国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(13) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(13)

    典膳の運命は

 この日が夜となり、火祭りの松明が、諏訪神社の周囲を、火龍のように廻り出し、府中の宿が、篝火《かがりび》の光で、昼のように明るく見え出した。
 この頃、頼母は、物思いに沈みながら諏訪神社《みや》と府中《しゅく》とを繋《つな》いでいる畷道《なわて》を、府中の方へ歩いていた。賭場で見聞したことが、彼の心を悩ましているのであった。渋江典膳という浪人が、五郎蔵を脅かした言葉から推すと、いよいよ五郎蔵は来栖勘兵衛であり、飯塚薪左衛門は、有賀又兵衛のように思われてならなかった。そうして、五郎蔵が来栖勘兵衛だとすると、神棚に祭られてあったのは、天国の剣に相違ないように思われた。このことは頼母にとっては、苦痛のことであった。
(天国の剣が、存在するということが確かめられれば、父の説は、誤りということになる。しかるに父は、その誤った説で、五味左衛門と議論したあげく、試合までして、左衛門を打ち挫き、備中守様のご前で恥をかかせた。そのために左衛門は悲憤し、屠腹して死んだのであるから、左衛門を殺したのは、父であると云われても仕方がなく、左衛門の忰左門が、父を討ったのは、敵討ちということになる。その左門を、自分が、父の敵として討つということは、ご法度《はっと》の、「又敵討ち」になろうではあるまいか)
(いっそ、天国を手に入れ、打ち砕き、この世からなくなしてしまったら)
 こんな考えさえ浮かんで来るのであった。
(天国のような名刀が、二本も三本も、現代《こんにち》に残っている筈はない。あの天国さえ打ち砕いてしまったら)
 枯れ草に溜っている露を、足に冷たく感じながら、頼母は、府中の方へ歩いて行った。
 と、行く手に竹藪があって、出たばかりの月に、葉叢《はむら》を、薄白く光らせ、微風《そよかぜ》にそよいでいたが、その藪蔭から、男女の云い争う声が聞こえて来た。頼母は、(はてな?)と思いながら、その方へ足を向けた。
 府中の方へ流れて行く、幅十間ばかりの、髪川という川が、竹藪の裾を巡って流れていて、淵も作れないほどの速い水勢《ながれ》が、月光を銀箔のように砕いていた。その岸を、男と女とが、酔っていると見え、あぶなっかしい足どりで歩き、云い争っていた。
「これお浦、どうしたものだ。どこまで行けばよいのだ。蛇の生殺しは怪しからんぞ。これいいかげんで……」
 渋江典膳であった。五郎蔵の賭場で、百二十五両の金を強請《ゆす》り、場外へ出ると、賭場で、五郎蔵の側にいたお浦という女が、追っかけて来て、親分の吩咐《いいつ》けで、一献《こん》献じたいといった。こいつ何か奸策あってのことだろうと、典膳は、最初は相手にしなかったが、田舎に珍しいお浦の美貌と、手に入った籠絡《ろうらく》の手管《てくだ》とに誘惑《そその》かされ、つい府中《しゅく》の料理屋へ上がった。酒を飲まされた。酔った。酔ったほどに、下根《げこん》の典膳は、「お浦、俺の云うことを諾《き》け」と云い出した。
 お浦はお浦で、五郎蔵から、
「あんな三下に、大金を強請《ゆす》られたは心外、さりとて、乾児《こぶん》を使って取り返すも大人気ない。お浦、お前の腕で取り返しな。取り返したら、金はお前にくれてやる」と云われ、その気になり、出かけて来た身だったので、「ここではあんまり内密《ないしょ》の話も出来ないから……ともかくも外へ出て」と、連れ出して来たのであった。
「どこへ行くのだお浦、ひどく寂しい方へ連れて行くではないか……」
 と、典膳は、お浦の肩へ手をかけようとした。
 お浦は、それをいなし[#「いなし」に傍点]たが、
「何をお云いなのだよ。この人は……」
 そのくせ、心では、(一筋縄ではいけそうもない。……それにこんな破落戸《ならず》武士、殺したところで。……そうだ、いっそ息の根止めて……)と、思っているのであった。
 典膳がよろめいて、お浦の肩へぶつかった時、お浦は、何気なさそうに、典膳の懐中《ふところ》へ手をやった。
「これ!」
「胴巻かえ?」
「うん」
「重たそうだねえ」
「百二十五両!」
「ああ、昼間の金だね」
「うん。……五郎蔵め、よく出しおった。旧悪ある身の引け目、態《ざま》ア見ろだ。……お浦、いうことを諾いたら、金をくれるぞ。十両でも二十両でも」
「金なら、妾だって持っているよ」
「端《はし》た金だろう」
「鋼鉄《はがね》さ、斬れる金さ」
 お浦は、片手を懐中へ入れ、呑んでいた匕首《あいくち》を抜くと、「そーれ、斬れる金を!」と、典膳の脇腹へ突っ込んだ。
「ヒエーッ、お浦アーッ、さては汝《おのれ》!」
「汝も蜂の頭もありゃアしないよ」
 胴巻をグルグルと手繰《たぐ》り出し、背を抱いていた手を放すと、典膳は、弓のようにのけ反ったまま、川の中へ落ちて行った。
(止どめを刺さなかったがよかったかしら?)
 お浦は、岸から覗き込んだ。急の水は、典膳を呑んで、下流へ運んで行ったと見え、その姿は見えなかった。
「案外もろいものだねえ」
 草で匕首の血糊を拭った時、
「お浦殿、やりましたな」
 という声が聞こえて来た。さすがにお浦もギョッとして、声の来た方を見た。竹藪を背にして、編笠をかむった武士が立っていた。
「どなた?」
「旅の者じゃ」
「見ていたね」
「さよう」
「突き出す気かえ」
「役人ではない」
「話せそうね」
 と、お浦は、構えていた匕首を下ろし、
「見遁《の》がしてくれるのね」
「殺して至当の悪漢じゃ」
「ご存知?」
「賭場で見ていた」
「まあ」




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