国枝史郎「銅銭会事変」(12) (どうせんかいじへん)

国枝史郎「銅銭会事変」(12)

    怪しの家怪しの人々

 クルリと娘は拝殿へ向いた。ポンポンと二つ柏手《かしわで》を打った。それからしとやか[#「しとやか」に傍点]に褄《つま》を取った。と、境内を出て行った。
 社の蔭に身を隠し、様子を見ていた弓之助は、胆を潰さざるを、得なかった。
「素晴らしい女もあるものだ。どういう素性の女だろう? ……待てよ、島田に大振り袖! ……ううむ、何んだか思いあたるなあ。一番後を尾行《つけ》て見よう」
 数間を隔てて後を追った。浅草河岸を花川戸の方へ、引っ返さざるを得なかった。女はズンズン歩いて行った。月の光を避けるように、家の軒下を伝って歩いた。遠くで犬が吠えていた。人の子一人通らなかった。隅田川から仄白《ほのしろ》い物が、一団ムラムラと飛び上がった。が、すぐ水面へ消えてしまった。それは鴎《かもめ》の群れらしかった。女は急に立ち止まった。そこに一軒の屋敷があった。グルリと黒塀が取りまいていた。一本の八重桜の老木が、門の内側から塀越しに、往来の方へ差し出ていた。満開の花は綿のように白く団々と塊《かた》まっていた。女は前後を見廻した。つと弓之助は家蔭に隠れた。女は門の潜り戸へ、ピッタリ身体をくっ付けた。それから指先で戸を叩いた。と、中から声がした。
「おい誰だ。名を宣《なの》れ」
「俺だよ、俺だよ、勘助だよ」
「うむそうか、女勘助か」
 ギ――と潜り戸があけられた。女の姿は吸い込まれた。八重桜の花がポタポタと散った。
 弓之助は思わず首を傾《かし》げた。「何んとかいったっけな、女勘助? ……では有名な賊ではないか」
 その時往来の反対《むこう》の方から、一つの人影が近付いて来た。月光が肩にこぼれていた。浪士風の大男であった。大髻《おおたぶさ》に黒紋付き、袴無しの着流しであった。しずしずこっちへ近寄って来た。例の家の前まで来た。と、潜り戸へ体を寄せた。それから指でトントンと叩いた。
「何人でござるな、お宣《なの》りくだされ」すぐに中から声がした。
「紫紐《むらさきひも》丹左衛門」
 すると潜り戸がギーと開いた。浪士の姿は中へ消えた。同時に潜り戸が閉ざされた。
 とまた一つの人影が、ポッツリ月光に浮き出した。博徒風の小男であった。心持ち前へ首を傾げ、足先を見ながら歩いて来た。急に人影は立ち止まった。例の屋敷の門前であった。ツと[#「ツと」に傍点]人影は潜り戸へ寄った。同じことが繰り返された。指先で潜り戸をトントンと打った。
「誰だ誰だ、名をいいねえ」
「新助だよ、早く開けろ」
「稲葉の兄貴か、はいりねえ」
 潜り戸が開き人影が消え、ふたたび潜り戸がとざされた。
 その後はしばらく静かであった。
 またもその時足音がした。足駄と草鞋《わらじ》との音であった。忽ち二つの人影が、弓之助の前へ現われた。その一人は旅僧であった。手甲《てっこう》、脚絆《きゃはん》、阿弥陀笠《あみだがさ》、ずんぐり[#「ずんぐり」に傍点]と肥えた大坊主であった。もう一人の方は六部であった。負蔓《おいずる》を背中にしょっ[#「しょっ」に傍点]ていた。白の行衣を纏っていた。一本歯の足駄を穿いていた。弓之助の前を通り過ぎ、例の屋敷の門前まで行った。ちょっと二人は囁き合った。ツと[#「ツと」に傍点]旅僧が潜り戸へ寄った。指でトントンと戸を打った。すぐに中から声がした。
「かかる深夜に何人でござるな?」
「鼠小僧外伝だよ」
 つづいて六部が忍ぶようにいった。
「俺は火柱夜叉丸《ひばしらやしゃまる》だ」
 例によって潜り戸が、ギ――と開いた。二人の姿は吸い込まれた。ゴトンと鈍い音がした。どうやら閂《かんぬき》を下ろしたらしい。サラサラサラサラと風が渡った。ポタポタと八重桜の花が落ちた。そのほかには音もなかった。




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