国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(02) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(02)

    参詣《おまいり》に来た娘

 その頼母が、誰かに呼ばれているような気がして、正気づいた時、まず見えたのは、自分の顔へ、近々と寄せている、細い新月のような眉、初々《ういうい》しい半弓形の眼の、若い女の顔であった。円味の勝った頤《おとがい》につづいて、剥《む》き胡桃《くるみ》のような、肌理《きめ》の細かな咽喉が、鹿《か》の子《こ》の半襟から抜け出している様子は、艶《なまめ》かしくもあれば清らかでもあった。
「もし、お武家様、お気づかれましたか」と娘は云った。
 頼母は弱々しく頷いて見せ、そうして、(俺はこの娘に助けられたらしい)と思った。しかしすぐに、紙帳から出て来た武士のことが気にかかった。それで、まだ弛《ゆる》く、自由になりにくい首をやっと廻して、林の方を見た。どんぐり[#「どんぐり」に傍点]や櫟《くぬぎ》や柏によって形成《かたちづく》られている雑木林には、今は陽があたっていて、初葉さえ附けていない裸体《はだか》の幹や枝が、紫ばんだ樺《かば》色に立ち並んでいたが、紙帳は釣ってなかった。(夜の間に立ち去ったのだな。それにしてもあの武士、何者なのであろう? 突然紙帳の中から出て来て、刀を見せろと云い、見せないといったら、体当たりをくれ、俺を気絶させおった。紙帳を林の中に釣って寝ていたところから察すると、武者修行の者らしいが、着流しで、頭巾を冠っていた様子から推すと、そうでもないらしい)頼母は、頭に残っている疲労の中で、こんなことを考えた。(それにしても、彼と俺との、武技《うで》の相違はどうだったろう)これを思うと頼母は、赧くならざるを得なかった。(大人と子供といおうか。世には恐ろしい奴があればあるものだ)
 この時娘が、
「野中の道了様へお詣りに参りましたところ、あなた様が気絶をしておいでなさいましたので、ご介抱申し上げたのでございます。でも正気づかれて、ほんとうに嬉しゅうございます」
 と云った。細々としていて、優しい、それでいて寂《さび》しみの籠もっている声であった。
 頼母は娘の顔へ眼をやり、
「忝《かたじ》けのうございました。おかげをもちまして、命びろいいたしました」と云ったが、(何んだ俺はまだ寝ているではないか)と気づき、起き上がろうとした。しかし、倒れた時、体をひどく打ったらしく、節々が痛んで、なかなか起き上がれなかった。
「いえいえ、そのままでおいでなさいませ。お寝《よ》ったままで。どうせそのお体では、すぐにご出立は出来ますまい。むさくるしい所ではございますが、妾《わたし》の家で、二、三日ご逗留し、ご養生なさいませ。いえいえご遠慮には及びませぬ。よく妾の家へは、旅のお武家様がお立ち寄りでございます。父が大変喜びますので。でも、家は一里ほど離れておりますので、お徒歩《ひろ》いではお困りでございましょう。乳母《ばあや》がおりますゆえ、町へやり、駕籠をひろわせて参りましょう。……乳母!」と、娘は立ち上がりながら呼んだ。
 五十あまりの、品のよい婦《おんな》が、古塚のような小丘の裾に佇んでいたが、すぐに寄って来た。それへ娘は何やら囁いた。
「はい、お嬢様、かしこまりましてございます」乳母はそう云ったかと思うと、雑木林を巡って歩いて行った。
 娘は、しばらくそれを見送っていたが、やがて屈《かが》むと、地に置いてあった線香の束を取り上げ、「どれ、それでは妾は、ちょっと道了様へ。……」と云い、古塚のような、小丘の方へ歩いて行った。
(あれが道了様なのか)と、頼母は、それでもようやく起き上がった体を、小丘の方へ向け、つくづくと眺めた。それは、高さ二間、周囲《まわり》十間ぐらいの大岩で出来ている塚であったが、その面に、苔だの枯れ草だの枯れ葉だのがまとい付いている上に、土壌《つち》が蔽うているので、早速には、岩とは見えなかった。塚の頂きに立っている碑《いしぶみ》には、南無妙法蓮華経と、髭《ひげ》題目が刻まれていた。碑は、歳月と風雨とに損われて、諸所《ところどころ》欠けている高さ六尺ぐらいの物で、色は黝《くろ》かったが、陽に照らされ、薄光って見えた。その碑の面を、縒《よ》れたり縺《もつ》れたりしながら、蒼白い、漠とした物が立ち昇って行った。娘が供えた線香の煙りであった。煙りの裾、碑の前に、つつましく屈み、合掌しているのが娘で、その姿が、数本の小松に遮《さえぎ》られていたので、かえって趣《おもむ》き深く眺められた。
「絵だ」と、頼母は、娘の赤味の勝った帯などへ眼をやりながら、呟いた。





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