国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(42) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(42)

    必死のお浦

 この時、遙かの林の奥から、喊声が聞こえて来た。五郎蔵たちの一団と、戸板を置き捨て、逃げて行った二人の乾児とが邂逅《めぐりあ》い、二人の乾児によって、頼母と、お浦と、典膳との居場所を知った五郎蔵たちの揚げた声であった。
「逃がすな!」「もう一息だ!」
 二十数人の一団は、藪を廻り、木立ちを巡り、枯れ草を蹴開き、無二無三に走った。
「いたぞーッ」
 という叫びをあげたのは、先頭切っていた五郎蔵であった。
「左門などには眼をくれるな! 頼母とお浦と典膳とを仕止めろ!」
 こう五郎蔵が叫んだ時には、長脇差しを抜いていた。
 悪罵と怒号とが林を揺すり、乾児たちの抜いた、二十数本の脇差しが、湾に寄せた怒濤が、高く上げた飛沫《しぶき》のように白光った。そう、五郎蔵たちの一団は、紙帳を背後にし、この時ようやく這い寄り、足へ縋り付いたお浦を、縋らせたまま、蒼白の顔色をし、刀を構えて立った頼母を、引っ包んで討ち取ろうと、湾のように左右に開き、立ち向かったのであった。
「頼母様アーッ」とお浦は叫んだ。「妾ゆえに、お気の毒なこの憂き目! ……想われたあなた様の因果! さぞ妾が憎いでございましょう! ……一思いにその刀で、妾をお殺しくださりませ! ……あなた様に殺されましたら、本望の本望! 頼母様アーッ」
 頼母は切歯し、
「この場に臨んで、何を繰り言! 放せ足を! ……一大事の場合、邪魔いたすな!」
 足を上げて蹴り、蹴られて、紙帳の裾に転《まろ》び寄ったお浦を、帳中から手が出て、引き入れた。
 瞬間、白刃が、十数本、頼母に降りかかった。
 それを頼母は、左右前後に、切り、防ぎ、そうして退き、ジリジリと退き、松の木の幹に背中をもたせ刀を構え、大息を吐き、八方へ眼をくばり、
(俺は、これから、どうなるのだ?)
 と思った。
 この頼母の心境《こころ》は、地獄さながらであったが、帳中へ引き入れられたお浦の心境も、地獄さながらであった。
 ――ここは紙帳の中である。
 お浦は、左門へ、むしゃぶりつこうとしていた。
「汝《おのれ》、左門ンーン」
 それは、血を吐くようなお浦の声であった。
「汝のために、武蔵屋で、紙帳の中へ引き入れられ、気絶させられ、悩乱させられたばかりに、頼母様に差し上げようと思った天国様を川へおとし、そればかりか、五郎蔵に捕えられ、『俺を裏切り、頼母へ心中立てした憎い女! 嬲り殺しにしてくれる』と、昨日まで府中で責め折檻《せっかん》、今日はいよいよ息の根とめると、百姓家の納屋へ戸板でかつぎこまれ、……そこを嬉しや、頼母様に助けられ、ここまでは連れられ遁がれては来たが……汝、左門ンーン……汝とは何んの怨みもないこの身、部屋を取り違えたが粗忽《そこつ》といえば粗忽……そのような粗忽、いましめて、放してさえくだされたら、何んの間違いもなかったものを! ……汝の悪逆の所業から、それからそれと禍いを産み、頼母様を五郎蔵に怨ませ、アレアレあのように紙帳の外では、五郎蔵めに頼母様が! ……」
 胸はあらわ、髪は崩れ、頸には、折檻された痕の青あざがある。――そういうお浦が、怨みと怒りで血走った眼を据え、食い入るように、下から、左門を睨み、地を這い、じりじりと進み、武者振りつこうとしているのであった。




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