国枝史郎「高島異誌」(02) (たかしまいし)

国枝史郎「高島異誌」(02)

  山なす財物

 純八は老僕の八蔵を、医師千斎の許へ走らせた。
 間も無く遣って来た千斎は、静かに老僧の脈を数え、暫くじっと考えていたが、
「鳥渡お耳を」
 と囁いて、隣室まで純八を誘った。
「何んと本条殿、あのご老僧は、貴殿のご縁辺ででもござるかな?」――声を窃《ひそ》めて先ず訊いた。
「いや縁者でも知己でもござらぬ。しかも今日邂逅《おめにかか》ったばかりの、赤の他人でござりまするがな……」――純八は幽《かすか》に眉をひそめ「何か老僧のご病気に就き不審の点でもござりまするかな?」
「左様、些不審ではござるが、夫れは又夫れとして何れ千斎、研究致す事として、兎に角至急あの御僧を門外へお移しなさりませ」
「それは又何故でござるかな?」
「いやいや何故も兎角も不用、一刻も早く追い出しめされ」
「それは不仁と申すもの、理由の説明無いからには、左様な不親切は出来ませぬ」
 純八は首を振るのであった。すると千斎は気の毒そうに、
「御身の上に恐ろしい災難が振りかかっても宜しゅうござるか?」
「他人に好意を尽くすことが、何んの災難になりましょうぞ!」
「その好意もよりきり[#「よりきり」に傍点]じゃ」――千斎はいとも苦々しく「悪虫妖狐魑魅魍魎《ちみもうりょう》に、何んの親切が感じられようぞ。寸前尺魔、危険千万、愚老は是でお暇申す。貴殿もご注意なさるがよい」
 気にかかる言葉を後に残して、医師千斎は帰って行った。
「悪虫妖狐魑魅魍魎に何んの親切が感じられようぞ? ハテ、これは何ういう意味であろう?」――純八は口の中で呟いて、多少心にもかかったが、再び病室へ取って返えし、今はスクスクに睡っている気高い老僧の顔を見ると、からり[#「からり」に傍点]と心が澄み返えり、何時かそんな言葉を忘れて了《しま》った。
 その翌日のことであったが、僧は褥から起き上がり、昨夜からの介抱の礼を述べたが、縁側へ出て草鞋を穿こうとした。
 驚いたのは純八で、周章《あわ》てて衣の袖を引き、
「是は何んとなされます? よもやご出立ではござりますまいな?」
「いやいや是でお暇でござる」僧は微妙な笑い方をし、「是非発足たねばなりませぬ。と申すのは此辺に愚僧の敵がござるからじゃ。いやいや長袖と申す者は、変に意地くね[#「くね」に傍点]の悪いものじゃ。貴殿もご用心なさるがよい。あの千斎とか申す薬師、ろく[#「ろく」に傍点]な者ではござらぬ依って……が貴殿のご親切は愚僧決して忘れは致さぬ。恐らく直ぐにも好いご運が御身に巡って参ろうと存ずる。ご免下されい。おさらばでござる」
 斯う云うとスックと立ち上がり、スタスタ往来の方へ足を運んだが又口から穢物を吐き出した。併《しか》し老僧は見返りもせず、門から外へ出て行った。と最う姿は見えないのである。
「お気の毒にもご老僧は未お体が悪いと見える」――斯う云い乍ら門の方を暫く純八は見送ったが、軈て僕《しもべ》の八蔵を呼んで其穢物を掃除させた。
 八蔵は何か口の中でぶつぶつ不平を云っていたが、主人の命令に従って鍬で其辺の土を掻いた。カチリと鍬の刄に当たるものがある。見ると手頃の銀環である。その銀環をぐい[#「ぐい」に傍点]と引くと、革袋の口が現れた。
「これは不思議」と縁から下りて、純八も八蔵へ手を貸して、共に銀環を引っ張った。二人の力を合わせても、革袋は動こうともしないのである。つまり夫《そ》れ程重いのである。
「何が這入って居るのであろう?」
 純八は好奇心に促され、引くのを止めて短刀を抜き、袋の口を切り払ったが、その瞬間に鋭い悲鳴が「が――ッ」と切口から聞えて来た。併し不思議は夫ればかりで無く、見よや巨大の袋の中には黄金ばかりが張ち切れる程に一杯に充ち満ちているではないか!
「偖こそ昨日の老僧は仏菩薩の化身であったよの! 我の貧困を憐み給い巨財をお授け下されたのであろうぞ! 南無阿弥陀仏」
 と思わず知らず、純八は念仏を申したが、果して彼の思った通り、数えもされぬ程の其財宝は仏菩薩よりの贈物であったろうか?
「いや!」
 と医師の千斎だけは、その好運を否定《うべなわ》なかった。
「それこそ妖怪の誘惑でござるよ。すべて災難の参る時は、多くは最初には夫れと反対に、好運めいたものが参るものでござる。お気の毒な、純八殿じゃ。妖魔に魅入られて居られやす哩。が夫れにしても彼の老僧抑々何物の変化であろう」




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