国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(20) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(20)

    左門はたして何処《いずこ》

 それに相違なかろうではないか。頼母は、部屋へはいるや、右手へ進み、第一、第二、第三、と、三つまで、紙帳の角を通ったのであった。しかも、左門はいなかった。では、残った、最後の紙帳の四つ目の角の向こう側に、おそらく膝を折り敷き、刀を例の逆ノ脇に構え、豹のような眼をして、狙っているに相違ないではないか。
 こう思うと頼母は、また新たに恐怖を感じたが、刀を中段にヒタとつけ、その角を睨《にら》み、様子をうかがった。
 ところが、これより少し以前《まえ》から、母屋に近い中庭に、二つの人影があって、こっちを眺め、囁《ささや》いていた。
 角右衛門と紋太郎とであった。
 さっきから中庭で、人の云い争うような声が聞こえた。そこは五郎蔵一家の用心棒である二人であった。身内同士間違いを起こしたのではあるまいかと、二人して寝所から脱け出し、様子を見に来たところ、向こう側の離座敷《はなれ》の襖が開いてい、紙帳の釣ってあるのが見えた。
「紙帳だーッ」
「うむ、紙帳が!」
 二人ながら呻くように云った。
 先夜、飯塚薪左衛門の屋敷で、紙帳の中の武士に、同僚二人を討たれたことを思い出したからである。
 と、紙帳の釣り手が、次々に二ヵ所まで切られたのが見えた。
(何か事件が起こっている)と、二人ながら思った。
「小林氏《うじ》」と、角右衛門は、汗を額へ産みながら、「これは、あの時の武士らしゅうござるぞ」
「さよう」と、紋太郎は、若年だけに、一層怯《おび》え、地に敷かれている影法師が揺れるほどに顫えながら、「其奴《そやつ》がまた誰かを……どっちみち、あの部屋で切り合いが……」
「彼奴《きゃつ》とすれば同僚の敵、……討ち取らいでは……と云って、あの凄い剣技《うで》では……こりゃア親分にお話しして……」
「乾児《こぶん》衆にも……」
「うむ。……では貴殿……」
「心得てござる……」
 と、紋太郎は、母屋の縁へ駈け上がり、五郎蔵一家の寝ている、奥座敷の方へ走って行った。
 それを見送ろうともせず、怯えた眼で、角右衛門は、紙帳ばかりを見ていた。
 と、また、釣り手が一筋切られた。
 切ったのは頼母であった。
 頼母は、あるいは左門が、最初の位置から身を移し、紙帳の、第一の角の背後に隠れていようもしれぬと思い、ソロソロと紙帳の裾を巡り、引き返し、真っ先に自分が曲がった紙帳の角まで近付き、釣り手を切って落としたのであった。
「出ろ! 左門!」
 と頼母は叫んだ。しかし、叫んだものの、飛びかかって行こうとはせず、反対に、飛び退くと、部屋の背後の壁へ背をもたせ、刀を、例の中段に構え、眼前を睨んだ。
 釣り手を切られた紙帳の角は、やわやわと撓み、やがて崩れ、今は一筋の釣り手に掲げられている紙帳は、凋《しぼ》んだ朝顔の花を、逆《さか》さに懸けたような形に、斜面をなして懸かっていた。
 左門の姿は見えなかった。
 いよいよ左門の居場所は確実に解った。やはり、最後に残った釣り手の背後――釣り手の角の背後にいるのであった。
 その方へグッと切っ先を差し付け、頼母は大息を吐いた。
 さよう、左門はその位置に、片膝を敷き、片膝を立て、刀を逆ノ脇に構え、最初《はじめ》から現在《いま》まで、寂然《せきぜん》と潜んでいたのであった。一方は、隣り部屋と境いをなしている壁であり、一方は、閉めのこされてある襖であり、正面は紙帳である。――この三つのもの[#「もの」に傍点]によって、濃い闇を作っているこの場所は、何んと身を隠すに屈竟[#「屈竟」はママ]な所であろう。
 彼は、頼母が、自分の方へは来ないで、反対の方へ進み、紙帳の釣り手を、次々に切っておとすのを見ていた。走りかかり、背後から、一刀に斬り斃《たお》すことは、彼にとっては何んでもないことであった。しかし、彼はそれをしなかった。何故だろう? 蜘蛛が、自分の張った網へ、蝶が引っかかろうとするのを、網の片隅に蹲居《うずくま》りながら、ムズムズするような残忍な喜悦《よろこび》をもって、じっと眺めている。――それと同じ心理《こころ》を、左門が持っているからであった。
 まだ彼は動かなかった。
 しかし彼には、紙帳の彼方《むこう》に、刀を構え、斬り込もう斬り込もうとしながらも、こっちの無言の気合いに圧せられ、金縛りのようになっている、頼母の姿が、心眼に映じていた。
 彼は、姿を見せずに、気合いだけで、ジリジリと、相手の精神《こころ》を疲労《つか》れさせているのであった。




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