国枝史郎「天主閣の音」(03) (てんしゅかくのおと)

国枝史郎「天主閣の音」(03)

     三

 聖燭節《せいしょくせつ》から節分になり、初午から針供養、そうして※[#「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60、56下-12]槃会《ねはんえ》の季節となった。仏教の盛んな名古屋の城下は、読経の声で充たされた。
 梅が盛りを過ごすようになり、彼岸桜が笑をこぼし、艶々しい椿が血を滴らせ、壺菫《つぼすみれ》が郊外で咲くようになった。
 間もなく桜が咲き出した。そうして帰雁の頃となった。
 或日宗春は軽装し、愛妾お半の方を連れ、他に二三人の供を従え、東照宮へ出かけて行った。彼には斯ういう趣味があった。一方豪奢な行列を調え、城下を堂々と練るかと思うと、他方軽輩の姿をして、地下の人達と交際《まじわる》のを、ひどく得意にして、好いたものである。
 東照宮は長島町にあった。城を出ると眼の先であった。
 境内の桜は満開で、花見の人で賑わっていた。赤前垂の茶屋女が、通りかけの人を呼んでいた。大道商人は屋台店をひらき、能弁に功能を述べていた。若い女達の花簪《かんざし》、若い男達の道化仮面、笑う声、さざめく声、煮売屋の釜からは湯気が立ち、花見田楽の置店からは、名古屋味噌の香しい匂いがした。
「景気は可いな。実に陽気だ」宗春の心も浮き立って来た。ぴらり帽子で顔を包み、無紋の衣裳を着ているので、誰も藩主だと気の附くものがない。それが宗春には得意なのであった。
 と、一人の四十格好の香具師《やし》が、爛漫と咲いた桜樹の根元に、風呂敷包を置き乍ら、非常に雄弁に喋舌っていた。
「さあお立合い聞いてくれ。いいや然うじゃあねえ見てくれだ。唐土渡りの建築模型、類と真似手のねえものだ。わざわざ長崎の唐人から、伝授をされて造った物だ。仇や疎かに思っちゃ不可ねえ。……尤も見るだけじゃお代は取らねえ。見るは法楽聞くも法楽! だからとっくり[#「とっくり」に傍点]見て行ってくんな。但し気に入った建築があって、買いたいというなら代は取る。そうして代価は仲々高え! 驚いちゃ不可ねえ一個百両だ! そりゃあ然うだろう屋敷を買うんだからな。それも素晴しい[#「素晴しい」はママ]屋敷なのだからな! ……何、なんだって! 高いって? アッハハハ然うかも知れねえ。百両と云やあ大金だ。大道商売の相場じゃねえ。よし来た夫れじゃ負ける事にしよう。それも気前よく負けてやる。一個一両とは是どうだ! 負けも負けたり大負けだ。百両から一両に下ったんだからな。この辺が大道の商売だ。平几張面[#「几張面」はママ]の商人にゃ[#「にゃ」は底本では「にや」と誤記]、しよう[#「しよう」に傍点]と云ったって出来る事じゃねえ。え、何んだって未《まだ》高いって? 冗談じゃあねえ驚いたなあ。一両でも高いって云うのかい? 屋敷一個が一両だぜ。一両の屋敷ってあるものか! 堀立[#「堀立」はママ]小屋を建てた所で、一両ぐらいは直ぐかからあ。それが何うだ御屋敷なんだぜ。門があってよ玄関があって、母屋があって離座敷《はなれ》があり、泉水築山があるんじゃねえか! そうさ尤も模型だから這入って住むことは出来ねえが、そいつあ何うも仕方がねえ。……これがお前さん住める屋敷なら、二百両三百両じゃあ出来ねえんだからな。……とは云うものの考えてみれば、住めねえ屋敷が一両とは、ナール、こいつ高えかもしれねえ。よし来た夫れじゃ最う少し負けよう。ギリギリの所一分とは何うだ。アッハハハ負けたものさなあ。百両から一分になったんだからなあ。さあ最う此辺がテッペンだ。もう是からは一文だって引けねえ。いいかな御立合い引けねえんだよ。……兎も角もじっくり[#「じっくり」に傍点]見てくんな。この精巧な模型をよ。ごまかし[#「ごまかし」に傍点]なんか一個所だってねえ。ガッチリ建築法と造庭と、方位吉凶に合っているんだからな。だからよ、此奴を買って行って、尺に合わせて計ってみるがいい。そうして屋敷でも建ててえ時には、そっくり此奴を参考にして、トンカントンカン建てるがいい。大工を頼む必要はねえ。そうだ板っ切れの削り方と、釘の打ちようさえ知っていたら、自分で結構建てることが出来る。ところで種類なら幾通りでもある。九尺二間の裏店から、百万石の大名衆の、下屋敷まで出来てるのさ。尤も城の模型は無え。こいつは鳥渡物騒だからな。ウカウカそんな物を拵えようものなら、謀叛人に見られねえものでもねえ。おお恐え逆磔刑《さかはりつけ》だ! が、併しお大名衆から、特にご用を仰せ付かるなら、こいつは別物だ遠慮はしねえ、城の模型だって造ってみせる。山本勘介も武田信玄も、太田道灌も太閤様も、俺から云わせりゃ甘えものさ。昔から名ある築城師、そんなもなあ屁の河童だ! だがマア自慢はこれくらいとして、さて夫れでは実物に就いて、説教することにしようかな。……最初は是だ、この模型だ! 五行循環吉祥之屋敷!」
 こう云い乍らその香具師は、地面に置いた風呂敷包から、屋敷の模型を取り出した。
 今日の張ボテ式、子供瞞しの品ではあったが、さすがに自慢をするだけあって模型としては完全であり、殊には精巧を極めていた。





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