国枝史郎「天主閣の音」(13) (てんしゅかくのおと)

国枝史郎「天主閣の音」(13)

     一三

 老人は穴を覗き込んだ。恰度人一人這入れる程の、それは四角の穴であった。石の階段が出来ていた。階段と云っても、二三段しかない。
 老人は階段を下りて行った。下り切った所で、四方を見た。そこは家の床下であった。その床下を一杯に充し、巨大な何かが置いてあった。四辺が朦朧と薄暗いので、はっきり見ることは出来なかった。しかし夫れは動物では無かった。それは製造られた物であったとは云え夫れは動くものであった。生物で無くて動くもの? 一体何ういうものだろう?
 形はキッパリした長方形で、そうして其色は真黒であった。骨が縦横に突っ張っていた。そうして夫れは扁平であった。地面一杯に拡がっていた。
「思った通りだ」と老人は云った。「どれからくり[#「からくり」に傍点]を調べてやろう」
 老人はやおら腰をかがめた、突然床下が真暗になった。石階《いしばしご》のある出入口から、薄蒼く射していた戸外の夜色が、俄に此時消えたのであった。
「しまった!」と老人は声を上げた。石段の方へ走って行った。
 果たして口を閉ざされていた。
「ううむ」と呻かざるを得なかった。「それにしても不思議だなあ。こんなに早くあの香具師が、睡眠から覚めようとは思われないが、併しあの男以外に、こんな一軒屋へ遣って来て、秘密の出入口を閉じる者は、他にあろうとは思われない。ははあ偖は香具師奴、眠ったような様子をして、その実眠っていなかったのだな。後から尾行けて来たのだな。……さあ是から何うしたものだ。他に戸口は無いだろうか? いやいや他に戸口があっても、容易に目付かるものではあるまい。よしんば仮え目付かったにしても、あの悪党の香具師だ、内側から楽に開けられるような、そんなヘマはして置くまい。……計る計ると思ったが、その実俺の方が計られた哩《わい》」
 石段の下に佇み乍ら、老人は暫く思案に耽った。と其時、閉ざされた口が、そろそろと上へ持ち上った。一筋細目に隙が出来た。そうして其処から棒のような物が――いや匕首が突き出された。
「香具師さん、香具師さん、驚いたかい妾《わたし》だよ」
 女の声が聞えて来た。
「誰だか見当は付いているだろうね。お半だよ、お半の方さ」
「あっ」と老人は仰天した。「これは一体何うしたことだ。何、何んだって、お半の方だって? それじゃあ尾張様のご愛妾じゃないか」口の中で呟いた。
 追っかけて女の声がした。
「お前さんの苦手のお半の方さ。だがお前という人は、妾に執っても苦手なのさ。だから今夜遣って来たのさ。と、こんな所に口があって、ゴソゴソ床下で音がする。そこで口をふさいだ[#「ふさいだ」に傍点]のさ。ホ、ホ、ホ、ホ、可い気味だよ。鼠落しを掛けた奴が、自分でそいつ[#「そいつ」に傍点]へ落っこったんだからね。ジタバタしたって最う駄目だよ。それとも無理に出るつもりなら、匕首を土手っ腹へお見舞いするよ」
「まあお待ち」と老人は云った。「私はそんな香具師じゃあ無い。人違いだよ人違いだよ」
「馬鹿をお云いな、何を云うんだ。そんな老人の作り声をしてさ。そんな手に乗るものか」
「いや本当だ、そんな者ではない。私は赤の他人なのだ。まあ其処から出しておくれ。出た上でゆっくり[#「ゆっくり」に傍点]相談しよう。旨い話なら乗ってもいい。兎に角外へ出してくれ」
「まあ是で安心したよ」女の声は嬉しそうであった。「実はね、妾は心配だったのさ。大悪党のお前さんの事だ。家にも色々からくり[#「からくり」に傍点]があろう。この口一つふさいだ[#「ふさいだ」に傍点]所で、妾の知らない他の口から、ヒョッコリ出て来ないものでもないとね。ところがお前さんの言葉つきで推すと、そんな心配は入らなそうだね。他に出口が無いと見えて出してくれ出してくれって云ってるじゃあないか。嬉しいねえ。是で安心したよ。殺すも活かすも此方のままさ。そこで掛合いも楽ってものさ。案外、お前さん凡倉だねえ」
「ううん」と老人は唸って了った。「驚いたなあ大変な女だ。とまれ愛妾のお半の方と、香具師とは関係があるらしい。どんな関係だか知らないが、俺を香具師だと信じているらしい。よしよし其奴を利用して、二人の関係を聞き出してやろう」そこで老人はこう云った。
「いや私は香具師では無い。だが香具師だと思うのなら、香具師になってやってもいい。どんな掛合いだか云ってごらん」
「そろそろ本音を吐き出したね。だが作り声は気に食わないねえ。まあそんな[#「そんな」に傍点]ことは何うでもいい。では掛合いにかかろうかね」女の声は改まった。「真先に妾は訊きたいのさ。ああ、お前さんの本当の素性を」
 老人は返辞をしなかった。





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