国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(34) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(34)

    納屋の血煙り

「吐《ぬ》かすな!」と、首根っ子に瘤《こぶ》のある乾児《こぶん》が叫んだ。「白々しい三ピン! 何を云うか! ……親分の恋女《おんな》、お浦を誘惑《そそのか》し、五郎蔵一家の守護神、天国の剣を持ち出させながら、白々しい! ……」
「他人の恋女をそそのかしゃア誘拐者《かどわかし》よ!」
「刀を持ち出させりゃ盗賊だ!」
 乾児たちは口々にまた喚きだした。
 頼母は(さてはそれでか)と思った。お浦と関係など附けたことはなく、附けようと思ったことさえなかったが、お浦の方では、そういう関係になるべく希望《のぞ》んでいたことは争われなかったし、天国の剣をお浦に持ち出してくるよう依頼《たの》んだのは、確かに自分なのであるから、乾児たちにそう云われてみれば、言下に反駁することは出来なかった。
 頼母は黙ってしまった。
 頼母が困《こう》じて黙っている様子を見てとった乾児たちは、
「そこで親分には手前をさがしだし、叩っ斬ろうとしているところなのよ」
「いいところへ来た」
「とっ捕《つか》まえろ」
「手に余ったら叩っ斬れ」
 と喚き出し、
「それを[#「それを」に傍点]見ろそれを!」
 と、頬に守宮《やもり》の刺青《いれずみ》をしている一人の乾児が、梁から釣り下げられている典膳お浦《ふたり》を指さした。
「俺ら仲間の処刑《しおき》、凄かろうがな。……手前を捉えて、こうしようというのが親分の念願なのさ」
「やっつけろ!」
 脇差しを引き抜くものもあった。
 頼母も刀の柄へ手をかけ、先方《さき》が斬り込んで来たら、斬り払おうと構えたが、それにしてもお浦と典膳との境遇が、あまりに悲惨に、あまりに意外に思われてならなかった。
(いずれお浦は、あの後、五郎蔵の手に捕えられたものらしい)
 あの後というのは、お浦が左門の紙帳を冠ったまま、武蔵屋の庭から消えた後のことであって、あの時、紙帳が自然《ひとりで》のように動きだしたのは、その実、その中にお浦がいたのだということは、お浦の衣裳が、次々に紙帳の中から地に落ちたことによって、頼母にも悟れたのであった。
(その後どうして五郎蔵の手に捕えられたのであろう?)
(そうして、殺された筈の典膳が、生きていたとは? ……そうして五郎蔵の手に捕えられたとは? ……どこでどうして捕えられたのであろう?)
 彼にはこれらのことがどうにも合点いかなかったが、事実は、あの夜お浦と典膳とは、髪川の上と下とで逢った。岸の上の女が怨みあるお浦だと知ると、典膳は猛然と勇気を揮い起こし、岸へよじ上り、お浦へ掴みかかった。お浦は相手が典膳だと知るや、悲鳴を上げて遁がれようとした。二人は組み合い捻《ね》じ合った。そこへ駈け付けて来たのが、血路をひらいて逃げた左門を、捕えようとして追って来た五郎蔵達で、二人は五郎蔵たちの手によって捕えられ、武蔵屋へしょびい[#「しょびい」に傍点]て行かれ、そこで糾明された。お浦は容易に実を吐こうとはしなかったが、いわば痛目《いため》吟味に逢わされ、とうとう自分が伊東頼母を恋したこと、頼母の依頼によって天国の剣を持ち出し、頼母に渡そうとし、部屋を間違えて、五味左門の部屋へ行き、紙帳の中へ引き入れられたことなどを白状した。五郎蔵は怒った。自分が想いを懸けていた女が、頼母に心を寄せたことに対する怒りと、「持つ人の善悪にかかわらず、持つ人に福徳を与う」とまで云われている天国の剣を、頼母へ渡そうとしたことが、五郎蔵をして嚇怒《かくど》させた。彼はお浦を嬲《なぶ》り殺しにしようとした。
 典膳に至っては、五郎蔵の過去の行状を知っていて、強請《ゆす》りに来たほどの男だったので、生きているからには殺さなければならず、これも嬲り殺しにすることにした。
 こうして惨酷の所業が今日まで行われて来たのであったが、府中《しゅく》で殺しては人目につき、後々がうるさいというところから、この農家の納屋で、乾児たちに吩咐《いいつ》け、その嬲り殺しの最後の仕上げに取りかからせたのであった。
 突然風を切って木刀が、頼母の眉間へ飛んで来たので、頼母は瞬間身を反《か》わした。
「面倒くさい! 方々、たたんでおしまいなされ!」
 叫んで刀を抜いたのは、木刀を投げつけた角右衛門であった。
「そうだ、やれ!」
「膾《なます》に刻め!」
 怒号する声が一斉に湧き起こり、納屋が鳴釜《なりかま》のように反響した。無数の氷柱《つらら》が散乱するように見えたのは、乾児たちが脇差しを引っこ抜いたからであった。
 やにわに一人の乾児が横撲りに斬り込んで来た。頼母は、右手の壁の方へ身をかわしたが、抜き打ちざまに、眉間から鼻柱まで割り付けた。
「やりゃアがったな!」
 と喚くと、もう一人の乾児が、むこうみずにも、脇差しを水平にし、体もろとも、突っ込んで来た。それを頼母は左へ反わし、乾児が、脇差しを壁へ突っ込んだところを、背後から、肩を背筋まで斬り下げた。




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