国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(44) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(44)

    紙帳の外は修羅場

 瞬間、白光が、二人の間を裁断《たちき》った。
 地に置いてあった抜き身を取り上げ、左門が二人の間へ突き出したのであった。
「待て! ……さりながら、純情と純情! ……ハーッ」
 と、太い息をした。
 五郎蔵の贔屓《ひいき》を受けていながら、五郎蔵を裏切り天国の剣を持ち出し、頼母に渡そうとしたこと、邪まの所業《しわざ》には相違なかったが、生命をかけての頼母への執着ぶりから云えば、お浦の想い、純情といわずして何んだろう。
 左門のような人間をして、腹の底から笑わせた栞の無邪気さ! その栞の頼母への恋が、純情であることはいうまでもなかった。
 その純情と純情とが、狭い紙帳の中で、今や噛み合おうとしているのであった。
(俺には扱い兼ねる)
 左門は太い息をしたのである。
「栞殿」
 と、やがて左門は云った。
「拙者、先ほど、阿婆擦《あばず》れた女などが、そなたの恋人へ附きまとうやもしれずと申しましたな。……お浦こそその女子! ……しかし、そなたの、頼母殿を想う念力強ければ、お浦など、折伏《しゃくぶく》すること出来ましょう! ……弱ければ、折伏されるまでよ! ……お浦!」
 と、お浦を、不愍《ふびん》そうに見詰め、
「そちの頼母殿への執着、浅間しいともいえれば不愍ともいえる! ……しかし思え! そちの命は助からぬやもしれぬ。死に際を潔うせよ! ……栞殿へ恋を譲れ! ……そこまでに強い想い、譲るは辛いであろうが、譲れば、かえってそちの煩悩、まず第一に救われるであろうぞ! ……栞殿も救われ、頼母殿ものう。……栞殿は無邪気な処女《おぼこ》、頼母殿を、荒《すさ》んだ仇し女などに取られるより、まだしも栞殿に譲った方がのう。……さりながら、女の世界での出来事は、男の世界からはうかがいしること出来ぬわい! そちたち委《まか》せ! ……おさらばじゃ!」
 刀を引くと立ち上がり、紙帳の側面《かべ》へ身を寄せたが、
「二人ながら安心いたせ! 二人の希望を叶え、拙者、五郎蔵はじめ、五郎蔵の乾児どもを、斬って斬って斬りまくり、頼母殿の命はきっと救う! ……注意《こころ》いたせ!」
 と、左門は訓《いまし》めるように云った。
「二人ながら紙帳を出るな! ……紙帳こそは拙者の家、わが城砦《とりで》、この中にそちたちいる限りは、拙者身をもって護ってとらせる! 出たが最後、拙者関係《かかわ》らぬぞ!」
 幾多の悲劇を経験した紙帳は、またも悲劇を見るのかというように、尚睨み合っている二人の女と、今や紙帳の裾に蹲居《うずくま》り、刀を例の逆ノ脇に構え、斬って出《い》ずべき機会を窺い、戸外《そと》の物音を聞きすましている左門とを蔽うていた。頼母によって斬られた五郎蔵の乾児たちの血が、新しくかかって、古い血の痕の上を、そうして左右を、新規に深紅に染め、それが、線を為《な》し、筋を為し、円を描き、方形を形成《かたちづく》り、流れ凝《こご》り、紙帳の面貌《おもて》は、いよいよ怪異を現わして来た。
 が、紙帳の外は?
 ここ紙帳の外は、修羅闘争の巷であった。
 頼母は既に紙帳の側から離れ、ふたたび立ち木の幹へ背をあて、群がり寄せ、斬りかかろう斬りかかろうとする五郎蔵の乾児たちを睨み、自分もいつか受けた数ヵ所の負傷《きず》で、――斬った敵方の返り血で、全身朱《あけ》に染まり、次第に迫る息を調え、だんだん衰える気力を励まし励まし、……
 そういう頼母の眼に見えているのは、正面乾児たちの群の中に立ち、彼を睨んでいる松戸の五郎蔵の姿であった。
 憎悪《にくしみ》に充ちた五郎蔵の眼がグッと据わり、厚い唇が開いたと見てとれた瞬間、怒号する声が聞こえて来た。
「憎いは頼母、親の敵に邂逅《めぐりあ》ったという、義によって助太刀してやったところ、恩を仇に、お浦めをそそのかし、天国の剣を持ち出させたとは何事! 息の根止めずに置かれようか! やア乾児ら、うろうろいたさず、頼母めを討ってとれ! ……おおおお、お浦め、紙帳の中へ引き入れられたまま、いまだに出ぬぞ! ……紙帳の中には左門がいる筈、その左門め、武蔵屋でも、同じ紙帳の中へ、お浦めを引き入れて……許されぬ左門! やア乾児ら、左門めを討ってとれ! ……典膳めの姿が見えぬぞ! 典膳めはどうした? ……俺の過去などと申して、あることないことを云い触らす痩せ浪人! 生かしては置けぬ!」
 喚きちらし、地団駄を踏む五郎蔵の心境《こころ》も、苦しいものに相違なさそうであった。
「やあ汝ら手分けして典膳を探し出せ!」
 声に応じて数人の乾児が、木立ちを潜って走って行く姿が見えた。
「やア松五郎!」と怒鳴る五郎蔵の声がまた響いた。「紙帳を窺え! 紙帳の中を!」
 外光の中で見る紙帳の気味悪さ!




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