国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(46) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(46)

    左門の侠骨

 いまだに立ち木に背をもたせ、五郎蔵の乾児たちと立ち向かっていた頼母は、眼に左門の働きを見、耳に左門の声を聞き、茫然とした気持ちにならざるを得なかった。それは悲喜交※[#二の字点、1-2-22]《こもごも》の感情ともいえれば夢に夢見る心持ちとも云えた。左門が自分の味方として現われ出て来たことは、何んといっても頼母にとっては有難い嬉しいことであった。しかし討たねばならぬ父の敵から助けられるということは、苦痛《くるしみ》であった。とはいえ現在《いま》の場合においては、その苦痛は忍ばなければならなかった。もし五郎蔵一味に自分が殺されたならば、左門を討つことが出来なくなってしまうからである。今は、何を措いても、五郎蔵一味を殲滅《せんめつ》するか追い払うかしなければならなかった。それには左門からの助太刀は絶対に必要のことであった。
 頼母は勇気とみに加わり、今までは守勢の身であったのが、攻勢に出、疾風のように五郎蔵の乾児どもの中へ斬り込んだ。
 胆を奪われた乾児たちが狼狽し、散って逃げた時、
(栞殿は?)
 と、こういう場合にも、危険に曝《さ》らされている恋人のことが心に閃めき、頼母は、逃げた乾児どもを追おうともせず、身を翻えすと一気に、紙帳へ駆け寄り、左門の立っている位置とは反対の、紙帳の裏側に立ち、紙帳を背にし、もう追い縋って来た五郎蔵の乾児六、七人を前にし、構え込んだ。
 五郎蔵の乾児たちは、今は、二派に別れて立ち向かわなければならないことになった。
 十数人の乾児たちは、左門へ向かった。
 と、この時、左門の高く呼ぶ声が聞こえて来た。
「頼母殿、心得てお置きなされ! 敵大勢四方よりかかるとも、一方へ追い廻せば結局は一人でござるぞ! すなわち殿陣《しんがり》の一人が敵でござるわ!」
 この言葉を証拠立てるためらしく、左門は突き進むと、左端の一人を斬り斃し、戻りの太刀でもう一人を斬り斃し、狼狽した乾児たちが紙帳を巡って右手の方へ逃げるのを、隙かさず追い、逃げおくれた一人を、肩から背骨まで斜めに斬り下げ、紙帳の角を廻って尚追った。逃げた乾児どもは、頼母のいる紙帳の裏側まで来、そこに集まっていた七人の仲間とぶつかった。頼母に向かっていたその七人の乾児どもは、逃げて来た十数人の仲間の渦中に捲き込まれ、これも狼狽し後から左門が追って来るとも知らず、これは左手の方へ逃げだしたが、血刀を振り冠った左門の姿を見ると、仰天し、悲鳴を上げ、四方へ散り、紙帳から離れた。その乾児どもを追って、左の方へ走り出した頼母は、パッタリ左門と顔を合わせた。
「左門氏、ご助力、忝けのうござる!」
「黙らっしゃい!」
 と左門は喝した。
「貴殿と拙者とは讐敵同士! 恩には着せぬ、恩にも着たもうな!」
「…………」
 もう二人は別れていた。
 左門に追われて逃げた十数人の五郎蔵の乾児たちは、紙帳の角から少し離れた辺《あた》りで一団となり、左門を迎え撃つ姿勢をととのえた。しかし左門は物の数ともせず、駆け寄ると、以前《まえ》と同じく、左端にいる一人を斬り斃し、返す刀で、もう一人の乾児を斬り伏せ、これに恐怖した乾児どもが、ふたたび逃げ出したのを、紙帳に接近した位置を保ちながら追ったが、ふと、紙帳越しに、頼母の方を見た。頼母は乾児どもに包囲されてい、一人の乾児が背後から竹槍で、今や頼母の背を突こうとしていた。左門はやにわに小柄《こづか》を抜き、投げた。小柄は、紙帳の上を、飛び魚のように閃めき飛んだ。
 頼母は、背後で悲鳴が起こったので、振り返って見た。竹槍を持った男が、咽喉《のど》へ小柄を立て、地面をのたうっている。事情が悟《し》れた。
「左門氏、あぶないところを……お礼申す!」
「貴殿と拙者とは讐敵同士……」
 と左門は、逃げおくれた一人を、背後《うしろ》ざまに斬り仆し、
「恩に着るな、恩にも着せぬと申した筈じゃ!」
「…………」
 この時まで五郎蔵は、乾児たちと離れて立ち、乾児たちの働きを見ていたが、左門と頼母とに、乾児たちが見る間に、次々に斬ってとられるので、怒りと恐怖と屈辱とで躍り上がり、頼母眼掛け駈け寄ろうとしたとたん、
「オ、親分ーン」
 という声が、林の中から聞こえて来、一人の乾児が木《こ》の間《ま》をくぐって走って来た。
「テ、典膳めは、道了塚の方へーッ」
「おおそうかーッ」
 と、五郎蔵は応じたが、
「典膳だけは、俺の手で! ……そうでないと、安心が! ……」
 道了塚の方へ走り出した。




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