうだ。銅銭会の会員が、茶椀と土瓶の位置の変化で、互いの意思を伝える法」
「火急の場合、これでご免」
「謹慎の身の上、お見送り致さぬ」
 で弓之助は下屋敷を辞した。門を潜ると駕籠へ乗った。
 駕籠は一散に宙を飛んだ。
 間もなく甲斐守の屋敷へ着いた。門を潜り、玄関を抜け、叔父の部屋へ走り込んだ。
 依然肩衣《かたぎぬ》を着けたまま、甲斐守は坐っていた。
「おお弓之助か、どうであった?」
「まずこれを」と書物《かきもの》を出した。
「うむ、銅銭会縁起録」
「他に伝言《ことづて》でございます」
「うむ、そうか、どんなことだ?」
「先ほど、私お話し致しました、上野山下一葉茶屋で、一人の町人の行なった茶椀芸についてでございますが、あれは銅銭会の茶椀陣と申し、茶椀の変化によりまして、会員同士互いの意思を、伝え合うところの方法だそうで、あの時の茶椀陣の意味はといえば、貴人横奪、槐門周章。丙《ひのえ》より壬《みずのえ》、一所集合、牙城を屠る。急々如律令。……かような由にございます」
「ううむそうか、よく解った」甲斐守はじっと考え込んだ。「……貴人横奪? 貴人横奪? これはこの通りだ間違いない。いかにも貴人が横奪された。槐門周章? 槐門周章? 槐門というのは宰相の別名、当今の宰相は田沼殿、いかにもさよう田沼殿は、非常に周章《あわ》てておいでになる。だからこれにも間違いはない。丙より壬? 丙より壬? これがちょっと解らない」甲斐守は眼を閉じた。すると弓之助が何気なくいった。
「日柄のことではございませんかな。たしか一昨日《おとつい》が丙の日で」




[←先頭へ]

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送