国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(47) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(47)

    謎解かれる道了塚

 この頃典膳は、道了塚まで辿りついていた。彼の肉体《からだ》も精神《こころ》も弱り果て、息絶え絶えであった。彼は塚の裾の岩へ縋り付いて呼吸を調えた。彼にとって道了塚は、罪悪の巣であり仕事の拠点であり悲惨惨酷の思い出の形見であった。彼は眼を上げて塚を見上げた。二十年もの年月を経ておりながら、この自然物は昔とほとんど変化《かわり》がなかった。岩は昔ながらの形に畳み上げられてあり、苔も昔ながらの色にむしており、南無妙法蓮華経と彫刻《きざ》まれてある碑も、昔ながらの位置に立っていた。その碑面《おもて》が春陽を受けて、鉛色に光っているのも昔と同じであった。
 彼は懐かしさにしばらく恍惚《うっとり》となり体の苦痛を忘れた。しかし彼は、すぐに、碑に体をもたせかけ、手に抜き身を持った老人が、放心でもしたように、茫然と、塚の頂きに坐っているのを認め、驚き、尚よく見た。
「あッ」と典膳は思わず声を上げた。
 それは、その老人が、昔の頭、――二人あった浪人組の頭の一人の、有賀又兵衛であったからである。
「オ、お頭アーッ」
 と、典膳は悲鳴に似たような声で呼びかけた。
「有賀又兵衛殿オーッ」
 ――有賀又兵衛……現在の名、飯塚薪左衛門は、昔の、浪人組の頭目だった頃の名を呼ばれ、愕然とし、毛を※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》られた鶏のような首を延ばし、声の来た方を見た。
 彼の眼に見えたものは、塚の裾に、塚の岩組から、栓かのように横へはみ出している小岩、それに取り縋っている全身血だらけの武士の姿であった。
「誰じゃ?」
 と云いながら薪左衛門は、立てない足を躄《いざ》らせ、塚の縁の方へ身を進めた。
「渋江典膳にござりまする。……二十年以前《まえ》浪人組栄えました頃、組の中におりました、渋江典膳にござりまする!」
「渋江典膳? おお渋江典膳! ……存じおる! 存じおるとも! 組中にあっても、有力の人物であった! ……来栖勘兵衛と、特に親しかった筈じゃ」
「さようにござりまする。私は来栖勘兵衛お頭の秘蔵の腹心、伊丹東十郎氏は、有賀又兵衛お頭の無二の腹心として、組中にありましても、重く使用《もち》いられましてござりまする」
「伊丹東十郎? ……おお伊丹東十郎! ……覚えておる覚えておる! わしに一番忠実の男だった。……どうして今日まで思い出さなかったのであろう? ……おおそういえば、さっき聞こえて来たあの声、『秘密は剖かない、裏切りはしない、助けてくれーッ』と云ったあの声は、まさしく伊丹東十郎の声だった。……おお、俺はすっかり思い出したぞ。……あの時、二十年前、甲州の鴨屋方を襲い、莫大もない金銀財宝を強奪し、帰途、五味左衛門方を訪れ、天国の剣を強請《ゆす》り取り、それを最後に組を解散し、持ち余るほどの財を担い、来栖勘兵衛と俺《わし》と、そちと伊丹東十郎とで、この道了塚まで辿って来、いつもの隠匿所《かくしば》へ、財宝を隠匿《かく》したが……」
「その時私は、勘兵衛お頭の依頼により、素早く天国の剣を持ち逃げして、林の中へ隠れましてございます」
「財宝を隠匿《かく》したが、その時突然勘兵衛めは、伊丹東十郎を穴の中へ突き落とし、『此奴《こやつ》さえ殺してしまえば我らの秘密を知る者はない』と申しおった」
「深い穴の底から聞こえて参りましたのが、東十郎の叫ぶ『秘密は剖かない、裏切りはしない、助けてくれーッ』という声でござりました。……林に隠れておりました私の耳へまでも、届きましてござりまする」
「おのれ不埓《ふらち》の勘兵衛、従来《これまで》、奪った財宝を、百姓ばらに担がせて運び、隠匿した際には、秘密を他《よそ》へ洩らさぬため、百姓ばらを、財宝と一緒に、穴の中へ、切り落としたことはあるが、同じ仲間を、穴へ落として生き埋めにするとは不義不仁の至り、直ちに引き上げよと拙者申したところ、突然勘兵衛め、拙者に切り付けおった」
「あなた様が刀を抜かれ、勘兵衛めと立ち合われるお姿が、林にかくれおりました私にも見えましてござります」




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