国枝史郎「高島異誌」(08) (たかしまいし)

国枝史郎「高島異誌」(08)

  奇怪の光景

 若い男と若い女が、同じ家に起居し、同じ食物を食べ合っていては、その結果も大方は知れている。深山と名を呼ぶ其乙女と、本条純八とは一月経たぬ中に、切っても切れない由縁《えにし》の糸を、結び合わした身の上となった。
 で、純八は其時以来復も幸福の人間になり、生き甲斐ある身の上となったのであるが、今度も老医千斎ばかりは、彼の幸福を喜ばず、深山《みやま》という女を怪んだ。そうして或時こんな事を云った。「人間は勿論総《あらゆ》る生物には、その[#「その」に傍点]生物としての脈がござる。以前奇怪な托鉢僧を人間ならずと見極めたのも、人間ならぬ不思議な脈を其奴が持っていたからでござる。果して其奴は人間では無うて恐ろしい白蛇でござったわ。――ところで総の生物には、又その各自の生物に応じた一種の呼吸法《いきづかい》が有る物でござる。そこで今度の深山という女じゃが、誠に審《いぶかし》い呼吸法を再々致して見せるでの。どうやらお気の毒にも本条殿は復も妖怪に憑かれたらしい」
 で、千斎は其時以来ピタリと足踏みをしなくなった。
 それに反し、幼馴染の、筒井松太郎は以前よりも、一層繁く出入りをしたが、併し夫れには或る何等かの邪《よこしま》の目算《もくろみ》が胸にあって、その目算を果そう為、接近いているのではあるまいかと、疑われるような節があった。とは云え夫れが何であるかは勿論誰にも解らなかった。併し兎に角松太郎があの[#「あの」に傍点]議論以来純八に対して怨みを抱いているということは、疑いの無い事実である。
 斯うして半年が過ぎ去った。果然その時案じていたような惨しい悲劇が湧き起こった。そうして夫れは松太郎に依って、計画されたものであった。で、作者はもう一度「深山桜」を引例して、その恐ろしい最後の悲劇を読者のお耳に入れようと思う。
「……旧友筒井松太郎は、議論の怨みを晴さんものと、窃に機会を窺い[#底本では「窮い」]居たるが、深山と純八との仲宜きを見て、己その仲を裂き呉れんと、或ひは口を以て深山を説き、又は艶書を送りなどして、彼女の心を乱さんとせり、然るに純八遇然の事より早くも松太郎の奸策を知り、勃然として怒りを発し、久しく交わること兄弟の如きに、己が恋人を横取りせんとは不義とや云はん無道人とや云はん、このままには捨て置かれじと、或日彼の来たるを待ちて、互に刀を抜き合はせ、止める者なければ充分に戦ひ、遂に松太郎を切り斃し、留を刺し血を拭ひ、最早此地には居られずと、深山を連れて落ち延びける。此処に筒井松蔵といふは、松太郎の実の弟なりしが、兄の仇を討たんずものと、主君因幡守に暇を乞ひ、ただ一人にて出立せしが、巡り巡つて三年越し、更科の郡姨捨《うばすて》山の、月見堂の傍まで来かかる折柄、人住めるとも思はれぬ荒れ廃たれたる茅屋ありて、人の呻く声の聞ゆるに、こは怪しと覗き見れば二人の男女籠もり居たり。男は意外にも純八なりしが、顔色蒼褪め死せるが如く、髪髭自在に生い茂り、身体痩せて枯木に似、而も昏々と眠れるなり。女の方は深山なりしが、純八を犇と抱き抱へ、長き舌を口より吐き、男の頭をヒラヒラと舐る。奇怪の光景に驚き乍らも、素破敵を見付けたわと、戸を蹴破つて押し入りつ松蔵は大音に呼ばはるやう「今は天命遁れ難し、いで立ち上がつて勝負せよ!」と、声に驚き逃げ出す女を「汝も敵の片割ぞ!」と、一刀サツと切り付けるに、女はキーツと悲鳴を上げ、壁を伝つて天井裏へ、鼠のやうに隠れたり。この物音に眼を醒ましたる本条純八は只茫然と、松蔵の顔を眺めるのみ。精神脱楽人事を弁ぜず、まして言葉を出す由も無し、今は是迄と松蔵は、純八の頭を打ち落し、尚女めを仕止めんものと、落ち散る丸木をおつ取つて、ハツと天井を突き上ぐれば、板目破れて其隙間より、五尺あまりの真黒の物ドツと落ちたるを好く見れば、四つの手脚人間に似たる、守宮なり[#底本では「宮守なり」]、松蔵も流石に驚き、思はず呼吸を呑みたるも、やがて刀を持ち直し、グサと背骨を突き通し、弱る所を足で踏まへ、直ちに首を落したり。云々。(下略)」




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