国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(48) (ちまんだらしちょうぶし)

国枝史郎「血曼陀羅紙帳武士」(48)

    昔の同志、今の讐敵

「ああようやく、私《わし》の記憶は蘇生《よみがえ》って来た。……ああ、これが、道了塚で勘兵衛と決闘した原因だったのだ。……決闘の結果は私の負けだったが」
「あなた様が股を勘兵衛に斬られて倒れられたお姿が、木の間ごしに見えましてございます」
「彼奴《きゃつ》の方が以前《まえ》から私《わし》より強かったのだからなあ。……彼奴は私の倒れるのを見て、林の中へ駈け込んで行った」
「勘兵衛お頭は私めを連れまして立ち去ったのでございます。……それから数日経ちました夜、勘兵衛お頭には私を連れて、ここ道了塚へ参り、穴倉を開き、財宝を取り出し、持ち去りましてござります」
「それだのに彼奴め、過ぐる年、私の所へ参り、財宝と天国の剣とを奪ったのは私であろうと云い懸かりを付けおった」
「それもこれも、勘兵衛めの過去の罪悪を知っておる者、今日日《きょうび》では、あなた様と私とただ二人だけというところから、難癖をつけて、あなた様を討ち取ろうとなされたのでございましょう」
「その私はどうかというに、浪人組を解散して以来、ずっと古屋敷に、隠者のように生活《くら》していた。日課とするところは、道了塚へ行って、我々の罪悪の犠牲になった人々の菩提を葬い、懺悔することだった。……私の心は日に月に陰気になって行ったものだ」
 思い出多い過去の形見を、身に近く持っているということは、多くの場合、その人を憂欝にし、衰弱に導くものである。たとえば、亡妻の黒髪を形見として肌身に附けている良人《ひと》が、いつまでも亡妻の思い出から遁がれることが出来ず、日に日に憂欝になり衰弱して行くように。……薪左衛門が、過去の罪悪の形見の道了塚を附近《ちかく》に持ち、そこへ日参したということは、彼を憂欝にし彼を衰弱させたらしい。
「衰弱している私の所へ、博徒の頭、松戸の五郎蔵と成った勘兵衛が来て、私を威嚇《おど》したのじゃ、典膳よ、恥ずかしながら私《わし》は、その時以来今日まで発狂していてのう」
「又兵衛殿オーッ、私はその勘兵衛のために、嬲り殺しにかけられ、コ、このありさまにござりまする!」
「全身血達磨《だるま》! どうしたことかと思ったに、勘兵衛めに嬲り殺し※[#感嘆符疑問符、1-8-78] ……どこで? どうして?」
 この時嘲笑うような声が聞こえて来た。




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