国枝史郎「血ぬられた懐刀」(08) (ちぬられたかいとう)

国枝史郎「血ぬられた懐刀」(08)

聚楽第の秘密

 そもそも幸蔵主とは何者であろうか? 豊臣秀吉の大奥に仕えてそれの切り盛りをしているところの、いうところの老女であった。女ながらもずば抜けた知恵者で、一面権謀術数に富み、一面仁慈寛大であった。加藤清正や福島正則や、片桐且元《かたぎりかつもと》というような人さえ、幸蔵主には恩顧を蒙り、一目も二目も置いていた。秀吉さえも智謀を愛して、裏面の政治に関与させ、懐中刀として活用した。もう老年ではあったけれど、壮者をしのぐ、意気もあった。
 また秀次が孫七郎と宣《なの》って、三好法印浄閑《ほういんじょうかん》なるものの、実子として家にいた頃から、幸蔵主は秀次を知っていた。三好康長《やすなが》が秀次を養い、さらに秀吉が養子として、秀次を殊遇しはじめてから、幸蔵主は一層秀次に眼をかけ、よき注意を与えていた。で、幸蔵主は秀次にとっては、母とも乳母ともあたる人であった。
 ところで秀次は累進して、そうして秀吉の後を受けて、関白職に経上って、聚楽《じゅらく》の第《だい》の主人となって、権を揮うようになって以来、ようやく秀吉と不和になった。
 秀吉の謀将の石田三成や、増田長盛《ながもり》というような人と、気が合わなかったのが原因の一つで、秀吉の愛妾の淀君なるものが、実子秀頼《ひでより》を産んだところから、秀頼に家督をとらせたいと、淀君も思えば秀吉も思った。自然秀次が邪魔になる――というのが原因の第二でもあった。
 秀吉との不和は秀次にとっては、何よりも恐ろしいものであった。で、甘心を買おうとした。それを中にいて斡旋したのが他ならぬ老女の幸蔵主であった。
 その幸蔵主が忍ぶようにして、伏見の秀吉の居城からこの聚楽へ来たのであった。
 そうして何やら幸蔵主は、秀次に旨を含ませたらしい。
 どういう旨だか解《わか》らない。
 しかしどうやら秀次にとっては、快くない旨らしい。それには従おうとはしないのであった。
 そうして終日不機嫌であった。
 で、何となくここ数日、聚楽第の空気は険悪であった。
「ナーニ大丈夫だ大丈夫だ」
 不破小四郎は事もないように、さも不雑作にこう云ったが、自信がありそうに一同を見た。
「幸蔵主の姥がやって来て、殿下のご機嫌がよくなくて、終日終夜の乱痴気騒ぎで、上下が昏迷をしているのが、かえって俺には好都合なのさ。どさくさまぎれに申し上げて、殿下のお許しを受けるのさ。よろしい行《や》れ! と仰せられるであろうよ。どっちみち俺は明日か明後日、関白殿下のお使者として、北畠の邸へ出かけて行こう。承知《き》くも承知《き》かないもありはしない。関白殿下よりのご命令なのだ。娘を差し出すに相違ない。承知かない場合には攫って来る」
 間違いはないよと云うように、小四郎は額をこする[#「こする」に傍点]ようにしたが、果たして成功するであろうか?




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