国枝史郎「銅銭会事変」(17) (どうせんかいじへん)

国枝史郎「銅銭会事変」(17)

    周易の名家加藤左伝次

 乞食は左右の手を延ばし、左右六個の石を取った。
「ははあ、花だけ残したな」
 急に乞食は二個の小石へ、さらに一個の石を加えた。その左右に三個ずつ六個の小石を置き並べた。
「これはほかならぬ河川陣《かせんじん》だ」
 乞食はまたもや石を崩した。十個の小石を一列に並べた。その中央へ角石を置いた。
「これはほかならぬ閂陣。戸という文字を暗示したものだ。三つを合わせると花川戸。ははあこれは地名だな」
 乞食はまたも石を崩した。小石を五個一列に並べた。そうして指で「刻」の字を書いた。
「うん、これは五更《こう》という意味だ」老武士は口の中で呟いた。
 乞食の石芸はこれで終った。人の往来が劇《はげ》しくなった。乞食達は袖へ縋り出した。いつの間にか皆見えなくなった。
 老武士は悠然と欄干を離れた。橋の袂に駕籠屋がいた。
「駕籠屋」と老武士はさし[#「さし」に傍点]招いた。「数寄屋橋《すきやばし》までやってくれ。うむ、行く先は北町奉行所」
 すぐに駕籠は走り出した。

 お色は俯向いて歩いていた。顔を上げると屋敷があった。門に看板が上がっていた。地泰天《じたいてん》の卦面《けめん》を上部に描き、周易活断、績善堂、加藤左伝次と記されてあった。
 当時易学で名高かったのは、新井白峨と平沢左内、加藤左伝次は左内の高弟、師に譲らずと称されていた。左内の専門は人相であったが、左伝次の専門は易断であった。百発百中と称されていた。
 お色は思わず足を止めた。
「あのお方のお心持ち、ちょっと占って貰おうかしら?」
 で門内へはいっていった。すぐ溜り場へ通された。五、六人の人が待っていた。一人一人奥へ呼び込まれた。嬉しそうな顔、悲しそうな顔、いろいろの顔をして戻って来た。やがてお色の番が来た。お色は奥の部屋へ行った。部屋の正面に床の間があった。脇床の違い棚に積まれてあるのは、帙入《ちつにゅう》の古書や巻軸であった。白熊の毛皮が敷いてあった。その上に端然と坐っているのは、三十四、五の人物であった。総髪の裾が両肩の上に、ゆるやか[#「ゆるやか」に傍点]に波を打っていた。その顔色は陶器のようで、ひどく冷たくて蒼白かった。眼の形は鮠《はや》のようであった。眼尻が長く切れていた。耳髱《みみたぶ》へまで届きそうであった。その左の目の瞳に近く、ポッツリ星がはいっていた。それが変に気味悪かった。黒塗りの見台が置いてあった。算木《さんぎ》、筮竹《ぜいちく》が載せてあった。その人物が左伝次であった。茶無地の被布を纏っていた。
 お色は何がなしにゾッとした。凄気が逼るような気持ちがした。遠く離れて膝を突いた。それからうやうやしく辞儀をした。
 と、左伝次は頤《あご》をしゃく[#「しゃく」に傍点]った。
「恋だな、お娘ご中《あた》ったろう?」
「えっ」とお色は度胆を抜かれた。
「もっとお進み、見てあげよう」左伝次の声は乾いていた。枯れ葉が風に鳴るようであった。やはり変に不気味であった。「年は幾歳《いくつ》だ、男の年は?」
「は、はい、年は二十三で」
「妻はあるかな、その男には?」
「いえ、奥様はございません」
「ナニ、奥様? うむそうか。相当家柄の侍だな?」
「旗本衆のご次男様で」つい釣り込まれていってしまった。
「で、何を見るのかな?」
「はい、そのお方のお心持ちが……」赭くなっていい淀んだ。
「変わったか変わらないか見るのであろう?」
「は、はい、さようでございます」
「よし」というと筮竹を握った。「よいか、見る人と見られる人との精神が合盟一致した時、易というものは的中する。で、お前さんも一生懸命におなり」
 お色は形を改めた。
「ヤ――ッ」と鋭い掛け声が、左伝次の口から迸《ほとばし》り出た。「ヤーッ、ヤーッ、ヤーッ、ヤーッ」ドン底へしみるような声であった。左伝次の額からは汗が流れた。ザラザラザラザラと筮竹が鳴った。
 お色は心が恍惚《うっとり》となった。これまでも易は見て貰ったが、こんな凄《すさま》じい立てかたは、一度も経験したことがなかった。「さすがは名題の加藤先生。ああこの易はきっと中る」お色は突嗟に信じてしまった。
 左伝次は筮竹を額へあてた。パチパチパチパチパチ。パチパチパチパチ。力をこめて刎《は》ね上げた。と、算木へ手を掛けた。カタカタと算木が返された。ホーッと一つ呼吸《いき》をすると、ザラザラと筮竹を筒の中へ入れた。それから算木を睨み付けた。
 お色は思わず呼吸を呑んだ。





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