久坂葉子「幾度目かの最期」(3) (いくどめかのさいご)

久坂葉子「幾度目かの最期」(3)

 小母さん。私はどうしてこれ程までに、自分を自分でみじめにしなきゃ済まされないのでしょう。私をみじめにしないで、と何度も鉄路のほとりに云いました。けれど、考えてみると、自分で自分をみじめにしているんです。
 ――お互いに、おいらくの恋みたいね――
 と緑の島と私は握手をして、駅の近所で別れました。
 私は神戸へもどりました。着物を着替えに家へ帰り、さて、今夜徹夜の舞台稽古へ、十一時前に行くことにしたのです。行くほんの少し前、青白き大佐より電話がかかり、喫茶店で少し喋ってから一しょに会場へゆきました。青白き大佐には、何でも云うから、今日の出来事もつげました。だけど、彼さえも、私の自虐的な、みじめな、けがらわしい行為を、すっかりはわからなかったでしょう。彼は、よく私を理解しているようでしたけど、やっぱり、心の底までわかりはしなかったと思います。会場へ行った私は、演出する人から、鉄路のほとりが神戸へ来ていることを知りました。一刻も早く会いたい。そして一刻も早く、私のみにくさを告げて、ゆるされたい、そう思ったのです。鉄路のほとりはのみに出かけたらしく、又帰って来るということを知りました。その間、仕事のことで多忙。だけど私の心は、仕事のことなど考える隙さえなかったのです。楽屋へはいり、気持のいらだちを、お薬をのんでごまかそうとし、太鼓の具合をしらべ――これは青白き大佐がたたくことになってたのです――さて、又、もう帰って来るだろうと舞台の方へあがったのです。いました。彼は、仕事を、装置を手伝ってくれてました。私が傍へゆくと、ぽんと私の頭をたたき、すぐに仕事をつづけてました。
 それからいよいよ舞台稽古。鉄路のほとりと私は隣合せに腰かけました。彼はもう、芝居のことで一ぱいのようなんです。私はそのことでも私自身恥じました。さて、彼は、私に代って、随分、注意をしてくれたのです。それで、研究生達の間に少しいざこざが出たのですが、そのことはさておいて、丁度、私のものの上演の稽古が終った頃、もう朝です。もう一本の稽古がはじまりました。彼は客席で横になって寝てました。私は、毛布をかけながら、もうとても自分のみにくさが、彼の私への愛情に値しないようないたましい気持だったのです。青白き大佐は、用事をしに出かけてゆきました。私と鉄路のほとり、二人になる機会がおとずれました。二人で、おひる頃、コーヒーをのみに出たんです。ストーヴのある、会場の近くの喫茶店で、鉄路のほとりは大へん不機嫌だった。だけど、私は、もう、たまらなくなって、昨日のことを云ったのです。緑の島と会ったことを。彼は、黙ってました。いつまでも黙ってました。私に会いたくて、神戸まで来たことを私はきいていたんです。――まあいい、芝居の手伝いしたことだけで、いいんだ――彼は私にぶっつけるように云ったのです。二人が会ったのは、久方ぶりでした。だから私は、その前日に彼へ速達を出しているのです。とても不安な気持。出来るだけ早く会いたいということ。そして会ったその時、何とお互いにもつれてしまったのです。彼は帰ると云いました。私は泣きじゃくりながらひきとめました。駅までゆき、猶もひきとめました。丁度、作曲家の友人に出会い、彼もひきとめてくれたのです。喫茶店へはいりました。私はもうすっかり精神が錯乱しちまって、何を云ったのかわからない。一人で喋ったのです。
 もう、つながりがないのだ、と彼が云ったからです。私は、がく然としたのです。今こそ、本当に緑の島とのことも解決されて、彼に何もかも奪ってほしい気持になってたのですから、その気持が強かったからこそ、私は彼の言葉におどろき、何とかして、愛情をよびもどそうとあせったのです。彼は、私の目に真実がないのだと云いました。そうだったかも知れない。私は、心のある部分で、緑の島を愛し、それから、安楽椅子をちゃんとつくったりしていたのだから。それは青白き大佐なんだ。痛ましかった。私のお喋りに、彼は、俺に説教するつもりかと云った。そしてせせら笑いもしたのです。芝居の公演の時間がもう後わずか、作曲家の友人は先に出てゆき、私と彼は、いがみ合っている。もう時間もない。私は彼を駅へ送りに行った。私は、結婚してほしい、とねがったんです。青白き大佐との契約書を持っていながら。勿論、その契約書は、返却するつもりでした。でも、返却してから云うべきだったろうと今思います。彼はむずかしい顔をして帰ってゆきました。私は、自動車で、あわてて、会場へ戻り、さて、公演。自分の芝居が公演されるということは、とても単純によろこべないことです。演技者にも演出者にも私は本当に感謝してますけど、私自身とてもおちついてみることが出来ません。私は、一回目の公演が終り、夜になり、芝居のことよりも、鉄路のほとりのことで一ぱいでした。青白き大佐は、私に云いました。真剣に愛しているなら、二回目の公演が終れは、京都へ行くがいい。そして、もう仕事も何もほったらいいんだ。私は随分考えました。だけどやめたのです。芝居ほったらかしたら駄目だぞ、と鉄路のほとりにわかれる時云われたのです。私は行かぬことにしました。その日の公演の後、私は泣きじゃくりながら、酒を何杯ものみました。私は随分何か云いました。だけど本当の気持は、自己嫌悪で一ぱいだったのです。へたな台本、そして、きたない行為。そして、小説が書けないということ。そんなことが、私を無茶苦茶にしたのです。だけど、その中に、私の鉄路のほとりへの愛情は、どんどん深くなってゆくのを私はみとめました。朝が来るまで、私は、泣いて居りました。青白き大佐は、楽屋の寒いところで、私を慰めてくれました。私は、自分一人でどうすることも出来ないこの気持を、多少なりともわかってくれる青白き大佐に感謝すると共に、彼に頼る自分のみにくさに又責められるのでした。
 翌朝、ごめんなさい、という電報を私は、鉄路のほとりに打ちました。若しや、私の芝居の公演を、みに来てくれまいかと、客席を探したりもしたのです。私は、のみつづけました。最後の公演は、何だか悲しい気持でみていました。神経のたかぶりはおさまってましたけれど、これが、ひょっとすると最後の仕事じゃないかとも思って、そして自分のつくったせりふを、自分自身こだまして戻ってくることを、奇妙だ、(これは劇作家の人、どんな気持なのかわからないけれど)とさえ冷静に、その奇妙さを分解したりもしました。芝居が終り写真をうつしたりしました。私はその時既に死を決していたのです。決して、単なるセンチメンタルではない。自分で自分の犯した罪を背負いきれなくなり、もうこれ以上苦しむのはいやだと思ったのです。その時。私は青白き大佐と、少しのみにゆきました。ふぐなどを食べ、その時はもう静かな気持で居たのです。あくる朝、芝居の後始末でごたごたした日を送り、その翌日、私は夜おそく、作曲家の友人から電話をもらったのです。鉄路のほとりの手紙をうけとっているということです。私は、翌日届けてくれるようにつげました。でもその手紙に期待はしなかったのです。いろんな事情で、私はやはり当然自分を死なせるべきだという気持だったので。でも、それでも早く手紙がみたいのでした。机のあたりを整理して、金銭の(借金)勘定もし、焼却するものもまとめたりしました。私の友人のある令嬢が訪ねて来たのは、その日でした。私の表情から何かをとったのでしょう。いつもなら、笑顔でむかえるのに、むっつりしているし、彼女の話はうわの空だったのですから。彼女は、私が変った、とかそんなことを云ったようです。私は随分ひどいことを、ひどいというのは彼女の気持を察しないではないんです。でも本当のことをずけずけ云いました。彼女は泣いていたようです。その夜、研究所で、私は、鉄路のほとりの手紙をうけとりました。それはもう書けません。
 小母様、私にとって全く悲しい手紙であったのです。しわくちゃにまるめました。けれど、その夜、又よみ返しました。私は、私の心の中に喜びも発見出来たのです。彼は私を愛してくれています。私はそのことを感じることが出来たからなんです。感じることが出来たのですよ。小母さん。
 今、ファイアーエンジンが通りました。犬が鳴く、風の音、吸取紙はもうとてもよごれっちまっている。私の心は静かです。平安です。書いているうちに、静かになって来たんです。もう三時頃じゃないかしら。小母さんまだまだつづくのです。そうだ小母さん。その翌日。私は小母さんの家を訪問したのじゃないかしら。そして二十人目のことをきいたのだろうと思うわ。アルベニスを弾くって云ったわね。あの音譜、青白き大佐とかいにゆき、彼があの音譜の一頁目に、青白き大佐と共に(Avecun pale Colonel)と書いてくれたわけ。それは、ミローの歌曲のある一つの詩の一節に出て来るんです。ところが、この詩の曲は、レコードには省かれています。(このレコードのことは後に出てくるんです)
 小母さん。小母さんと二人で、あの日、喋ったことは、さっきちらと書きました。私の苦しみ、せめ、それを、私は洩らしたのですね。それから家族のこと。生きてはゆけない気持のことを。あの日、あれから、大阪へゆきました。鉄路のほとりに会うために、彼に電話をしました。
 ――いや、小母さんの家へ行ったのは、その次の日だったかな。少しわからなくなりました。というのは、青白き大佐と、富士正晴氏と一しょに居た記憶もあるようですが――とにかく、鉄路のほとりの居るところがわかり、彼は、八時頃まで仕事があるといいました。唯、会いたいから、会ってほしいと云ったのです。私は、いつもゆくその喫茶店――レコードを鳴らしてくれるところなの――で八時迄まつことにして、それよりおそくなれば、他のところということにしました。私は、紙と封筒とペンを用意してました。鉄路のほとりに手紙をかきました。――真実のことを、感じてほしい。だけど会っても、あなたは感じてくれない。だからもう会わない。本当だということをあきらかにするだろうところの一つの行動を私はとります。私は幸せ。あなたの愛を感じ、あなたを愛する自分の気持も誰にだってほこれるものだから。だけど、唯それを感じてもらえないことは、不幸せかも知れない――というような手紙です。ドビュッシーの海をやってました。私は、青白き大佐に、契約破棄の文章をかきました。それは糊づけしないで、自宅へ帰って、契約書をいれるべく、心得てました。それから、富士正晴氏にかきました。私の原稿二つ、彼の手許にあるのは、発表しないでほしい、ということ。それから、私の友人の令嬢へ、やさしい手紙を。それだけ書き終えた時、喫茶店の主人が、いたずらがき帳をもって来てくれました。何かかいて下さいと。私はホットウイスキーをのんでいたし、多少、私の死と結びつけて考えられたので、いたずら書きをしました。いつもの皿に絵をかく調子で、さらさらと、海の中のと、花鳥の群とを。八時十五分頃、そこを出て、青白き大佐が、九時にまっているという喫茶店へ自動車をとばし、今夜は会いませんという置手紙をして、鉄路のほとりと会うところへ行きました。そこは緑の島の仕事場なのです。然も、私が依頼した作曲家の仕事の出来上りの日で、緑の島も、作曲家も居るのです。私は、緑の島と視線をあわせ、一言二言しゃべりました。いつものように、緑の島の、私への愛情をその瞳に感じました。だけど私は、私の目はもう何の誰に対する目と一しょだったでしょう。そして廊下に、鉄路のほとりらしき声をきき、その時こそ、私の瞳は輝いたことと思います。会いました。打ちとけるように私は、もう片意地もすてて、ほほえみました。自然にほほえんだのです。緑の島が部屋を出て行ってから、鉄路のほとりははいって来ました。私は、彼に手紙を渡しました。丁度、作曲家の彼が、青白き大佐と面会しなきゃならぬ用があり、私は、青白き大佐との喫茶店へ又電話をかけ、大佐に居るように伝えてほしいと云いました。私と、鉄路のほとりとは口をききません。彼はすぐに私の手紙をよんでました。作曲家の友人と三人で、私達は道をよこぎり、青白き大佐の待つところへ行ったわけです。道で、私はもう何も云わないで下さい、と鉄路のほとりに云いました。彼はうなずきました。それから小一時間もして、閉店でおん出され、少しのみに行ったのです。そして終電車まで居りました。省線の駅で、私と青白き大佐と作曲家は、鉄路のほとりをひきとめ、神戸へ行こうとさそいましたが、遂に彼は、ちがうプラットの方へあがってゆきました。今晩もう一度、この手紙をよくよんでみる。彼は小声で私に云いました。だけど、私は、もう二度と会えない気がしたのです。だから、彼の後を追ってプラットへあがりました。彼は、私に、京都へ来ないかと云いました。優しく彼は云ったのです。私はすぐにゆくと云いました。ところが、ものすごくとめたのが青白き大佐なんです。小母様。私は、鉄路のほとりと握手をしました。涙がこぼれそうでした。別のプラットへあがって、京都行の電車が出てゆくのをじっとみていました。若しや彼は、電車にのらなかったのじゃないか、などとも思いました。彼は帰ったのです。電車の後尾燈は、遠くみえなくなりました。こんなことは、まるで三文小説みたいに、陳腐なこと。でも、私、ほんとにもう会えないんだ。と自分の心で決めてしまっていたものですから、随分たまらなかったのよ。その夜、家へ帰って、寝床にはいった頃、鉄路のほとりから電話をもらいました。行動とは、今晩かというのです。私の母は目をさましてますし、電話は家の中央なのです。私は、いいえと云いました。そう、じゃおやすみ、彼はそう云いました。私もおやすみなさい、と云って、いやまだ何か二言三言しゃべったようですが、受話器をおろしたのです。私はもうすっかり心に決めておりました。二十二日に黒部へゆくことに。何故二十二日になんかしたかと云えば、仕事の残りの始末をしてしまいたかったのです。切符代の集金やら、それに芝居の批評会にも出なきゃならなかったので。
 小母さま。その翌日に、私の心をますますかためたことがあるのです。作曲家の小さな坊やをつれて、公園行きを、前々から約束していたので、作曲家の彼に、大阪からの終電車の中で翌朝、坊やと約束をはたそうと云ったのです。
 小母様、この日のことは、一度、眠ってからあしたかきましょう。何故って、腕がだるくなっちまったの。今日は、朝のうち、随分ピアノ練習したし、それに、煙草が残り少ないの、今晩中に書きあげることは、出来かねるので、――煙草なければ駄目なの――さむくなりました。じゃあ一まず、お休みなさい。小母さま。



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