国枝史郎「銅銭会事変」(11) (どうせんかいじへん)

国枝史郎「銅銭会事変」(11)

    振り袖姿に島田髷

「さあね、大して善人じゃあねえ。だがこいつもご時世のためだ。こんな事でもしなかったら、酒も飲めず、魚《とと》も食えず、美婦《たぼ》も自由《まま》にゃあ出来ねえってものよ。恨むなら田沼様を恨むがいい」
「厭だと妾《わたし》が首を振ったら?」「二人で手籠めにするばかりさ」「もしも妾が声を立てたら?」「猿轡《さるぐつわ》をはめちまう。だがもし下手にジタバタすると、喉笛に手先がかかるかもしれねえ。そうなったらお陀仏だ」「それじゃあ妾は殺されるの?」「可哀そうだがその辺だ」「死んじゃあ随分つまらないわね」「あたりめえだあ、何をいやがる」
 女の声はここで途絶えた。
「それじゃあ妾はどんなことをしても、遁《の》がれることは出来ないんだね。仕方がないから自由《まま》になろうよ」
「へえ、そうかい、こいつあ偉い。ひどく判りのいい姐《ねえ》さんだ」
「だがねえ」と女の声がした。「見ればあなた方はお二人さん、妾の体はただ一つ、二人の亭主を持つなんて、いくら何んでも恥ずかしいよ。どうぞ二人で籤《くじ》でも引いて、勝った方へ、体をまかせようじゃないか」
「なるほどなあ、こいつあ理だ。六ヤイ手前どう思う」
「そうよなあ」と気のない声で「俺《おい》らがきっと勝つのなら、籤を引いてもよいけれどな」
「そいつあこっちでいうことだ。おいどうする引くか厭か?」「どうも仕方がねえ引くとしよう。せっかく姐さんのいうことだ。逆らっちゃあ悪かろう」「よしそれじゃあ松葉籤《まつばくじ》だ。長い松葉を引いた方が姐さんの花婿とこう決めよう」
 源太は頭上へ手を延ばし、松の枝から葉を抜いた。
「さあ出来た。引いたり引いたり」「で、どちらが長いんだい?」「冗談いうな、あたぼう[#「あたぼう」に傍点]め、そいつを教えてなるものか。ふふん、そうよなあ、こっちかも知れねえ」「へん、その手に乗るものか。こいつだ、こいつに違えねえ」
 六蔵は松葉をヒョイと抜いた。
「あっ、いけねえ、短けえや!」
「だからよ、いわねえ事じゃねえ、こっちを引けといったんだ」
 源太は駕籠へ飛びかかった。「おお姐さん、婿は決まった」駕籠へ腕を差し込んだ。「恥ずかしがるにゃあ及ばねえ、ニッコリ笑って出て来ねえ」
 グイと引いた手に連れて、若い娘がヨロヨロと出た。頭上を蔽うた森の木の梢をもれて、月が射した。板高く結った島田髷、それに懸けられた金奴《きんやっこ》、頸細く肩低く、腰の辺りは煙っていた。紅色《べにいろ》勝った振り袖が、ばったり[#「ばったり」に傍点]と地へ垂れそうであった。
「可愛いねえ、お前さんかえ、源さんや。花婿や」キリキリと腕を首へ巻いた。「さあ行こうよ、お宿へね」源太をグイと引き付けた。
「痛え痛え恐ろしい力だ。まあ待ってくれ、呼吸《いき》が詰まる」源太は手足をバタバタさせた。
「意気地《いくじ》がないねえ、どうしたんだよ。やわい[#「やわい」に傍点][#「どうしたんだよ。やわい[#「やわい」に傍点]」は底本では「どうしたんだよ。やわ[#「。やわ」に傍点]い]じゃあないかえ、お前さんの体は。ホッ、ホッ、ホッ、ホッ、手頼《たよ》りないねえ」源太の首へ巻いた手を、グーッと胸へ引き寄せた。
「む――」と源太は唸ったが、ビリビリと手足を痙攣《けいれん》させた。と、グンニャリと首を垂れた。
 手を放し、足を上げ、ポンと娘は源太を蹴った。一団の火焔の燃え立ったのは、脛に纏った緋の蹴出《けだ》しだ。
「化物《ばけもの》だあァ!」と叫ぶ声がした。石地蔵の六が叫んだのであった。
 息杖を握ると飛び込んで来た。と、娘は入り身になり、六蔵の右腕をひっ[#「ひっ」に傍点]掴んだ。と、カラリと息杖が落ちた。「ワ――ッ」と六蔵は悲鳴を上げた。とたんにドンと地響きがした。六蔵の体が地の上へ潰された蟇《がま》のようにヘタバった。寂然《しん》と後は静かであった。常夜燈の灯がまばたい[#「まばたい」に傍点]た。ギー、ギーと櫓を漕ぐ音が、河の方から聞こえて来た。





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