久坂葉子「落ちてゆく世界」(7) (おちてゆくせかい)

久坂葉子「落ちてゆく世界」(7)

 ある日――
 それはよく晴れた静かな午後でした。父はお骨となりました。死の一日おいて翌日でした。東さんの好意で、売れていなかった白磁の壺を葬儀の日だけ借りて来て、それを位牌の前に置きました。父の以前関係していた会社の人が多勢来て、型通りのおくやみを流暢にのべてくれました。菊の花が部屋中に香り高く咲き、その中に婦人の喪服の黒さが目にしみました。兄を私の部屋にやすませてしばらく二人だけでおりました。
「兄様、しっかりね。信二郎だってもう大きいし、兄様に何でもおたすけしますわよ。とにかく今はお体のことだけをかんがえてね。わずかな株や何かで、何とか致しますから、心配なさらないでね」
「雪子に済まないよ。どうにも仕様がない。雪子に何でもたのむから、母様と力を併せてやってくれ。兄様もなるべく我儘云わないから」
 兄は弱々しくそう云いました。八卦見の云ったことは当りました。家に大事があったのです。けれども、私の生き方は変りません。私の意志。私のエゴイズム。私の自由。私はそれを押えてこれからも大きな荷物を背負います。それがつとめだと、宿命だと考えねばなりますまい。
「僕が死んだら、ショパンのフィネラルかけてね」
 兄はその時、ぽっつりそう云いました。信二郎がはいって来て、
「僕が死んだら葬式なんかせんでいい。死体をやいて、その灰を海へ捨ててくれ。パーッパーッとね。その時そうさね、高砂やでもうなるがいい」
 私は信二郎に、あちらへ行けと申しました。兄が、急に苦しくなったと云い、すぐ洗面器に半分程喀血いたしました。

 またある日。
 私と信二郎と叔母と春彦とブリッジに夢中になっておりました。兄は病院で病気と戦いながら、母は神様にすべてをお捧げしながら、みんな生きてゆくのです。私も、目的もなく、一々の行動に反省もなく、ただ、せとものに、絵に美をみつけだし、わずかな、あこがれをいだいて生きてゆくのです。
                     〈昭和二十五年十一月一日〉



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