国枝史郎「天主閣の音」(11) (てんしゅかくのおと)

国枝史郎「天主閣の音」(11)

     一一

 一歩踏み入った香具師は「やっ」と云って眼を見張った。
 長方形の建物一杯、天上の虹でも落ちたかのように、紅白紫藍の草花が、爛漫と咲いていたからであった。
 建物は仕切られていなかった。端から端まで見通された。左右の壁に棚があり、それが階段を為していた。その上に大小無数の鉢がズラリと行儀よく並べられてあり、それが一つ一つ眼眩くような、妖艶な花を持っているのであった。
 部屋の恰度真中所に、一基の寝台が置いてあり、その上に老人が横臥っていた。八十歳あまりの老人で、身に胴服を纏っていた。手に煙管を持っていた。それは非常に長い煙管で、火盞が別して大きかった。
 香具師は老人をじっと見た。
「あっ」とばかりに仰天した。見覚えのある老人だからで。――
「おっ、お前か、爺く玉奴!」香具師は声を筒抜かせた。
「お若いの、よく見えた」老人は寝台から起き上った。「無作法な奴だ、爺く玉だなんて言葉を謹め、若造の癖に」こうは云ったが老人は、別に怒ってもいないようであった。
「驚いたなあ」と香具師は、部屋の中を見廻わした。
「何んだい一体この部屋は?」
「流石のお前にも解らないと見える。教えてやろうか、南蛮温室だ」
「え、何んだって、南蛮温室だって? で、一体何んにするものだ?」
「ごらんの通りだ、花が咲いている」
「そんな事は解っている」
「どうしてどうして解るものじゃあねえ。と云うのは花の種類よ。おいお若いの、先ずご覧、幾色の花があると思う」
「ふん」と香具師は憎くさげに「花作りじゃああるめえし、そんな事が何んで解る」
「三百種あるのだ、三百種」
「へえ、そんなにも有るのかい」香具師も鳥渡《ちょっと》驚いたらしい。「そんなに作って何んにするんだ」
「しかも普通の花じゃあ無い」老人は俄に真面目になった。「毒草だよ、毒草だよ」
「毒草!?[#「!?」は1マスに横並び]」
 と香具師は鸚鵡返した。少し顔が蒼白くなった。
「おいおいお若いの、何が恐ろしい。恐ろしいことは些少ない。毒草が厭なら云い換えよう、薬草だよ、薬草だよ」
「ははあ成程、薬草なのか」香具師は顔色を恢復した。
「おい、お若いの、あの花を見な」
 老人は一つの花を差した。五弁の藍色の花であった。
「何んだと思うな、この花を?」
「ふん、俺が何んで知る」
「亜剌比亜《あらびや》草よ、亜剌比亜草だ、絶対に日本には無い花だ。本草学にだって有りゃあしない。ところで此奴から薬が採れる。名付けて亜剌比亜麻尼と云う。一滴で人間の生命が取れる。殺人《ひとごろし》をすることが出来るのさ。……此奴は何うだ、知ってるかな?」
 一つの花を指差した。白色粗※[#「米+造」、読みは「ぞう」、第3水準1-89-87、76上-15]の四弁花であった。
「いいや、知らねえ、何んで知るものか」
「教えてやろう、虎白草だ。採れた薬を五滴飲ませると、間違い無しに発狂する。……扨《さて》、ところで此花は何うだ? 知っているかな、え、若いの?」
 黄色い花を指差した。
 香具師は黙って首を振った。
「教えてやろう、山猫豆だ。採れた薬を眼の中へ注ぐと一瞬にして潰れて了う。……此花は何うだ? 知ってるかな?」黒色の花を指差した。
 香具師は返辞をしなかった。
「知る筈が無いさ、知る筈が無いさ、本草学にだって無いんだからな。これは西班牙《いすぱにや》の連銭花だ。何んと美しい黒色では無いか。花弁に繊毛が生えている。が、決して障っては不可ない。障ったが最後肉が腐る。それはそれは恐ろしい花だ。……ところであの花を何んだと思う?」
 金黄色の花を指差した。
 香具師は返辞をしなかった。気味悪そうに見ただけであった。
「俗名惚草という奴だ。採った薬が惚れ薬だ。アッハッハッハッ洒落た花だろう。茶の中へ垂らして飲ませるのさ。間違い無く女が惚れる。お望みなら分けてやろう。……さて最後に此花だ。若いの、見覚えがあるだろうな?」
 深紅の花を指差した。
 焔が燃え乍ら凍ったような、凄い程紅い花であった。
 正しく香具師には見覚えがあった。
「唐土渡来の眠花!」
「然うだ」老人は気味悪く笑った。





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