国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(37) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(37)

    馬鹿のような無邪気さ

「ナニ、気が弱くて臆病?」
 左門は、また呆れた。
「ええ、そうでございますわ。それに、謹み深い、丁寧な、善良《いい》お方でございますわ」
「…………」
「女の子の寝言に吃驚《びっく》りなすって、紙帳の隅へケシ飛んで行ったまま、お行儀よく、膝にお手を置いて、かしこまっておいでになるのですものねえ」
 云われて、左門は、自分を見廻して見た。なるほど、痩せた肩を聳《そびや》かし、両手をお行儀よく膝の上へ置き、膝をちんまりと揃えて坐っていた。叱られた子供が、姉さんの小言を、かしこまって聞いている格好であった。左門は苦笑した。しかし左門としては、何も栞に遠慮して、そんな態度をとったのではなく、突然の栞の声に驚き、飛び退がった時にそういう姿勢をとり、それをこの時まで持ち続けて来たまでであった。
(それにしてもこの娘は、何んと朗らかで、無邪気なのであろう)
 左門は、体を寛《くつろ》げた。
(いい気持ちだ)
 左門は、心が豊かになり、和《なご》やかになるのを感じた。
「第一、このお家、妾のものでなく、あなた様のものでございますわ。あなた様がご主人様で、妾はお客様でございますわ。そのご主人様が、遠慮するということございませんわ」
 と栞は云って、膝の上で、長い袖を弄《もてあそ》んだ。紅色の勝った、友禅模様の袖は、いろいろの落花の積み重ねのように見え、それを弄んでいる娘の、白い、細い、柔らかい指は、その花の積み重ねを、出たりはいったりする、蚕かのように見えた。
「家とは?」
「紙帳のことですの」
「ははあ」
 と云ったが、左門は、(いいことを云ってくれた)と思った。(紙帳こそ、俺の家であり巣なのだからなあ)
 また左門はいい気持ちになった。そこで膝を崩し、手を懐中《ふところ》へ入れ、ノンビリとした姿勢となった。
「紙帳といえば、妾がお釣りしたのでございますの」
 栞は云いつづけた。
「妾、林を散歩して、ここまで参りましたところ、紙帳が落ちていたではございませんか……最初は、本当は、気味悪かったのでございますのよ。……でも、見ているうちに、釣りたくなりましたので、釣りましたところ、今度は、はいってみたくなりました。……はいりましたところ眠くなりました。そこで妾、眠ったのでございますわ……」
「ははあ」と左門は云ったが、さては紙帳は、あの夜、お浦によって、武蔵屋の庭から外へ運び出され、それから、何かの理由で――風にでも吹かれ、ないしは、お浦自身ここまで持って来て、棄てて立ち去ったのかもしれないと思った。
(どっちみち紙帳を、ここで取り戻すことが出来たのは幸福だった)
 二人はしばらく黙っていた。
 ふと、上の方で、ひそかな物音がした。
 栞は、顔を上向けた。紙帳の天井に、楓の葉のような影が二個映ってい、それが、ひそかな音を立てて、あちこちへ移動《うつ》っていた。小鳥の脚の影らしい。また二個数が増した。もう一羽、紙帳へ停まったらしい。四個《よっつ》の小鳥の脚の影は、やがて紛合《もつれあ》った。戯れているらしい。と、二個ずつ離れ、つづいて、意外に高い、でも優しい啼き声が響いて来た。
「テッポ、シチニオイテ、イツツブ、ニシュ」
 と、その声は聞こえた。
 とたんに、四個の脚の影は消えた。飛び去ったらしい。しかしやや離れたところから、同じ啼き声が聞こえて来た。
「頬白《ほおじろ》でございますわね」
 と栞は云って、眼を細め、左門の顔を見た。
「何んといって啼いたかご存知?」
「さあ」
「『鉄砲質に置いて、五粒二朱』――と、啼いたのですわ」
「ははあ」
「猟にあぶれた[#「あぶれた」に傍点]猟師《かりゅうど》が、鉄砲をかついで、山道を帰って来る時、高い木の梢で、ああ啼かれますと、猟師は憤《おこ》れて来るそうでございます」
「ふ、ふ」
 と、左門は、思わず、含み笑いをした。
「その筈でございますわ」と栞は云いつづけた。
「そのように不景気では、今に、鉄砲を質に置いて、五粒二朱借りるようになるぞよ、などと頬白にひやかされては、猟師としては、憤れて来ますわね」
「憤れますとも」
「でも、頬白は、普通、『一筆啓上仕る』と啼くのだそうでございます」
「物の啼き声は、聞きようによって、いろいろに取れますわい」




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